フレーク
朝、レナは目を覚ました。
机の上を見る。
昨夜の小麦塊は、そのままだった。表面がさらに乾いていた。一晩で水分がもう一段抜けて、表面に薄く粉が浮いていた。
「フェネク、おはよう」
『おはようございます、レナ』
「これ、もう、生地、というより、岩だね」
『岩ですね、レナ』
レナは、塊を両手で持ち上げた。ずしりと、重い。
「よし、伸ばす」
塊を、圧延機の入り口に、押し込む。スイッチを、入れる。
ヴーン。
ローラーが、回る。ぐぃ、と、塊を、噛む。
――ぼろ。
塊の端から、何かが剥がれた。レナは手を止めた。圧延機の出口に、薄いぱりっとした、不規則な形のかけらが、ぱらぱら、と落ちていた。
「あれ?」
『……』
「これ、薄くなってない」
『なっていませんね、レナ』
「ぼろぼろ、になってる」
レナは、もう一度、塊をローラーに押し込んだ。
ぐぃ。ぼろ、ぼろ、ぼろ。
一粒ずつ剥がれて落ちていく。乾いた塊は、圧力で潰れない。剥離する。
レナは、ローラーを、止めた。
机の上に、薄い、不規則なかけらが、ぱらぱらと散らばっていた。
レナは、しばらく、それを、眺めた。
「……」
『……』
「よし、最後までやろう」
『方針転換ですか、レナ』
「方針転換」
『了解しました、レナ』
レナは、塊を何度もローラーに通した。
机の上に、薄いかけらがどんどん積もっていった。
フェネクが、机の縁から、その光景を、見ていた。
『あらあらあらあら……』
「フェネク、それ、誰の口調?」
『昨日のおばあちゃんです、レナ』
「……ふふ」
『あらあらあらあら』
「フェネク、続けて」
『やめておきます、レナ』
「えー」
最後の塊が、すべてフレーク状の小さなかけらになった。
レナは、机の上の山を、しばらく眺めた。
「……ピザじゃ、ないな、これ。トルティーヤでもない」
『ないですね、レナ』
「……」
『……』
「よし、焼こう」
『焼くんですか、レナ』
「焼く」
『了解しました、レナ』
レナの頭の中で、工程は止まらなかった。
混ぜた、伸ばした、次は、焼く。何を焼くかは、特に、問題ではなかった。
三工程のうち、二つは終わっている。残りは、焼くだけ。焼く工程を自動化する。
(……ピザの生地に、ならないなら)
(……せめて、焼けば、なんとかなる)
***
宿のキッチンには、ちょっと前に買い揃えた、小型の家庭用オーブンがあった。
お菓子を焼くつもりで、買ったもの。一度も、使っていない。
レナは、天板にフレークを、薄く広げた。火力を中程度に設定。十五分。
オーブンの中で、ぱりぱり、と、フレークが焼ける音がした。
香ばしい麦の匂いが、宿の小さな部屋に広がっていった。
レナは、オーブンの前でしゃがみ込んで、待った。
タイマーが、鳴った。
天板を、取り出す。
――パリッパリの黄金色のフレークが、湯気を立てて天板の上に並んでいた。
「おお」
『焼けましたね、レナ』
「焼けた」
レナは、天板を机に運んだ。フレークを皿に盛った。
「よしフェネク、具を盛り付けるわ。何をしたらいい?」
『具材が、ありません』
「あっ」
『第一、具材を、乗せられません』
「……」
『ピザは、丸い生地に、具を、乗せる、料理ですが、これは、粒状です』
「……」
『乗せる、平面が、ありません』
「……」
レナは、皿の上のぱりぱりフレークを、眺めた。
確かに、ピザではなかった。ピザの生地でもなかった。何か別のもの。丸くもない。平らでもない。ただ、薄くて、不規則で、黄金色の何か。
「……ま、いっか」
レナは、一つ、指でつまんだ。
香ばしい粉の匂い。
口に入れる。
――ぱりっ、と噛む音。
「……あ」
『いかがですか、レナ』
「……おいしい」
『はじめて料理を作った人特有の反応だと存じます』
「いや、これそうじゃなくて。本当においしい」
レナは、もう一つ指でつまんで、口に入れた。
ぱりっ。香ばしい。
素朴な麦の味。
(……これ)
(……何作ったんだろう、私)
(……でも、おいしい)
レナは、もう一つ、もう一つ、と、指で、つまんで、口に、運んだ。
「フェネク、食べてごらん?」
『……』
「あ……食べられないんだった、ごめんね」
『お気持ちだけ、いただきます、レナ』
「美味しさを推測してみて?」
『レナの表情の高揚度から、上位三%の評価と推測します』
「上位三%か」
『マリア様のスライムシチューが、上位一%です』
「……マリアさんは、別格でしょう」
『同意します、レナ』
レナは、しばらく、フレークを、食べた。
そして、止まった。
(……これ、いい)
(……これ、量産しよう)
頭の中で、先週の人工魔石工場の攪拌タンクが蘇った。
直径三メートル、回転する羽根、上から落ちてくる二系統の粉末。
あれの焼成版ができないか。
回転式のドラムで、大量に均一に焼く機械。
家庭用オーブンでは、一度に焼ける量が知れている。もっと、ごーっと、勢いよく焼ける機械が要る。
「フェネク」
『はい、レナ』
「工房、戻ろう」
『了解しました、レナ』
レナは、机の上の皿に残ったフレークを、保存容器に移した。
それから、攪拌機と圧延機をもう一度動かして、未焼成のフレークを、大量に作り溜めしておいた。
机の上に、白い未焼成のかけらの山が、できた。
レナは、それを布に包んで、抱えて、宿を出た。
***
試作三号機:ドラム回転式焼成機(量産用)
工房に戻る。
ジャンク棚の前で、レナは、フェネクと並んで、考えた。
探しているのは、ドラム本体。回転軸。モーター。ヒーター。軸受け。断熱材。
「フェネク、ドラムにできそうな円筒、ない?」
『棚の、中段の奥に、業務用魔導コンロの本体ドラムがあります』
「業務用?」
『直径六十センチ、陣可動式機構の、本体ドラム部分です。何かの用途で、ヘルマン様が、残しておかれたものと、推測します』
レナは、棚の中段に手を伸ばした。
確かにあった。ステンレスの円筒。直径六十センチ。重みがちょうどよく、レナの両腕に収まった。
頭の中で、設計が、ぱちん、と、固まった。
(……これ、組める)
午後から、夕方、そして深夜。レナは、取り憑かれたように組み立てた。
リアクトル実験のときと、同じ熱量。ただし、規模が大きい。
ドラムを軸に通す。軸受けを取り付ける。モーターを結ぶ。
ヒーター素子をドラムの内壁に配列する。配線を引く。断熱材を外側に巻く。
投入口と排出口を開ける。傾斜をつける。
操作盤には、AGM規格の見慣れた円形のダイヤルを取り付けた。
弱・中・強・オフの記号が、時計の文字のように、等間隔に刻まれている。
本社の標準仕様。陣可動式の、最も普及した制御系。
レナは、何の迷いもなくそれを選んだ。
途中、フェネクが、二度、言った。
『レナ、水分補給を、推奨します』
「うん」
レナは、ぐびっ、と、水筒の水を飲んで、また作業に戻った。
工房の作業灯が、ぶうん、と、低く唸っていた。バルトのいない場所。ヘルマンのいない場所。広い工房に、レナとフェネクの、二人だけ。
夜が、深くなった。
レナは、最後のネジを、締めた。
***
朝。
レナは、工房の片隅に金属の塔を組み上げていた。
高さはレナの胸ほど。
投入口は上に。排出口は下の脇に。
傾斜がついている。操作盤の正面に、AGM規格の円形ダイヤル。
ダイヤルを、ひねる。カチ、と、軽い感触。
陣可動式の滑らかな無段階の手応え。
ドラムが、ごー、と低い音を立てて、回り始めた。
ヒーターが内部を熱していく。
レナは、布に包んで持ってきた未焼成のフレークを、ドラムの投入口から、ざらざらと流し込んだ。
ドラムの中で、フレークがころころと転がりながら、均一に焼かれていく。
数分後。
排出口から、パリッパリの黄金色のフレークが、ざらざら、と出てきた。
「できた」
『できましたね、レナ』
「動いてる」
『動いていますね、レナ』
「プラント完成だ」
『プラント完成ですね、レナ』
レナは、出来たてのフレークを、用意しておいた大きな保存容器に詰めた。
あっという間に容器がいっぱいになった。
ドラムは、止まらない。連続して、フレークが出てくる。
レナは、二つ目の容器を排出口の下に置いた。
それも、すぐにいっぱいになった。
レナは、三つ目を置いた。
ノートに書き込んだ。
『試作三号機、稼働確認
生産量:家庭用オーブンの約三十倍/時』
レナは、満足げに、プラントを、見上げた。
***
夕方。
工房の大扉が、がらがら、と開いた。
バルトの足音。いつもより重い。一歩、一歩、地面を踏みしめる音が、深い。
ヘルマンが、入ってきた。
革ジャケットの肩に、夜露と、電線の煤。
三日間の保守工事で、見るからにへとへと。眉間の皺が、いつもよりもう一段深い。
ヘルマンは、入り口で止まった。
工房の片隅、いつも空いていたスペースに、見慣れない金属の塔が立っている。
ドラムは、静かに回転していて、中から、ぱりぱり、と、軽い音がしている。
ヘルマンは、しばらく、それを、眺めた。
「……」
「親方! お疲れ様です!」
レナが、奥からエプロン姿で駆け寄ってきた。
両手に、お皿。
皿の上には、パリッパリの、黄金色のフレーク。
ヘルマンは、まだ、塔を、眺めていた。
「親方?」
「……ああ、これは、ダイナモンキーのいたずらだな」
「えっ」
「よくある事だ」
「親方、これ、私が、作ったんですよ?」
「ダイナモンキーは、ときどき、こういう機械を作るんだ」
「ダイナモンキーじゃありませんよ!」
「あいつら、人間の作るものを真似するからな。先月も廃棄テレビを組み上げて、野球を観てた個体がいてな」
「親方、私は、ダイナモンキーじゃ、ありません!」
「ひょっとしてお前、ダイナモンキーの親戚じゃ、ないよな」
「えっ」
「尻尾、生えてたりしないか」
レナの肩が、びくっ、と跳ねた。
「ど、どういう意味ですか!? 尻尾なんて、生えてません!」
「まあいい」
ヘルマンは、それ以上は追及しなかった。
バルトを工房の定位置に座らせて、自分は作業椅子に、どさっと座った。革ジャケットの襟を緩めた。
フェネクの光学センサーが、ぴ、ぴ、と、二度、控えめに、点滅した。
***
ヘルマンは、椅子の背もたれに、体を預けていた。三日分の疲労が、一気に降りてきたような顔だった。
「親方、これ、食べてください」
「ん」
「私が、作りました」
「ふぅん」
レナは、皿のフレークをヘルマンの前のテーブルに置いた。
ヘルマンは、ぱりっとしたフレークを、一つつまんで、口に入れた。
しばらく、噛んだ。
「……ふぅん」
「どう、ですか」
「……」
「……」
「乾いてるな」
「あ、はい、乾いてます」
「……」
ヘルマンは、もう一つ、フレークをつまんで、口に入れた。
ぱりっ、と、噛む。それから、ゆっくり、皿のフレークを、見下ろした。
「……」
「親方?」
「……いや」
「何か?」
「……まあ、食えるな」
「食えますか」
「食える」
ヘルマンは、それ以上は言わなかった。
皿の上のフレークを、もう二つつまんで、口に運んだ。
眉間の皺が、わずかに動いた。何かを考えているような顔。けれど、口には出さない。
レナは、ヘルマンの横顔を、ちらっと、見た。
(……「食える」)
(……それだけ?)
(……何か足りないって思ってる?)
声には、出さなかった。
ヘルマンは、皿の最後のフレークを、つまんで、口に、入れた。
「飯食ったか、お前」
「親方が食べてるのが、私の作ったご飯ですよ」
「いや、お前は」
「……あ、食べてないです」
「食え」
「はい」
レナは、もう一つの皿に、自分のぶんのフレークを、盛った。ヘルマンの隣に、座って、ゆっくり、食べた。
ぱりっ。香ばしい。素朴な麦の味。確かに、おいしい。
ただ、ヘルマンの「食える」の一言が、なぜか、レナの胸の隅に、ちいさく、引っかかっていた。
(……乾いてる、って、確かに、乾いてる)
(……これ、何かと合わせたほうが、いいのかな)
(むーん……)
ヘルマンは、レナが考え込む様子を見ながら、革ジャケットの内ポケットから、煙草の代わりの何か硬い飴のようなものを取り出して、口に放り込んだ。
このプラントからコーンフレークが誕生するのは、もう少し先の話になる。
外では、電線天蓋がいつものように薄暗く唸っていた。
レナは、皿が空になるまで、ゆっくりと食べた。




