テレビ
工房の大扉は、いつものように半分開いていた。バルトが、今朝も、奥で静かに座っている。胸のあたりが、ぶうん、と低く唸っている。
「親方、おはようございます」
「おう」
ヘルマンは、作業台の前で、何かの基板を覗き込んでいた。老眼鏡が、鼻の先まで下がっている。
「体調、戻ったか」
「あ、はい、おかげさまで」
「飯、食ったか」
「……食べました。今朝は、果物と、パンだけ、ですけど」
ヘルマンは、ふぅん、と短く返して、それ以上は聞かなかった。
レナは、作業台の隅に、布の包みを、そっと置いた。
「あの、親方。これ、ジャンク市で、拾ったんですけど」
言いながら、レナは脳内で、フェネクと事前に擦り合わせた台詞を反芻した。ダイナモンキーケーブルの一般的な規格は、もっとも流通量の多いVVF2.0mm-3C。ついさっき拾った、で通すつもりだった。
レナは、布を、はらりと開いた。
ヘルマンは、老眼鏡の縁越しに、それを、一秒、見た。
「ウソをつくな、これは1.6mmだろ」
レナの口が、止まった。
「えっ」
「銅の純度、被覆の艶、断面。生え立てだな」
(……生え立て)
(……生え立てって、言った)
レナは、心臓が、ひゅっ、と跳ねた。本当のことを、見抜かれている。けれど、ヘルマンの口調は、いつもと変わらない。素材を見ているときの、あの、平らな声。
レナは、観念して、口を開いた。
「……あの、拾い物、というのは、そうなんですけど。入手経路が、その、ちょっと、特殊で」
自分から生えた、とは、口が裂けても言えない。恥ずかしすぎる。
ヘルマンの反応は、ふぅん、という、低い相づち、一つだった。
「バジリスク核に続いて、幸運が続いてんな」
「……は、はい」
「1.6mmは、ダイナモンキーの幼体から、ごく短い期間にしか抜けねえ。市場じゃ、まず出回らねえ」
ヘルマンは、ケーブルを、指の腹で、一度だけなぞった。
「お守りにしてる奴もいるから、大事にしたらどうだ」
レナは、内心で、長い息を吐いた。
(……流して、もらえた)
屋台の店主が「魔石が当たった」と祝福してくれたときと、同じ系列の、迷宮都市的な扱い。バジリスク核の延長線上の、レアドロップ。フェネクも、それ以上は、何も言わなかった。
レナは、もう一歩、踏み込んだ。
「親方、これ、何かに、使えますか。実験用に、転用できないかと、思って」
ヘルマンは、ケーブルを、もう一度、指でなぞって、しばらく考えた。
「IVに引き直して、回路に組み込むぐらいしか、俺には思いつかん。本当はKIS線とかの軟銅線を使うが。まあ、使えなくはねえ」
「実験用に、ってことなら」
「前みたいに実験用なら、誰も文句は言わねえはずだ」
ヘルマンは、それだけ言って、ケーブルを、レナのほうへ、押し戻した。
レナは、ケーブルを、鞄に戻しながら、もう一つ、踏み込んだ。
「あの、もう一つ、いいですか」
「ん」
「私、自分に必要な、食事を、作りたいんです。病気のときとかに、お肉以外に、何を、食べたら、っていうか」
ヘルマンは、バルトのうなじの保護蓋に、手を戻しかけて、その手を、止めた。
しばらく、無言だった。
それから、ぽつりと、言った。
「お嬢さん、ここはダンジョンとの戦争の最前線だ。食料は自力で手に入れるしかない」
「……」
「自分に必要なものは、自分で考えるしかない」
答えではなかった。
あの人は、いつも、答えではなくて、こちらに考えさせる言葉だけを、置いていく。
レナは、それでいい、と内心で頷いた。
「はい」
「……」
「ありがとうございます」
ヘルマンは、また、ふぅん、と返した。
***
そのとき、工房の奥で、魔導通信機が、短く三回、鳴った。
カチ、カチ、カチ。
ヘルマンは老眼鏡を外して、通信機の前に立った。受話器を取って、二回相づちを打って、それで終わった。
「親方、何か」
「ギルマスからの依頼だ。三番街の電線断線事故に対応する」
「電線って切れるんですか?」
「切れる。お前は知らんだろうが」
ヘルマンは、既に、革ジャケットの襟を立てていた。
「バルト、起きろ」
バルトの胸の唸りが、低い音から、一段、高くなった。リレーが、カチ、カチ、と続けて鳴る。光学センサーが、ぴ、と一度、深く点滅して、立ち上がった。
「ちょっと、出てくる。半日、戻らねえ」
「あ、はい」
「茶菓子棚の下、好きに使え」
「……ありがとうございます」
ヘルマンは、それだけ言って、バルトと共に、工房の大扉から、出ていった。バルトの足音が、ずん、ずん、と地面を伝って、だんだん遠くなっていった。
扉が、ゆっくり、半分まで戻って、止まった。
レナは、作業台の前に、一人で、残された。
フェネクも、一緒に置いていかれた。
広い工房の天井で、誰もいない作業灯が、ぶうん、と低く唸っていた。
「フェネク」
『はい、レナ』
「半日、何しよう」
『茶菓子棚の下を確認しますか』
「……うん」
レナは、立ち上がって、棚の方へ、歩きかけた。
***
そのとき、工房の裏口の、小さな扉が、控えめに、ノックされた。
こん、こん。
レナは、フェネクと顔を見合わせた。
「……はい?」
返事はなかった。もう一度、こん、こん、と控えめなノックがあった。
レナは、扉に近づいて、開けた。
立っていたのは、八十がらみの、おばあちゃんだった。前掛けの裾に、どこかで小麦粉らしき白いものを、少しつけていた。背中に、大ぶりの何かを背負った、布袋。
「あの、ヴァイスさん、いらっしゃる?」
「あ、親方、今、出てまして……」
レナが布袋を持ってあげると、おばあちゃんは、にっこり、笑った。
「あら、新しいお弟子さんね」
「いえ、あの、私、ここの、職人……ではないんですけど」
「これね、もう、何十年も前にね、ヴァイスさんに直してもらった子なんだけど。また映りが悪くなっちゃってねえ」
おばあちゃんは、布袋を、ゆっくりと、下ろした。
袋の中から出てきたのは——木目調のキャビネットと、丸みを帯びたブラウン管。
旧式のテレビだ。
(……AGM-TV-3C)
レナの、本社脳が、勝手に作動した。
AGマギクラフト・コーポレーションが、二、三十年前に量産した、ベストセラー機。回路図を一度全部トレースしたことがある。当社の歴史的家電なら当然だ。内部構造は、ほぼ全部、頭に入っている。
「これ、AGM-TV-3Cですよね」
「あら、お嬢さん、お詳しいのねえ」
「あの、よかったら、ちょっと、見てみても、いいですか」
「あら、まあ、お願いできるかしら。重くて、ねえ」
レナは、テレビを、両手で持ち上げて、作業台に、そっと乗せた。
(……重い)
(……ブラウン管、こんなに、重かったっけ)
王都の自宅では、両親が三年前から薄型に買い替えていた。レナの記憶のブラウン管は、新入社員研修のときに、研修室の片隅で見た一台だけだった。
レナは、背面パネルのネジに、手をかけた。
指が、止まった。
(……あれ?)
AGM-TV-3Cの、標準のネジ位置。それと目の前の現物の位置がずれている。一センチほど上に。まるで何かに当たるのを避けるみたいなずらし方だった。
レナは、慎重に、パネルを外した。
内部を、覗き込んだ。
(……これ)
(これは、私の知ってるAGM-TV-3Cじゃ、ない)
電源系統のコンデンサが、当時の規格にない妖精粉コンデンサに置き換わっていた。
それだけではない、垂直偏向回路の脇に、見覚えのない変圧コイルが一つ追加されている。
さらに本来の主基板とは別の系統で、補助基板が一枚、増設されていた。
チューナー部の同調回路は、がっつり根本から組み直されているようだった。
そして、側面パネルの内側に、見慣れた手癖のアース線が、ぐるぐる巻きついている。
間違いない、ヘルマンの仕事だ。
一度テレビを分解して、自力で組みなおしている。
彼の習作だろうか。
新しい魔工機を自分の物にしようとする執念が垣間見えた。
(……職人、すごい)
(本当に、すごいんだ、この人)
レナは、しばらく、内部を見つめたまま、手を、止めた。
「……お嬢さん?」
「……あ、すみません。ちょっと、見たことのない構成だったので」
レナは、おばあちゃんに気取られないように、ちいさく、息を吐いた。
ヘルマンへの信頼は、フェネクの応急処置から、ずっと積み上がっている。今、そこに、畏敬が、一段、足された。
「すみません、お待たせしました。とりあえず電源、入れますね」
レナは、パネルを、慎重に、閉め直した。
電源の空気スイッチを、ぱちん、と倒した。
ぼんやり、ブラウン管が、温まり始める。ノイズの粒の中から、ゆっくりと、映像が、立ち上がってくる。
おばあちゃんが、嬉しそうに、リモコンを、差し出した。
「うちの、これね、たくさん、映るのよ」
「たくさん、ですか」
「百四十」
「……百四十?」
「あの人、優しい人だからね。たくさん映るように改造してくれたの」
レナは、リモコンを、受け取った。
チャンネルを、送る。
迷宮都市の、地元放送。
王都の、公営。
隣国の、国営。
そのまた向こうの、見知らぬ言語の放送も出てきた。
(……七十二、七十三、七十四)
(……まだ、ある)
どうやら大陸の端から端まで。すべての局が映るみたいだった。
レナは、頭の中で、もう一度AGM-TV-3Cの標準受信レンジを反芻した。
基本仕様は十二チャンネル。
受信ブースター込みでも最大三十二チャンネル。
それが設計上の物理的な上限……のはずだった。
一体、どうやって魔改造しているのだろうか。
チューナー回路の周波数特性が、それ以上は、原理的に拾えないはずなのに。
(……それが、百四十)
(……拾えるはずがないものを、拾ってる)
レナは、画面を見つめながら、頭の中で同調回路を逆算した。
本来のチューナーを、増設された変圧コイルで強化して——いや。補助基板にもなんらかの役割があるはず。妖精粉コンデンサは、何の役割を担って——分からない。
(……分からない)
(私の知識じゃ、原理が、追えない)
王都本社の、エリート開発部三年目、AGマギクラフト・コーポレーションの規格を全部頭に入れているはずの自分が。目の前の、二、三十年前の家電の、原理が、追えない。
(……これ、本社に持って帰ったら)
(……いや、それは私のプライドが許さない)
レナは、その思考を、途中で、止めた。
これは、おばあちゃんの、テレビだ。ヘルマンが、二、三十年前に、このおばあちゃんのために、組んだものだ。本社の開発資料にするものでも、ましてや自分が特許申請するものでもない。
レナは、リモコンを、握り直して、おばあちゃんと並んで、ブラウン管の前に、座り込んだ。
***
七十六チャンネル目。
画面には、見たことのない、料理番組が、流れていた。
何か外国語をしゃべっているが、料理番組であることぐらいは分かる。
褐色の手が、薄い円形の生地を鉄板で焼いていた。
焼き上がった生地の上に、肉と、豆と、何か赤いソースを、乗せて、くるくると、巻いていた。
(……パン、じゃない)
(……薄い、丸い、生地)
レナは、画面に、引き寄せられた。
王都の食卓にも、迷宮都市の屋台にも、こんなものは、ない。
家畜の肉のソテーでも、ない。バジリスクの串焼きでも、ない。
穀物を、あんなふうに、伸ばして焼いて巻く。
粉を、形にする。
「あら、これはトルティーヤね」
おばあちゃんが、のんびり言った。
「トルティーヤ……へー、初めて見る」
レナは、画面から、目を離せなかった。
なにかが、ぱちん、と頭の中でなった。
(……これ)
(……作ってみようかな)
声には、出さなかった。
フェネクが、横で、何も言わずに、待機していた。光学センサーが、ぴ、と一度、控えめに、点滅した。




