ダイナモンキーの尻尾
朝、レナは違和感で目を覚ました。
腰の後ろが、なんだか、重い。
寝返りを打とうとして、シーツの下で何かが引っかかった。柔らかいような、硬いような、自分の身体の一部のような、自分のものではないような、奇妙な感触。
レナは寝ぼけ眼でゆっくりと布団をめくった。
腰のあたりから、白い、しなやかな、コンセントプラグのケーブルみたいに細長い何かが、シーツの上にだらりと伸びていた。先端には、小さな丸いLEDのような球体がついていて、ぴかぴかと、控えめな黄色い光を放っていた。
レナは、それを、じっと見た。
光は、レナの呼吸に合わせて、ぴ、ぴ、と明滅していた。
レナは、もう一度、布団をめくり直した。
やはり、生えていた。
「フェネクー!」
絶叫した。
「助けてフェネクー! なんか生えてきたー!」
宿の小さなキッチンの方から、白い装甲が、ぱたぱたと走ってくる音がした。フェネクが寝室の扉を開け、レナの背中を見て——
光学センサーが、ぴ、ぴ、ぴ、と、いつもより速く点滅した。
『……これは』
「これは!?」
『ダイナモンキーの尾部発光器官と、形状が酷似しています』
「えっ」
『ダイナモンキーは体内の魔力を消費して発電し、尻尾のLEDを光らせているそうです』
「フェネクよく見て私よ! ダイナモンキーじゃないわよ!?」
レナは慌てて尻尾を布団で隠した。隠してから、自分が今やっているしぐさがダイナモンキーが人間に見つかった時のしぐさそのものであることに気づき、頭を抱えた。
「私の体内の魔力なんて、いつ出てきたのよ、この前の定期検診でも魔力値ゼロの健康体だったのに……」
レナはそこで、言葉を切った。
脳内で、走馬灯のように、何かが流れた。
ジャンク市の屋台で食べた、巨大なバジリスク串焼き。歯にぶつかった魔石。ヘルマンの行きつけで食べた、スライム肉のシチュー。
自炊デビューを決めて買い込んだ、業務用サイズのスライム肉とバジリスク肉。
あの日も、あの日も、あの日も、レナは肉を食べていた。朝も、昼も、夜も。「美味しいから」「もったいないから」「自分で作ったから」と、自分に言い聞かせながら。
「……あ」
レナは、顔を、ゆっくりと、手で覆った。
フェネクは静かに続けた。
『レナは迷宮都市に来てから、モンスター肉ばかりを食べておられました。おまけに現地人でも夜にしか肉は食べないのに、冷蔵庫の大量の肉を消費するために朝昼晩と肉料理を食べ続けています』
「うん」
『そのおかげで王都にいたときより、過剰に魔力が身体に蓄積したものと推測します』
「うん」
「うう〜」
レナは机に突っ伏した。
「やっぱりダメかなぁ〜。私も最近これちょっと肉食べ過ぎじゃないかと思ってたのよ〜」
『お気持ちはお察しします』
「フェネク私死んじゃうのかな〜?」
『死亡には至りません』
「断言してくれてありがとう……」
『ただし』
「ただし?」
フェネクの光学センサーが、いつもより少しだけ落ち着いた点滅に戻った。
『魔力値が過剰になると、偶発的に何らかの魔法が発動して身体に異常を起こすことがあります。これは『誤呪効果』の人体版と考えてください』
「誤呪効果」
『魔石と同じく、人体も魔力を浴びれば、設計外の魔法を勝手に発動させます』
「設計外って、私は機械じゃないんだけど」
『魔法使いです』
「魔法使いか……私、とうとう魔法使いデビューしちゃったってことか……」
レナは突っ伏したまま、片目だけ開けてフェネクを見た。
「で、私に起きてるのは、何なの」
『おそらく、体の一部がモンスターのものになっているのは、過剰魔力による『変身』ではないかと思われます。ただし症例の少ないレアケースです』
「変身」
『過去の症例には、虫になった方、植物に半分変化した方、片腕が金属化した方など、多岐にわたります。物理現象として複雑で、再現性は極めて低いとされています』
レナは、しばらく無言だった。
「……私、虫になる可能性も、あった?」
『可能性はゼロではありませんでした』
「尻尾でよかった……いや、よくないけど、虫よりは……」
『比較対象としては、適切な評価と存じます』
「フェネク、慰めて」
『レナの状況は、医療基準に照らせば、要観察ですが、緊急性は低いと判断します』
「それ、慰め?」
『事実関係の整理です』
「ありがと……」
レナはのろのろと身を起こした。腰の後ろの尻尾が、布団の中でぴ、ぴ、と光るのが、布団の隙間から漏れ見えた。
「で、これ、どうしたらいいの」
『魔力とは、簡単にエンチャントすると同時に、透過していく存在です。しばらくモンスター肉を控えていれば、蓄積した魔力は自然に体外へ抜けていくと推測されます』
「本当?」
『私のデータには明確な記録はありませんが、原理的にはそうなるはずです』
「データにないんかい!」
『ただし、レナ』
「うん」
『もう一度、同様の蓄積が起きた場合、次は別の症状が出る可能性があります。今回が尻尾だったのは、おそらく偶然です』
レナは、フェネクを見た。
しばらく、動かなかった。
「……気をつけます」
『賢明なご判断と存じます』
レナは布団から完全に出た。立ち上がろうとして、腰の後ろの重みに引っ張られて、よろけた。尻尾は、レナの動きに合わせて、しゃらりと床に擦れた音を立てた。
「歩きづらい……」
『重心が変わっておりますので、しばらく慎重に動かれることを推奨します』
レナは、洗面所の鏡の前に立った。
後ろを向いて、肩越しに、鏡を見た。
白いケーブル状の尻尾が、寝間着の腰のあたりから、するりと伸びていた。先端のLEDが、ぽ、ぽ、と、控えめに光っていた。
レナの目に、じわ、と、何かが滲んだ。
(……可愛い、かも)
(いやいやいや)
(可愛くない)
(可愛くないって、私)
レナは鏡の中の自分を、じっと見た。
尻尾は、確かに、可愛らしい形をしていた。色も白くて、滑らかで、機械的でも生々しすぎでもない、ちょうどいい質感だった。先端のLEDの黄色い光は、レナの肌に、ふんわりと反射していた。
しかし、認めるわけにはいかなかった。
「これで、会議、出られるわけないわ……」
レナは机に戻り、上司宛のメールを打ち始めた。
***
「『迷宮都市の通信状況が悪化したため、本日のリモート会議は映像オフでの参加とさせていただきます』」
レナは打ち込みながら、ぶつぶつ呟いた。
「『現地の電線事故により、通信品質が不安定です』」
『適切な文面です、レナ』
「『なお、音声には影響ございません。会議の進行にご支障をおかけしないよう努めます』」
『丁重で、嘘ではありません』
「嘘ではない」
『電線事故は、迷宮都市では日常的に発生しており、通信品質への影響も実際に観測されています』
「フェネク、あなた、優秀ね」
『ありがとうございます』
レナは送信ボタンを押した。
それから、少し考えて、ヘルマンに別のメッセージを打った。
「親方、今日は体調が優れないので工房をお休みします。明日には伺います」
すぐに返信が来た。
「飯食ったか」
レナは少し笑った。
「これから食べます」
「肉以外にしろ」
レナは、文面を、しばらく、見つめた。
「……バレてる?」
『親方は、レナさんの食生活を観察されています』
フェネクが背後から言った。
『食品市場で、大量の肉を買ってゆかれたレナの事が、噂になっているようです』
「監視されてた!?」
『観察と監視は、似て非なる概念です、レナ』
「どう違うのよ」
『観察には、対象への配慮が含まれます』
レナは、もう一度、ヘルマンのメッセージを見た。
「肉以外にしろ」
たった六文字。
レナは返信を打った。
「はい。気をつけます」
送信してから、目頭を、片手で軽く押さえた。
***
冷蔵庫を開けた。
スライム肉。バジリスク肉。スライム肉。バジリスク肉。試作の何か。果物のジャム。輸入野菜の、しおれた残骸。冷凍庫を開けると、ストックされたモンスター肉のブロックが、行儀よく積み上がっていた。
レナはしばらく、冷蔵庫の中を見つめた。
それから、扉を、ぱたん、と閉めた。
「……これ、確かに、ダメだ」
レナは机に向かい、ノートを開いた。新しいページに、大きな文字で書いた。
「迷宮都市での食生活、根本から見直す」
下に箇条書き。
・モンスター肉を、しばらく断つ
・兵糧パンと果物では、栄養が偏る
・王都のスーパーは五キロ先、フェネクに毎日行かせるのは無理
・……
レナはペンを止めた。
書こうとしていたのは「コンビニで」だった。
書く前に、思い出した。
「……コンビニ、ないんだったわ」
『迷宮都市は、冒険者の前衛基地として築かれた都市です』フェネクが、背後で律儀に補足した。『観光客向けの利便施設は、半径五キロ以内には存在しません』
「分かってる」
『再確認しただけです』
「分かってる、って」
レナはペンを置いた。
頭の上に手を乗せて、しばらく天井を見た。
(……どうしよう)
レナは、屋台街を思い出した。串焼きのおっちゃん。バジリスクの歯ごたえ。スライムシチューの食堂。あの全部が、今の自分にとって、危険物。
果物だけでは、栄養が足りない。兵糧パンだけでは、味気なさすぎる。三日ともたない。
王都のスーパーまで五キロ。フェネクに毎日往復させるのは現実的ではない。フェネクの主動力の妖精の粉は、迷宮都市の魔力環境ではただでさえ消耗が早い。長距離の買い物を続ければ、今度はフェネクが倒れる。
レナはノートに、もう一行、書いた。
「自分でも作れる、軽くて、栄養があって、肉を含まない、保存性のある、新しい健康食品を」
書きながら、ふと、思った。
これはきっと、この街の人たちが必要としているものでもある。
レナは、ペンを止めた。
ギルドの傷病兵舎で見た、ガロンの光景が、脳裏に浮かんだ。
体内の魔力を抜くために、迷宮都市の主食とも言える肉を食べる事ができなくなった患者たち。
ヘルマンも、たぶん、似たような経験をしている。
レナは詳しいことは聞いていないし、ヘルマンも語らない。でも、ヘルマンの「肉以外にしろ」というメッセージの中に、何か、彼自身の経験から来る重みが、確かにあった。
レナは、ノートに書き加えた。
「これは、たぶん、お節介になる」
「でも、私がこの迷宮都市で生きていく上では、必要なものだ」
書きながら、レナは、ペンを握る手に、少し力が入っているのに気づいた。
***
昼過ぎ、リモート会議は問題なく終わった。
「映像オフ」の状態で、レナはマネージャーの長い愚痴を聞き、リアクトル試作品の進捗を報告し、次の予定を確認した。マネージャーは「現地での仕事ぶりは評価している、ただし帰社の時期も考えておけ」と言った。レナは「はい」と答えた。
会議が終わり、回線を切った後、レナはしばらくマイクの前に座っていた。
帰社の時期。
その言葉が、いつもなら聞き流せたはずなのに、今日は、なんだか、引っかかった。
(私、いつまで、ここに、いるんだろう)
レナは机に肘をつき、頬を手のひらに乗せた。腰の後ろで、尻尾が、ぴ、ぴ、と、やけに静かな点滅をしていた。
(リアクトルが商品化されて、新しい健康食品が作れて、それで、私の仕事は、終わるのかな)
(終わったら、王都に、戻るのかな)
レナは、首を振った。
考えても仕方なかった。今は、目の前の問題を、解く時だった。
レナはノートをもう一度開き、書いた。
「明日、工房に行こう。親方に、ヒントを聞こう」
「何を作るか、まだ、分からない」
「でも、何かが、作れそうな予感がする」
書き終えてから、ノートを閉じた。
夕食は、宿の備品の兵糧パンと、ジャムと、輸入野菜の最後の一切れだった。レナは黙々と食べた。兵糧パンは硬く、ジャムは甘すぎ、野菜はしんなりしていた。
(これ、毎日食べてる人たちが、いるんだ)
レナは、もう一口、兵糧パンを齧った。
ぼそ、と、口の中で崩れた。
***
夜、レナは机で、設計用紙を広げていた。
書きかけのページには、「自分に必要な食事」と書かれている。下に箇条書き。書き終えてから、レナはふと、リアクトル実験を思い出した。
あの時も、彼女は自分の衝動に突き動かされるまま、おもちゃみたいな装置を組み立てた。
(今度も、たぶん、作れる)
(何を作るかは、まだ、分からないけど)
その時、ぽとり、と、何かが落ちる音がした。
レナは振り返った。
ベッドの上、彼女が先ほど座っていた場所のすぐ横に、白いケーブル状の何かが、ぐったりと横たわっていた。先端のLEDは、もう、光っていなかった。
「……あ、取れた」
レナは尻尾を見つめた。それから、腰の後ろを、そっと、触ってみた。
何もなかった。完全に、すっぱりと、抜けていた。
「フェネク」
『はい、レナ』
「これ、取れた」
『ダイナモンキーの尻尾は、魔力が枯渇すると、本体の魔力を温存するために自然と抜け落ちるそうです』
「そうなんだ……」
『こうして落ちた尻尾は、VVF系ケーブルとして広く使われる、標準的なドロップになります』
「規格モノ、なんだ」
『個体差はありますが、おおむね小型ケーブルとして利用可能な太さに収まります。何度も曲げると銅が折れて断線するので、生え変わるように進化したと考えられています」
『進化的合理性、ね』
レナはベッドに近寄り、しゃがみ込んで、尻尾を眺めた。先端のLEDは光っていなかったが、押すと、ぽ、と、一瞬だけ、ぼんやり光った。
レナは、それを、見ていた。
少しの間、何も言わなかった。
それから、布で包んで、机の隅に置いた。
「あー、よかった、もう二度とお肉食べられないかと思った」
『魔力が復活するとまた生えてきます』
「えっ」
『ダイナモンキーの尻尾は、魔力が復活するとまた生えてきます』
「……」
レナは、しばらく、無言だった。
「……それ、治ったのか、治ってないのか、わからないってことよね?」
『はい、レナ』
レナは机に突っ伏した。
「もうやだー」
『お気持ちはお察しします』
「フェネクー」
『はい、レナ』
「私、なにか作りたい」
『何を、ですか』
「自分に必要な、食事を」
『データには、適合するレシピがありません』
「だから、作るの。私が」
『了解しました、レナ』
レナはノートに目を戻した。書きかけのページの一番下に、もう一行、書き加えた。
「材料は何でもいい。形から考えよう」
書きながら、レナはふと、王都の工場で見た攪拌機を思い出した。直径三メートルのタンク、巨大な羽根、上から落ちてくる二種類の粉末。
(あれを、小さくしたら)
(料理に、使えるかも、しれない)
レナは目を閉じた。
形が、薄ぼんやりと、見え始めていた。
*
明日、工房に行こう。
ヘルマンに、ヒントを聞こう。
レナはノートを閉じて、ベッドに入った。
机の隅に置かれた尻尾の包みは、もう、光っていなかった。
宿の窓の外が、いつものように薄暗く、ぼんやりと灯っていた。
電線の上を、何かの小さな影が、二つ、三つ、ゆっくりと移動していくのが、視界の隅に映った気がした。
レナはそれを、見ないことにした。
枕元のノートに、無意識に手を伸ばし、表紙を、指の腹で、一度だけ、撫でた。
明日。
明日には、何かが、見つかるかもしれない。
レナは、目を閉じた。




