第76章:仮面を捨てた秘書〜突然の抱擁と、夜の逃避行の誘い〜
「私……このまま南条隼人さんとお付き合いしたほうがいいの?」
かすみの切実な問いかけに対し、誠は何も答えなかった。
ただ無言のまま、かすみの手首をそっと引き、リビングから彼女の私室へと連れ出した。いつもは主従の距離を完璧に保つ彼が、かすみを部屋に入れるなり、背後のドアを静かに、けれど確実に閉める。
「……かすみお嬢様は、本当に何も知らないのですか?」
振り返った誠の瞳には、今まで見たこともないような切羽詰まった熱と、隠しきれない苦悩が宿っていた。
「南条財閥との縁談なんて……やめてほしい」
「えっ……? 誠、何言ってるの……?」
かすみは突然の誠の言葉と、そのただならぬ雰囲気に目を丸くした。
かすみは本当に何も知らなかったのだ。自分の知らないところで、両家の間でどれほど決定的な話が進められようとしているのかを。
次の瞬間。
「っ……!」
かすみの小さな体は、強い力で引き寄せられ、誠の広い胸の中にすっぽりと閉じ込められていた。
「まこと、さん……!?」
いきなり抱きしめられたパニックで声が上擦るかすみの耳元で、誠は苦しげに、けれど決して逃がさない強さで囁いた。
「明日、南条財閥と改めて正式な縁談の場が設けられると聞きました。……もう、限界です」
かすみの背中に回された腕が、震えるようにきつく抱き締める。
完璧な秘書としての仮面が完全に砕け散り、ただ一人の男としての痛切な愛が溢れ出していた。他の男の腕の中に、愛するお嬢様を渡すわけにはいかない。
「このまま……僕と一緒に逃げよう」
それは、絶対的な主従関係を自ら壊す、禁断の逃避行への誘いだった。
南条隼人の冷徹な包囲網が迫る前夜、誠の隠し続けてきた愛の暴走が、かすみの運命をさらに予測不能なパニックへと巻き込んでいくのだった――。
77章に続く




