第4章:お嬢様、はじめてのしゃかいべんきょう?【前編】
お部屋にこもってすっかり元気をなくしてしまったかすみ。そんな娘を心配した父・薫は、ある特別な人物を納屋財閥の屋敷へと招いていた。
「かすみ、君のために特別な家庭教師を頼んだよ。私の友人でね、ずっと海外生活をしていた方なんだが……」
薫に促されてかすみが恐る恐るお部屋のドアを開けると、そこには、サファリア女学院の厳格な先生たちとはまるで違う、自由で華やかなオーラをまとった人物が立っていた。
「ハロー、かすみちゃん! 私が今日から君の特別レッスンを担当する――通称『ファミちゃん』よ!」
「えっ……!? ふぁ、ファミちゃん……先生……!?」
まさかの「ファミちゃん先生」の実在に、かすみは大きく目を丸くした。あのファミレスでの勘違いは、あながち間違いではなかったのだ。
さっそく始まったレッスン。けれど、ファミちゃん先生は教科書を広げる代わりに、かすみの顔をじっと見つめて首をかしげた。
「ねえ、かすみちゃん。もしかして君……今まで一人でお買い物とか、行ったことないの?」
「お買い物……ですか? はい、お洋服や日用品は全て、誠さんや外商の方がお屋敷に持ってきてくださいますので、お店でお金を払って何かを買ったことは……一度もありませんわ」
かすみがきょとんとして答えると、ファミちゃん先生は「うわぁ!」と頭を抱えた。
「本当にホンモノのお嬢様なのね……! よし、決めたわ。だったら今日のお勉強は『社会勉強』よ! 今からみんなで楽しいホームパーティーをするから、そのための食材を買いに、街のスーパーへお買い物に行きましょう! スクール代なんて、そのパーティーを楽しんでくれたら帳消しでいいわよ!」
「お、お買い物……! 私が、ですか!? ありがとうございます、ファミちゃん先生!」
初めての響きに、かすみの胸がドキドキと高鳴り出す。ファミちゃん先生がスマートフォンをピピッと操作すると、門の前には、あらかじめアプリでレンタル予約をしていたカラフルなデザインの『電動キックボード』が2台、颯爽と用意された。
「ちょっと待ちたまえーーーーーッ!!!!」
そこへお屋敷の玄関から怒髪天を衝く勢いで飛び出してきたのは、もちろん執事の誠だった。
「お嬢様をそのような剥き出しの鉄屑に乗せるなど、正気の沙汰ではありません! 1ミリでもバランスを崩してかすり傷でも負われましたら、私は今すぐこの地球の重力を国家権力で消滅させます! お買い物なら、私が戦車でお供いたします!」
「お留守番よろしくね、誠さん! レッツゴー!」
「お、お嬢様ァァァッッ!!!!」
誠の必死の制止をすり抜け、二人は電動キックボードでスーッと滑るように風を切ってお屋敷を飛び出して行った。初めて見る街並み、初めて浴びる心地よい風。かすみは「わぁ……っ! すごいですわ!」とすっかり笑顔を取り戻していた。
たどり着いたのは、地元の人々で賑わう大きなスーパーマーケット――『スーパールッツ』だった。
「さあ着いたわよ、かすみちゃん! ここが今日のお勉強の舞台『スーパールッツ』よ!」
「まぁ……! なんて広くて、たくさんのお色がある場所なのでしょう……!」
自動ドアが開き、一歩店内に足を踏み入れたかすみは、その圧倒的な活気に目を輝かせた。かすみはまるで高級セダンのハンドルを握るかのように、おずおずと、けれど真剣な表情でお買い物カートの持ち手を握りしめた。
きらきらとした果物コーナーにたどり着いたかすみは、透明なプラスチックのパックに入った『カットフルーツ』に目を留めた。
「先生、これはなんですか……? どうして、最初から食べやすくしてあるのですか……? 果物というものは、お抱えのシェフが包丁で美しく飾り切りをしてくださるものではなくて……?」
ファミちゃん先生は、そのあまりの箱入りっぷりに思わずクスッと笑って、優しく説明してあげる。
「お屋敷の外の世界ではね、みんな毎日とっても忙しいのよ。自分で皮を剥く時間がなくても、これなら買ってすぐにパクッと食べられるでしょ? 外の世界の人たちの『忙しい毎日』を助けてくれる、とっても優しいアイデアの塊なのよ」
「まぁ……! 忙しい誰かのための、優しいアイデア……! すごいですわ、スーパールッツ……!」
深く大感動したかすみは、カットフルーツのパックをまるで宝物のように愛おしそうにカートへと入れた。
次のお野菜コーナーでも、かすみはまたしても不思議な透明な袋を見つけて、お上品に声を上げる。
「先生! このお野菜もカットされていますわ……! 袋を開けて、フライパンにポンとするだけでお料理ができるなんて。スーパールッツのお野菜は、どれも新鮮で、そして……とっても不思議ですわ!」
お財布も持ったことがない箱入りお嬢様。けれど、スーパールッツに並ぶ『誰かの生活を優しく支えるための工夫』を、その真っ直ぐな心で次々と吸収していく。
だが、ひんやりとした空気が漂うお魚コーナーへとやってきた時、かすみの小さな頭はついにキャパシティを突破してしまった。
そこにズラリと並ぶ、生の切り身の数々やパックに入ったお刺身。さらには見たこともない魚一匹丸ごとの姿や、不思議なタコやイカのパックに視線を移したかすみは、急にめまいを覚えたように自由帳を抱きしめた。
「うぅ……頭が、クラクラいたしますわ……」
「えっ!? かすみちゃん、大丈夫!?」
ファミちゃん先生が慌ててかすみの身体を支える。かすみは潤んだ瞳で先生を見つめると、消え入りそうな声で、けれどどこまでも健気に微笑んだ。
「せ、先生……私、初めてすぎて体調悪くなってしまいましたけれど……。あの……誠に連絡して、お迎えに来てもらいたいの。あと、楽しみにしていたホームパーティーは、後日やりましょう……? 先生、私のせいで、ご迷惑をおかけして本当にすみません……っ」
自分が倒れそうなほど苦しいのに、真っ先に「ご迷惑をおかけしてすみません」と相手を気遣うかすみ。
そのあまりの健気さと美しさに、お魚コーナーの裏からその様子をずっと心配そうに盗み見ていた青藍高校の森野海斗たちも、胸をぎゅっと締め付けられていた。
「お、お嬢……っ!!」
ネギの棚の陰から長ランを翻し、今にも飛び出そうとした海斗だったが、かすみの「誠に連絡して」という言葉を聞いて、ピタッと足を止めた。昨日、自分が「二度と行くな」と突き放してしまったから、お嬢様は自分を頼らなかったのかもしれない――。海斗は切なそうに拳をぎゅっと握りしめる。
一方、かすみから「お迎え要請」の連絡を受けた執事・誠は、その瞬間、納屋財閥の全最高級セダンのエンジンを同時に爆破させるほどの勢いで、凄まじい歓喜の雄叫びを上げていた。
(おお……お嬢様……! ついに、ついにあのファミちゃんとかいうドブネズミの化け皮を剥ぎ取り、我が愛しの我が家へとお戻りになられるのですね……!! 今すぐ光速を国家権力で超えて、スーパールッツの駐車場へ高級車を叩きつけて差し上げますッ!!!)
お嬢様、初めてのスーパーマーケットでまさかのドクターストップ!
ここから、誠さんの大乱入お迎えと、それを複雑な表情で見送る海斗くんたちの切ないドラマが、後編へと続いていく――。
(第4章・後編へ続く)
第4章【前編】をお読みいただき、ありがとうございました!
なんと、かすみお嬢様が誤解していた「ファミちゃん先生」が本当に実在して自宅にやってくるという衝撃の展開からスタートしました!
電動キックボードで風を切って走るお嬢様や、初めて行くスーパー「スーパールッツ」で、カットフルーツやカット野菜の優しさにいちいち大感動する姿が書いていて本当に微笑ましかったです(笑)。
ですが、お魚コーナーの生々しさに圧倒されてまさかのドクターストップ……!そんな状況でも先生を気遣うかすみちゃん、本当に健気で良い子すぎますね。
次回の【後編】では、連絡を受けた誠さんの怒涛のお迎えや、陰で見守っていた海斗くんたちの切ない葛藤をお届けします。




