第270章:小さな命と、母の祈り
翌日。夏の眩しい太陽が照りつける中、かすみは静かな「神宮寺クリニック」の診察室にいた。
白を基調とした清潔な部屋の中に、医師の穏やかな声と、かすみの小さく震える声だけが響く。碧やあやめに付き添われ、ようやくここまで辿り着いたものの、かすみの心は未だに昨夜の悪夢の残像に支配されたままだった。
「――先生。私、昨夜、本当に怖い夢を見たんです」
かすみは診察台の横の椅子に深く腰掛け、自身の小さなお腹を、まるで壊れ物を愛おしむように両手でそっと包み込んだ。その薬指には、昨日碧から贈られたばかりの婚約指輪が鈍く光っている。
「前の旦那……南条隼人が夢に出てきて、私の頬に触りながら『必ず迎えに行くよ』って、冷たく笑うんです。目が覚めても、あの人の執念深い声が耳から離れなくて……」
せきを切ったように溢れ出る恐怖を、医師は遮ることなく、静かに、そして優しく受け止めるように頷きながら聞いている。かすみは縋るように医師を見つめ、張り裂けそうな胸の内を吐露した。
「私……自分自身がどうなっても構いません。でも、お腹の赤ちゃんに何かあったらと思うと、もう不安で、不安で仕方がないんです……っ」
ぽろぽろと、かすみの目から大粒の涙が零れ落ち、お腹を包む自身の手の甲を濡らしていく。
かつて南条家で味わった孤独と絶望。そこから自分を救い出し、本物の愛を教えてくれた碧。二人の絆の結晶である、このお腹の中の小さな小さな愛しい命。それだけは、何があっても、自分の命に代えてでも、あの狂気の男から守り抜かなければならない。
「かすみさん。お腹のお子さんを心配するお気持ちは、母親として当然のことですよ」
医師は白衣の袖を正し、かすみを安心させるように、どこまでも温かく、しかし力強い声で言葉を掛けた。
「ですが、一人で抱え込んではいけません。あなたには、あなたとこの子を命がけで守ろうとしてくれる、心強い早瀬さんがついている。今はただ、その温もりを信じて、お身体を第一に休めることだけを考えてくださいね」
「先生……」
医師の言葉に、かすみは涙を拭いながら、小さく息を吐き出した。
診察室の扉の向こうには、きっと今も、自分とまだ見ぬ我が子を誰よりも愛し、守り抜くと誓ってくれた碧が待っている。かすみはお腹にそっと力を込め、心の中で何度も何度も、我が子に語りかけるように、強く、強く祈り続けるのだった。
「本作の執筆にあたり、誤字脱字の確認や文章整理のためAIを利用しています(規約に基づき修正案の提案は受けない設定で使用)。物語の構成や本文作成は全て自分で行っています。」




