第267章:夢魔の囁きと、冷たい汗
おじさまの邸宅の、豪奢で柔らかなベッドの真ん中で、かすみは深く深い闇の中にいた。
昼間のあの、観覧車の頂上で交わした碧からの至高のプロポーズ。薬指で信じられないほどの輝きを放つ、まばゆい婚約指輪。その幸福の余韻に包まれて眠りについたはずなのに、なぜか目の前に広がる景色は、冷たく凍てつくような漆黒の世界だった。
コツン、コツンと、静寂を引き裂くようにして、冷徹な足音が近づいてくる。
闇の向こうから現れたのは、あの見届けるのもおぞましい、独占欲に歪んだ狂気の瞳――南条隼人だった。
「……見つけたよ、かすみ」
隼人は、まるで逃れることのできない蛇のように、冷たい微笑みを浮かべてかすみを見下ろす。その手が、ゆっくりとかすみの頬へ伸びてくる。
「無駄な抵抗はやめるんだ。君がどこへ逃げようと、僕が必ず、君を迎えに行く」
その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、かすみの体中の細胞が恐怖で総毛立った。
いや、いや、来ないで。触らないで――!
かすみは喉が張り裂けんばかりの声を振り絞り、目の前の闇に向かって、激しく言い放った。
「やめて……っ! こないで……!!」
一歩も引かない強い意志をその瞳に宿し、かすみは胸に抱く最愛の人の名を叫ぶ。
「私は――私は早瀬碧の妻なのよ……!! あなたなんて、もう私には一切関係ないでしょ!?」
「関係ない、だと……?」
隼人の顔から表情が消え、底冷えするような声が響いたその瞬間、かすみはガバッと勢いよく上半身を起こしていた。
「ハッ……、はぁ、はぁ……っ!!」
激しい動悸とともに、かすみは狂ったように呼吸を繰り返す。
見慣れたおじさまの邸宅の、静かな寝室。窓の外からは、穏やかな夏の夜の虫の音だけが聞こえてくる。
夢――。それは、あまりにもリアルで、あまりにも悍ましい悪夢だった。
けれど、目が覚めても恐怖の残像は一ミミリも消えてはくれなかった。
かすみは小刻みに震える両手で自身の肩を抱きしめ、暗闇の中で、今すぐ会いたい人の名を縋るように呟く。
「碧さん……どうしよう……。南条隼人が……あの人が、私を迎えに来るよ……っ」
その時、トントン、と部屋の扉が優しく叩かれた。
かすみのただならぬ気配を察したのか、扉がそっと開き、廊下の淡い光とともにあやめが姿を現す。
「かすみさん……? 大丈夫ですか?」
心配そうに駆け寄ってきたあやめは、ベッドの上で青ざめ、ガタガタと震えているかすみの姿を見て、息をのんだ。あやめがそっとその細い肩に触れると、信じられないほどの熱が伝わってくる。
「……すごい汗よ、かすみさん! 一体どうされたのですか……っ!?」
あやめの温かい手の温もりに触れた瞬間、かすみの瞳から、堪えきれなくなった涙がポロポロと溢れ出した。かすみはあやめの衣服に縋り付くようにして、震える声でその胸の内を吐き出した。
「あやめさん……! あやめさん、どうしよう……っ!!」
悪夢の残響が、耳の奥でまだ冷たく笑っている。
「南条隼人が……っ、あの人が、私を迎えに来るの……っ!!」
「本作の執筆にあたり、誤字脱字の確認や文章整理のためAIを利用しています(規約に基づき修正案の提案は受けない設定で使用)。物語の構成や本文作成は全て自分で行っています。」




