第170章:海鳴りの丘と、母の嘘
翌日。早瀬ホールディングスのオフィスは、重苦しい空気に支配されていた。
早瀬碧の指示のもと、徹底した追跡調査が行われていたが、報告はどれも芳しくない。
「……南条財閥の邸宅にも、影も形もありません。長谷部ホールディングスの敷地内もすべて確認しましたが、かすみさんの痕跡はゼロです」
碧は資料を乱暴にデスクへと叩きつける。かすみは一体、どこへ消えたのか。
その頃、街の喧騒から遠く離れた、海を見下ろす小高い丘の上に、かすみはいた。
吹き抜ける潮風に髪をなびかせながら、彼女は遥か彼方の水平線を見つめている。手には、二つの大切なものが握られていた。
凛と蓮の笑顔が写った、あの日のおでかけの写真。
そして、かつて二人のために用意した、小さなベビーリング。
「……凛、蓮。ごめんね」
かすみの声は、波音にかき消されるほど小さく、震えていた。
彼女はベビーリングを胸元に強く押し当て、写真の中の二人の顔を、慈しむように何度も指でなぞる。
「ずっと傍にいたいのに……ママは、どうしてもそれができなかったの」
溢れそうになる涙を、かすみは必死に堪えた。ここで泣いてしまえば、自分が壊れてしまう。自分の中にある母親としての感情を、すべてこの丘に置いていかなければならない。
「ママはもう、いないと思って……二人で、強く生きてね。幸せになってね」
それが、子供たちの未来を守るために、母として選んだ最後の嘘だった。
かすみは、二人の写真を胸のポケットにそっとしまい込むと、立ち上がった。
振り返ることはない。彼女の視線は、ただ真っ直ぐに、遠くへと続く線路の先にある駅へと向かっていた。
一歩、また一歩。
彼女が歩き出すたびに、二人の子供たちとの記憶が、少しずつ遠ざかっていく。
母親としての生を捨て、ただ一人の人間として、かすみは冷たい風の中を駅へと歩いていった。
「本作の執筆にあたり、誤字脱字の確認や文章整理のためAIを利用しています(規約に基づき修正案の提案は受けない設定で使用)。物語の構成や本文作成は全て自分で行っています。」




