第122章:星空のテラス〜微かな胎動と、執事の素顔〜
長谷部ホールディングスの別荘は、恐ろしいほどに静かだった。
南条の追手も、早瀬碧の不気味な影もここには届かない。心身ともに休まるはずの絶対的なサンクチュアリ。それなのに、私はなぜか胸の奥がざわついて、どうしても眠りにつくことができなかった。
そっとベッドを抜け出し、ガウンを羽織ってテラスへと出る。
ひんやりとした夜風が頬を撫でた。ふと見上げると、都会の空では決して見ることのできない、こぼれ落ちそうなほどの満天の星空が広がっていた。
(……長谷部ホールディングス)
手すりに寄りかかりながら、私は誠さんの言葉を反芻していた。
南条隼人の絶対的な右腕として、影のように付き従ってきた完璧な執事。そんな彼が、なぜ南条にも匹敵する巨大グループと『個人的な繋がり』を持っているのだろうか。
私は、彼のことを何も知らない。
彼がどうして南条家で執事をしているのか。どんな過去を歩み、その冷たい仮面の下にどんな素顔を隠しているのか。
その時だった。
「……あ」
下腹部に、ぽこん、と。
まるで水の中で小さな泡が弾けたような、微かな、けれど確かな衝撃が走った。
(いまの……)
私は弾かれたようにお腹に両手を当てた。
気のせいではない。私の中にある小さな命が、確かに動いたのだ。胎動。自分が一人ではなく、この子と共に生きているのだという絶対的な証。
「……ふふっ。元気に育っているね……」
愛おしさで胸が熱くなり、自然と涙が滲んだ。
どんなに恐ろしい状況でも、この子は私の中で懸命に命を紡いでいる。
南条隼人の子供。
その事実を知りながら、誠さんは私を抱きしめ、「すべてを懸けてお守りします」と誓ってくれた。
(ねぇ……誠さん。あなたはどう思っているの?)
南条隼人を裏切り、彼の子を宿した私を連れて逃げること。
星空を見上げながら、私はまだ見ぬ執事の本当の心に思いを馳せ、ただ静かにお腹のぬくもりを抱きしめていた。
123章に続く




