第114章:沈黙の決断〜鳥かごからの逃亡と、隠された命〜
「かすみ、答えろ。いったい誰の夢を見ていた」
今にも私の首を絞めかねないほどの怒りを孕んだ隼人の声と、氷のように冷たい誠さんの視線。
この極限状態の中で、私はシーツの下でそっと自分のお腹に手を当てた。
(……言えない。今、子供ができたなんて絶対に言えない)
本当は、他でもない南条隼人の子供だ。
けれど、今の彼にそれを伝えたところで、信じてもらえるはずがない。私が夢の中で「パパ」と呼んだ、見知らぬ男の子供だと決めつけられ、この小さな命まで彼の憎しみの対象になってしまう。
それだけは、絶対に避けなければならなかった。
「……わからないの。ただの、熱に浮かされた夢よ。……ごめんなさい、少し一人にして」
私は必死に表情を消し、静かに目を伏せた。
何を言っても火に油を注ぐだけだと悟った隼人は、舌打ちをして病室を後にし、誠さんもまた、無言のままそれに従った。
一人きりになった病室で、私は決意した。
この子が産まれるその日まで、絶対に妊娠の事実は隠し通そう。南条隼人から、そしてあの恐ろしい早瀬碧からも、この子を守り抜くために。
数日後。
私は医師からの「絶対安静」という診断書を盾に、南条家の邸宅には戻らず、私の実家である『納屋財閥』の屋敷へと身を寄せていた。
「かすみ……よく一人で耐えたわね。もう大丈夫よ」
豪奢な客間のソファで私を優しく抱きしめてくれたのは、納屋あけみだった。
そして彼女の傍らには、深い理解者のような温かい眼差しを向ける森野薫の姿もある。
私がこの妊娠の事実と、南条家での異常な出来事を打ち明けたのは、世界中でこの二人だけだ。
「あけみさん、薫さん……私、この子を無事に産みたい。隼人には、出産する日まで絶対に秘密にしたいの」
「ええ、わかっているわ。納屋の力をもってすれば、南条隼人といえど、そう簡単にはこの屋敷に手出しはできない。しばらくはここで、ゆっくりと羽を休めなさい」
力強く頷くあけみさんの言葉に、私は張り詰めていた糸が切れたようにポロポロと涙をこぼした。
南条隼人という支配者の「鳥かご」から、私はついに逃げ出したのだ。
お腹の小さな命を守るため、愛する夫から一番遠い場所で、孤独な戦いが始まろうとしていた。
115章に続く




