第109章:病室の密室〜休めない心と、秘書の気遣い〜
「しばらく、お仕事は休むように」
医師からのその言葉に、私はベッドの上で力なく頷くしかなかった。
(そうだよね……)
無理もない。だって、ここ数日の間に起きたことは、あまりにも衝撃的な出来事のオンパレードだった。
初恋の人である拓人の結婚、子供の存在。彼がついた優しい嘘。そして、早瀬くんの口から語られた残酷な真実と、あの微笑み。
私の心と体は、もうとっくに限界を超えて悲鳴を上げていたのだ。
コンコン、と。
静かな病室のドアがノックされ、誠さんが静かに入ってきた。
彼の背後に、夫の姿はない。南条社長は、きっと会社に戻ったのだろう。こんな時でも、彼は立ち止まらない人だから。
「……誠さん」
「奥様。お体の具合はいかがですか」
誠さんはいつも通りの感情の読めない顔つきだったが、その声は普段よりもずっと低く、どこか痛ましげに響いた。
「うん、少し落ち着いたよ。……ねぇ、誠さん。私宛に何か届いていない?」
私がそう尋ねると、誠さんの眉が微かに動いた。
「……何か、とは?」
「会社からの書類とか、連絡とか……。ほら、私、社長秘書だから」
ベッドのシーツをぎゅっと握りしめながら、私は強がって微笑んでみせた。
「こんなふうに倒れちゃったけど、やっぱり仕事のことが気になっちゃって……」
本当は、仕事のことなんか考えられる状態じゃない。でも、南条隼人の秘書である私が、こんなところで何もせずに寝ているなんて許されるのだろうか。そんな不安が、波のように押し寄せてくるのだ。
私のその言葉を聞いて、誠さんは小さく息を吐き、静かに首を横に振った。
「今は、何も気になさる必要はありません。奥様の現在の最優先業務は、ゆっくりとお体を休めることです」
「でも……」
「……どうか、ご自分をもっと大切になさってください」
遮るように放たれたその言葉は、いつもの業務連絡のような冷たさはなく、ひどく不器用で、真っ直ぐな響きを持っていた。
私を真っ直ぐに見つめる誠さんの瞳の奥に、ほんのわずかな熱のようなものが見えた気がして、私は少しだけ胸が締め付けられる思いがした。
110章に続く




