第106章:支配者の疑惑〜誠への冷徹な問いかけ〜
「……かすみ、遅いな」
料亭の個室で、私は手元の酒杯を軽く弄びながら、低い声で呟いた。
秘書である誠は無表情を貫いているが、その目はかすかに揺れている。私と同じく、かすみの不在が気になっているのだろう。
「まさか、勝手に帰ったのではあるまいな」
私が不機嫌にそう言い放った瞬間、襖が静かに開かれた。
顔色を青ざめさせた料亭の女将が、深々と頭を下げて入ってくる。
「南条様……申し上げにくいのですが、奥様が……化粧室で激しくうずくまっておられまして」
「……なんだと?」
「お顔色がひどく悪く、これは……早急にお医者様へお連れになったほうがよろしいかと」
女将の言葉が脳内で反響する。かすみが倒れた? 私の知らないところで、私の妻が、苦しんでいる?
私は、これまでの彼女の様子を思い返した。朝からどこか様子がおかしかったか? いや、そんなことは――。
いや、違う。昨夜から、彼女は確かに何かに怯えていた。それを見落としていたのか、私という支配者が。
ふつふつと、怒りとも焦燥ともつかない感情が胸の内で煮えくり返る。
私は、隣に控える誠の方へと、ゆっくりと視線を向けた。
「誠」
「……はい、旦那様」
「かすみの体調については、お前も知っていたのか?」
誠の表情が、一瞬だけ凍りついたのを私は見逃さなかった。
やはり、知っていたのだ。この男は、私に報告せず、妻の様子を黙って見守っていたのか?
「……お前は、何を知っている。誰より近くにいて、私の妻の異変に、なぜ気づかなかったのか。それとも――わざと、私に隠していたのか?」
私の問いかけに、誠は沈黙を守る。
その沈黙こそが、私の中で何かが切れる音のように響いた。
107章に続く




