『4』
◇
当日。
ユリウスを乗せた馬車が、人里を避けるようにして建てられたレイヴン家の屋敷の前で静かに止まる。
馬車の窓から見えるのは、重厚な鉄細工の門。
深紅の蔦が絡みつき、まるで訪問者を拒絶するかのような威圧感を放っている。
それはまるで、この屋敷の主――トワ・レイヴンそのものを象徴しているよう。
(こんな不気味な場所に住んでいらっしゃるなんて、ほんと噂通りのお方なのかもしれませんわね……)
ユリウスは冷静を装いながらも、わずかに警戒心を募らせる。
しかし、表情には一切でることはない。
だが、予定時刻より早めに到着したせいか、迎えの従者が現れる気配は一向にない。
ユリウスは、扇を軽く動かしながら低く呟く。
「淑女を待たせるなんて、どれほど無礼なおつもりかしら?」
その声には、僅かに苛立ちが滲み、何度か小さく床を踏む音が車内に響くのだった。
*
一方その頃、トワ・レイヴンはカーテンの閉ざされた部屋の窓辺に立ち、ユリウスの到着を静かに観察していた。
(……時間厳守どころか、予定より早い。律儀だな。いや、何か下心があるとみるべきか――)
貴族というものは概して時間にルーズなもの。
指定された時間ぴったりに現れるだけでも珍しいのに、それより早く到着するとなれば、何らかの意図を疑うべきだろう。
「彼女を屋敷の中へ案内しろ」
短くそう命じると、トワは窓辺から離れた。
従者はそんな彼の背中に深く一礼すると、すぐさま部屋を後にするのだった。
*
彼女が屋敷内へと通されたのは、約束時刻の五分前。
(……なかなか私も下に見られたものですわね)
内心呆れながらも、ユリウスは優雅な足取りで、レイヴン家の長い廊下を進む。
そこを抜け辿り着いた先は、重厚な調度品が並ぶ応接室。
深紅のカーテンが窓を覆い、薄暗い空間を作り出している。
ユリウスは扇を広げながら室内をゆっくりと見回す。その目に映る物全て、彼女の美的センスとは対極的。
「随分と……趣味の悪い装飾ですこと」
その一言に込められた皮肉は、部屋のどこかで自分を監視しているであろうトワに向けられている。しかし、彼が現れることはない。
(……なるほど、隠れて様子見というわけですわね)
ユリウスは、トワが自分を監視しているという確信を強め、その状況を逆手に取るべく言葉を紡ぐ。
「ですが、噂ほど恐ろしい屋敷ではありませんわね。石化だの魂を抜かれるだの、まるで子供騙しのようですわ」
挑発とも取れるその言葉は、相手の反応を引き出すための巧妙な策。
それと同時に背後の扉が静かに開くと、低く落ち着いた声が響いた。
「そうか。では安心したところで本題に入ろうか」
「まあトワ様、ごきげんよう。ですが忍び足で女性の背後に立つだなんて、とても紳士的とは言えませんわね」
ユリウスは内心驚きつつもゆるやかに振り返ると、刺々しい言葉を投じた。
「ふっ。散々屋敷の悪口を言っておいて、どの口が言う? どうせ私とお前は建前のみの婚約関係になる。観察くらいさせてもらっても良いと思うが?」
「あら、私が何か企んでいるとでも? それに、婚約するなど一度も聞いておりませんわね」
「急に私に擦り寄ってきた女が、何の下心もないとは思えないがな。そもそもお前が私を巻き込んだのだろ?」
トワの低い声には、明らかな挑発の色が滲む。しかし、ユリウスも負けてはいない。
「あら、奇遇ですわね。突然手紙を送り付けておいて、数ヶ月間なんの音沙汰もなかったにもかかわらず、突然一文のみの手紙で私を呼びつけるだなんて。何をお考えかと首を傾げてしまいましたわ」
言葉の応酬が続く中、両者は決して本音を明かさない。
互いの瞳には相手の裏の裏を探るような光が宿り、まるで猛獣同士がじりじりと距離を詰め合うような緊張感が漂う。
だが、それでもなお貴族としての気品と優雅さだけは保たれている。
「なるほど――」
トワは肩の力を抜いたように一言。しかし、その声はまるで冷たい氷のように彼女の肌を刺し、息を詰まらせるほどだった。
そして一拍。
「つまり、お互い不信しかないと」
「ええ。でも、そこから始めるのも悪くありませんわね」
ユリウスは、まるで舞台上の役者のようにゆっくりと扇を閉じると、くすりと微笑んだ。
「ふっ――本当に食えない奴だ」
「あら、お褒め頂き光栄ですわ」
「これを褒められたと解釈するとは、大したものだ」
「ふふっ、そうですわね。ですが、これでお互いの立場は理解できましたわ」
ユリウスの瞳が鋭く光る。
その目はトワの一挙一動を見逃さない。
対する彼も、どこか満足そうな表情を浮かべ短く頷いた。
「そうだな」
その一言に、ユリウスは確信を持つ。この場に今日呼ばれた理由は、あくまで彼が自分の本性を探るためなだけと。
「では、お互いある程度、腹の探り合いもできたことですし、本日はお開きということで」
ユリウスはソファーから立ち上がると、踵を返す。
だが、その動きを制止するかのようにトワが言葉を投じた。
「お前に三ヶ月やる」




