『33』
「では、パバート様。そろそろ、ご説明いただけますでしょうか?」
ユリウスは静かに扇を畳む。その音は穏やかだが、場の注目を集めるには十分な効果をもたらしてくれる。
「わ、私にも何が何だか分からないと言っているだろう!」
パバートは額に浮かぶ汗をぬぐいながら、怒号した。
だがその態度から察するに、すでに弁解が通じる状況ではないと自覚しているのだろう。彼の瞳は焦燥と狼狽で激しく揺れている。
「なるほど。では、私の持ち得る情報から推測して導き出して差し上げましょうか?」
ユリウスは再び扇を開くと、優雅に揺らしながら嫌味なほど美しい微笑みを浮かべた。
静かな緊張が場内を満たしていく。
「た、頼ん……いや……」
パバートは反射的に答えかけるが、慌てて口をつぐみ、唇を震わせる。
「あら、分からないのに何故、口を閉ざすのでしょうか? もしかして、本当はこのお香がなんなのか――答えを知っているのでは?」
その挑発にパバートの顔が青ざめていく。
だが、追い詰められていることを認めたくないのだろう。
「し、知るわけないだろうが! そもそもお前は場を乱すのが得意だろ! ここで誤った推論を並べられ、私を追い詰めようとするつもりじゃないのかと考えただけだ!」
「そういうことでしたか。ですが、ここで口を閉ざせば貴方はこちらのお香を知っていると自白なさっているも同然。そうなれば、お香が“黒薔薇事件”で必要不可欠だった道具という観点から、犯人も自ずとパバート様なのではないか、という疑念を持たれてしまいますわよ?」
瞬間、パバートの目が大きく見開かれ、激情に駆られるように怒号する。
「なっ――! そんなわけないだろ! ならば、お前が説明してみろ! これで嘘をついていたら……分かっているだろうな!?」
(あらあら。本当におつむが弱い人ですこと。短絡的な性格は身を滅ぼすことを、私との婚約破棄で何も学ばなかったのですわね)
ユリウスは内心で苦笑しながら小さく頷くと、静かな声を上げた。
「ご命令とあらば仕方ありませんわね。これより、お香の謎をひも解いた後、黒薔薇事件に関する真相をお伝えさせていただきます」
その言葉は不穏な余韻を残していく。それと同時に会場全員が息を呑んだ。
ユリウスはわざとらしく辺りを見回し、パバートと目が合うと、くすりと意味深に微笑み一拍。
「とは言ったものの――この特殊な香りの特性に最初にお気づきになられたのは、私ではなくトワ様でしたわ。せっかくですから、ご本人から説明していただきましょう」
「は?」
突然指名され、トワは面倒そうに眉を顰める。しかし、場の視線がこちらに集まっている以上、逃げることは許されない。
「はあ……仕方ない」
彼は小さく嘆息すると、冷静な口調で説明を始めた。
「このお香には男女間で香りの認識に明確な違いがある。男性だけが特定の甘い香りを嗅ぎ取れるが、女性には全くの無臭に感じられる。しかし、だからと言って女性に影響がないわけではない。むしろその逆だ。女性にとっては強力な催眠効果があり、意識や記憶を曖昧にさせる作用を持っている。実際、誘拐された令嬢たちも皆、この香に誘発されたことで、事件の前後に関する記憶を欠落している」
その淡々とした説明に、会場がざわめきを帯びる。
(ふふっ。共演者としては及第点と言ったところでしょうか。トワ様に出番を与えず拗ねられても困りますしね)
ユリウスは小さく口角を上げると、再び自身が語りを継ぐ準備を整えた。
「ん? おかしくないか? トワ・レイヴンの言い分通り、そのお香が本当に女性のみに効果を発揮するというのならば、何故お前は倒れていない?」
パバートが矛盾を指摘するように問いただす。
すると、その問いを待っていたかのようにユリウスは、ゼオライトを核としたアーティファクトを優しくテーブルの上に置いた。
刹那――周囲に漂っていたであろうお香の匂いが消えたのか、観衆である男たちが驚きの声を上げる。
「なるほど……そういうことか」
「ユリウス様が倒れなかった理由はこう言うことだったのか」
観衆の反応に、彼女は不敵な笑みを浮かべた。
しかし、納得のいかない人物が一人。
「いやおかしいだろ! 匂いで倒れるならば、それを感じとれる私たちが倒れているはずだ! なのに何故、女性のみが倒れたのか、説明になっていないぞ!」
「ふふっ、何を勘違いなされているのでしょう? 私は一度もこちらのアーティファクトが消臭効果を発揮するものとは明言しておりませんわよ?」
「なっ――!?」
「こちらのアーティファクトは、本来は特定の薬物や化学物質を無効化する目的で作られたものです。その副次的な効果として、特定の物質を無効化した際に、その“香り”もまた消えてしまうというわけです。つまり私が事前に無効化していたのは、お香が放つ薬物成分そのものなのですわ」
周囲が再びどよめき始める中、ユリウスはさらに続けた。
「私自身は女性ですから、このお香の匂いを感じることは最初からございません。ですが、トワ様から頂いた情報を元に、このお香が特別な薬効成分を空気中に散布していることは知っておりました。故に、薬物成分そのものを遮断できるアーティファクトをあらかじめ準備していた――これが真相ですわ」
彼女が説明を終えると、場の視線はさらに混乱を深めた表情でベリタスへと自然に移っていく。
瞬間、眉間に皺を寄せたパバートが矛盾を指摘し始める。
「い、意味がわからん! そもそもどうやってその効果を調べたと言うんだ!?」
「それは簡単なことですわ。こちらのお香型アーティファクトは半永久的に使えるものですわよね? 以前、私の部屋に侵入した犯人が、トワ様という予想外の人物の乱入により回収し損ねたモノが残っておりましたので、こちらで成分を調べさせて頂きました」
それを聞いた彼はぐうの音も出ないのか、奥歯を立てるように顔を顰め黙り込む。
そんな彼に内心で嘲笑しながらもユリウスは、微笑みながら次の段階へと移行しようとする。
すると、会場内から戸惑いを抱える声が上がった。
「それならば何故、ベリタス嬢まで平気だったのだろうか?」
その問いに、ユリウスは待っていましたと言わんばかりに小さく頷くと、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「素晴らしい疑問ですわ。なぜ、この場にいらっしゃるベリタス様も影響を受けなかったのか――その理由も、すぐに明らかにして差し上げましょう」
そう言い淑やかにベリタスへ近づくと、彼女は躊躇うことなくその股間を手に持っていた扇で叩きつける。
瞬間――
「うあ──ッ!」
女性であろう彼女の口から、聞いたこともないような野太い悲鳴が漏れ落ち、悶絶するようにその場に倒れ込んだ。
その拍子に装着していたピンクのカツラが地面に落ち、隠されていた白く傷んだ頭髪が露になる。
(ふふっ、やはりピンク髪はカモフラージュでしたわね)
内心で満足気に嘲笑した後、ユリウスは堂々とした態度で事実を告げた。
「――こういうことですわ」
しかし、それに対する驚愕は感じられない。
(……? 皆さんどうしてそんなに険しい顔をされているのでしょうか? お父様が以前、男性の急所がここだと仰られていたのでその通りにした迄なのですが――)
ユリウスは、一瞬キョトンと小首を傾げながらもトワへ視線を向ける。しかし、彼も今回ばかりはなぜか視線を合わせたくないらしい。顔を背けて素知らぬ顔決め込んでいる。
(……トワ様の反応から見ても、私は何か宜しくないことをしてしまったのでしょう。ですが、その理由をこの場で追求する必要もありませんわ)
そう結論づけると、彼女は何事もなかったかのように話を続けた。
「さて、私にお香が効かなかった理由と、べリタスさんの正体が理解頂けたことでしょうから、次へ進めさせて頂きますね」
「ちょっと待て!」
パバートが再び声を張り上げる。その表情には困惑と焦燥が入り交じっていた。
「はあ……いったい何ですの?」
「お前がさっき言ったことを信じるとしたら、おかしい点があるだろう!」
「と言いますと?」
「お前が調査したというお香は、以前お前の部屋に侵入した犯人が置き忘れたものだったんだろう? なら、なぜ今回、この王宮には新品のものが届けられたんだ!?」
その瞬間、目から鱗だと言わんばかりに会場からも同様の疑念が広がっていく。
「確かに……どういうことだ?」
「おかしい……」
ざわめきが徐々に大きくなる中、ユリウスは小さく口角を上げると、改めて静かに語り始めた。
(ふふっ。やっとそこに気付いてくださいましたか)
ユリウスは満足げに目を細めると、改めて静かに語り始めた。
「理由は簡単ですわ。こちらのお香ですが――これは、私がとあるオークション会場で落札させていただいた催眠効果のあるお香となっております」
「な……っ! お前、そんなものを私宛として送り付けたのはどういうことだ!?」
「パバート様、少々お口が騒がしいようですわね」
そんな彼の態度に、彼女は口元に手を当て静かにと促すと、淡々とした様子で言葉を続けた。




