『32』
令嬢たちの証言を全て聞き終えたユリウスは、ちらりと時計に視線を走らせる。
(……パバート様の推理劇をこのまま聞くのも良いですが――ふふっ。少しだけ、場を乱してみるのも悪くはありませんわね)
内心で悪戯っぽく微笑んだユリウスは、次の瞬間には表情を一転させ、悲劇のヒロインのような切なげな瞳で声を震わせる。
「トワ様……私というものがありながら、まさか他の令嬢にまで手を出していたのですか……? いくら一夫多妻制とはいえ……あんなに愛してくださいましたのに……私、心が折れてしまいそうですわ」
その言葉に場の視線が一斉にトワへ注がれる。
「は?」
予想外の展開にトワは目を見開き、呆気にとられたまま彼女を凝視する。
しかしユリウスは、そんな彼の反応を楽しむように、あえて演技を続けた。
「ああ……私は殿方を見極める目が養われていなかったのですわね……。これほどまでにも物狂いに愛されてしまうなんて……。私、夢にも思いませんでしたわ」
言いながら、視線で“合わせてくださいませ”という無言の指示を送る。
瞬間、トワの瞳がわずかに揺れたが、すぐに彼女の意図を察したらしい。僅かに目を細め、静かな口調で応じた。
「誤解だ、私が愛しているのはお前だけだ。他の令嬢に気を許すことなど、あるはずがないだろう?」
その声は冷静に聞こえるが、ユリウスは彼の耳朶が僅かに赤く染まっているのを見逃さなかった。
(ふふっ、トワ様ったら恥ずかしがっている割に、なかなかお上手ですわね。ですが、まだ時間が余ってしまいますわ。それまで付き合っていただきますわよ?)
小さく呟くと、彼女は儚げに視線を伏せ、続ける。
「では、どうして“赤目”や“悪魔”という言葉が? トワ様が嘘をついていないと仰られるなら――誰かが大貴族である貴方を貶めようとしているのでしょうか?」
「ああ、その通りだろうな。知らぬ間に誰かの恨みでも買ったのだろう。とはいえ、これほどまでに愚劣でくだらん茶番に巻き込まれるとは――私も舐められたものだ」
トワは露骨に不快感を表すが、ユリウスはそれを内心で楽しむように満足げな笑みをひとつ。
(ふふっ、まるで私の心を読まれているような完璧さ。さすがトワ様と言うべきでしょうか? それとも――良い意味で気持ち悪いと言うべきでしょうか?)
彼をそんな風に評価しつつも、ユリウスは王宮内にある大時計が十五時を告げるまで、あえて茶番を続けた。
――ゴーン、ゴーンッ。
清らかな鐘の音が響く茶会席。
それを合図に、一人の老父が姿を現した。
仕立ての良い漆黒の外套に身を包み、得体の知れない雰囲気を漂わせるその男は、優雅な一礼の後、小包をそっと差し出し、静かな声音で告げる。
「ユ……いえ、失礼いたしました。パバート・フィッシャー様宛に、ご指定の時刻通りお届けに伺いました。……くれぐれも、お取り扱いにはご注意を」
老父は意味深な微笑を浮かべると、そのまま立ち去っていく。
(ふふっ。指定した場所と時間に、きちんと届きましたわね)
ユリウスは、小さく不敵な笑みを浮かべると、自然な流れでトワとの茶番を切り上げ、興味津々な素振りでパバートへ問いかけた。
「もしかして、今回の茶会のために特別なお品を用意してくださっていたのですか?」
「は、いや、私は、何も――」
明らかに動揺の色を見せるパバート。
しかし、ユリウスが逃げ道を与えるはずもない。
(ふふっ。そちらは私が注文し、手配させていただいた『黒薔薇事件』で実際に使用されたお香。おそらく王宮の裏門で彼女から受け取ったはずですから、中身を知らないのも無理はありませんわね。ですが――そのまま無視などさせませんわよ)
ユリウスは扇を軽く揺らしながら一歩パバートに近くと、箱を開けるよう誘導する。
「ご謙遜なさらずに。この茶会の為だけに、素晴らしい品を手配してくださったのでしょう? きっと、この場にふさわしい、特別な物に違いありませんわ!」
自然な仕草と明るい声音に誘われ、周囲の令嬢たちは、先ほどまでの茶番をすっかり忘れ、一気に興味を示し始める。
「あら、それはぜひ開けて見せていただきたいですわ!」
「私も拝見したいです!」
次々と声が上がり、場の注目が一気に小包へ集中する。
そんな場の関心の高まりに、虚栄心の塊のようなパバートは、その流れに逆らうことができなくなってしまったのだろう。
「し、仕方ないな……。皆がそう言うのなら――」
口元を微かに引き攣らせながらも、彼は従者に小包を開けるよう指示をした。
従者が包みを開けると、なんとも形状し難い、歪な銀色の小瓶が現れる。
「な……っ!」
瞬間、彼の顔が明らかに強張る。
(ふふっ、そちらはルクス・ルナエ・トゥリスでしか手に入らない特製のお香ですわよね。貴方の表情を見るに、初見でないことは明白。さて、どのような反応を示されるのか――楽しみですわ)
ユリウスは打算的な笑みを一つ零すと、パバートの反応を楽しむように目を細めた。
そして、まるで余興を楽しむ観客のように、あえて感嘆の声を上げ、再び令嬢たちの興味を引き寄せる。
「まあ。中身はお香でしたのね。どんな香りのお香なのでしょうか? せっかくですし、実際に炊いて頂けませんこと?」
「いや、えっと……」
パバートは、まるで目の前の小瓶が爆弾であるかのように、動揺した声を洩らし狼狽える。
(はあ……。そのようなあからさまな態度をされては、“条件付きとはいえ強力な催眠効果がある”ことを知っていると、自ら暴露しているようなもの。とはいえ、彼はプライドが高い御方。自爆しない限り罪を認めないでしょう)
ユリウスは呆れたように小さく息を吐くと、追い詰めるように畳み掛けた。
「私、焦らされるのは好きではありませんの。お香の炊き方くらい存じておりますので、従者にでもやらせましょうか? それとも、ここではお見せできない――危険な代物だったりするのでしょうか?」
令嬢たちの好奇の視線が再びパバートへ集中し、その瞳には興味と僅かな不安が入り混じる。
やがて耐えかねたのか、パバートは慌てた様子で手を振り、従者にお香を炊くよう命じた。
「わ、分かった。しかし、これは非常に高価な品だ。万が一にも損傷があってはならない。私の従者に任せよう」
命じられた従者は、疑問を持つ様子もなく銀色の小瓶を慎重に手に取ると、火元の準備を進める。
(なるほど。従者の反応を見るからに、こちらのお香の効果を知っているのはパバート様とべリタスさんの御二方のみということでしょうか)
ユリウスは状況を冷静に観察しながら、扇で鼻元を覆う。そして、事前に用意していたゼオライトを核とする特定の薬品を遮断するアーティファクトを密かに起動した。
やがて従者がお香を炊くと、細く白い煙がゆらりと立ち昇る。しかし――
「このお香、なんの香りもしませんわね?」
令嬢の一人が首をかしげながら呟くと、他の令嬢たちも次々に同調するような声を上げる。
「確かに、何も感じませんわ」
「一体どんな香りなのかしら?」
戸惑いが場に広がる中、ユリウスは僅かに眉を上げ、微かに口元を引き締めた。
(あらあら、先ほど攫われた際に“変わった香り”を嗅いだと仰っていたのに、矛盾してらっしゃいますわね。十中八九、彼のおつむが弱いせいで、この矛盾を見逃していたのでしょう)
一方で、令嬢たちの婚約者や男の従者たちは、眉をひそめつつ反論を口にする。
「僭越ながら申し上げますが、香りは濃ゆく漂っております」
「微かに漂う甘やかな香りに入り交じる、この独特な香りが分
からないとはどういうことだ!?」
男女の反応の違いに、場は次第にざわめき始めた。
『どうして私たちだけ?』
令嬢たちは混乱の表情を浮かべたまま。
『なぜお前たちには分からない?』
男たちは眉間に皺を寄せ、困惑した様子で問い返した。
その直後――お香の煙が広がりを見せ、令嬢たちが次々にその場へ倒れ込んでいく。
「な、何事だ!?」
「急になぜ……!?」
一瞬にして会場が混乱に包まれる中、トワが鋭く声を張る。
「その香を消せ。それが原因だ」
お香の効果を知っている彼にとって、その判断は至極簡単なもの。
そもそも、お茶会の席が数時間続く中、体調を崩す者は誰一人いなかった。にもかかわらず、お香が焚かれた瞬間に令嬢たちが倒れ始めた。この異常事態の原因が“お香”だということは、誰の目にも明らか。
一方、事前にアーティファクトを起動していたユリウスは、扇で鼻元を覆ったまま、倒れた令嬢たちを静かに見下ろしていた。
その隣には、同じく無傷で立っているベリタス・フィユートの姿が。
(なるほど、彼女はベリタスさんではなく、成りすまし――つまり、夜が真実を覆い隠す。そういうことですか)
内心で確信を得るユリウス。
しかし、この状況は他の参加者から見れば異様に映るのだろう。
「なぜ、君たちは無事なんだ?」
「説明してくれ、一体何が起きている?」
男たちが次々と疑問を投げかけるが、ユリウスは小さく肩をすくめるだけ。
「さあ? パバート様に聞けば何か分かるかもしれませんわね」
瞬間、場の視線が一斉にパバートへ集中する。
「こ、これは――いや何が起こっているのか、私にも分からないんだが!?」
焦りを隠しきれないパバートの言葉。それに加え、お香を用意したのはパバートだと思っている周囲の男たちには、言い訳にしか聞こえないのだろう。
「何故こんなことになったのか」
「事前に安全の確認はしていなかったのか」
次々と批判が飛び交い、追及は激しさを増していく。
そんな彼らの視線に追い詰められたパバートは、助けを求めるようにベリタスへ視線を送る。
しかし、それはあまりにも露骨すぎるもの。
(ふふっ。これだけ動揺していれば、ほんの少し刺激を与えるだけで、勝手に真相を漏らしてくれるでしょうね)
ユリウスは唇で弧を描くと、高らかに声を上げた。




