『20』
「トワ・レイヴン! 我が娘ユリウスへの危害、並びに令嬢誘拐の罪により、貴方には王家の裁きを受けてもらいます!」
ソフィラスの宣言が静かな夜に鋭く響いた。
彼はギリッと歯を食いしばり、拳を強く握りしめるが、抵抗の意思は見せない。
「……好きにしろ」
その一言が沈黙を生む。
彼女にもっと早く真実を話していれば、独断専行をしなければ……。
諦め、後悔、自責――
そんな感情が、彼の心を締めつけていた。
(俺の未熟さが招いた結果だ……)
内心で自虐し、更に深く唇を噛む。
だが、それでも抑えきれない思いが胸の中で渦を巻く。
(本当の犯人は野放しで、無実の罪を擦り付けられるとは、俺もまだまだだな)
*
「何を馬鹿なことを仰っているんですの?」
凛とした声が静寂を裂く。
――刹那。一斉に視線がユリウスへと集中した。
そんな視線たちには目もくれず、彼女はトワをチラリと見やりながらゆっくりと身を起こす。
(ふふっ、安心したような、それでいて腹立たしげな眼差しですこと)
彼女はそれを確認すると、わざとらしく溜息をついて口を開いた。
「話を聞いていますと、私を勝手に殺そうとしたり、許可なくトワ様を王家へ差し出そうとするなんて――」
そこまで言うと、皮肉めいた笑みをひとつ。
「無粋ですわね」
瞬間、場が凍りつくように静まり返った。
誰もが口を閉ざし、場の行く末を見届けようとする中、ソフィラスが強い口調で食い下がる。
「しかしだな!」
だがユリウスは、予想通りと言いたげに淡々と返す。
「証拠が揃いすぎている」
「そうだ!」
即座に賛同する父。
「ではこう考えてみるのは如何でしょう?」
彼女はゆっくりと視線を巡らせ、試すように告げる。
「トワ様は真犯人に嵌められ、利用されていただけと」
冷静な反論。ソフィラスは苛立ちを隠すことなく反発する。
「そんなこと考えられるわけがないだろ!」
「何故ですの?」
ユリウスの静かな問いに、ソフィラスの顔が僅かに引きつる。
「赤目の悪魔とまで呼ばれている男だぞ! 疑わない方がおかしい! それに、お前の首を締めようとしていたではないか!」
激情を込めたその声にも、ユリウスはただ深く息を吐き、肩をすくめるばかり。
「はあ……そうですわね」
「そこまで状況が揃っていて、この男を疑わない方が不自然ではないか!」
ソフィラスはトワを指さし、強い拒絶を示す。
「ですわね」
軽く、しかし打算的な含みを持たせつつ頷く彼女。
「ユリウス、お前は賢い娘だ。父である私と同じ見解を示すというのに、何が気に食わないんだ?」
僅かに瞳を揺らしながら問いかけるソフィラスに対し、彼女は扇で口元を隠すと小さく笑う。
――反撃の幕開けだ。
「私、いつお父様の意見に賛同いたしましたか?」
瞬間、ソフィラスの表情が凍りつく。
「何……?」
「はあ――お父様、もう少しご自身で周囲の状況を窺い、把握した方がよろしいのでは? 少し改善するだけで、お母様の苦労がだいぶマシになりますわよ?」
嘆息とともに告げると、ユリウスは皮肉たっぷりの眼差しで父を見下ろす。
その視線に気圧されたのか、ソフィラスの顔が引き攣るが、彼女は気にも留めず言葉を続けた。
「まあ、確かにこの状況はお父様の仰る通り、全てが整いすぎているように見えますわね。そしてトワ様が迂闊な振る舞いをなさったせいで、更に疑念を招いてしまわれた。ですが、首を絞めようとした件については――語弊ですわね。だって私、耳にしてしまいましたもの」
そこでわざとらしく口を閉ざし、間を取る。
瞬間、誰かがゴクリと唾を飲み、緊張感が高まっていく。
ユリウスは場の関心がトワから自分へ移ったことを確かめると、小さく口角を上げ、扇で口元を隠した。
「そんなに緊張なさらないでくださいませ」
そして――確信に満ちた様子でさらりと続ける。
「トワ様は眠っている私を相手に、愛の告白の練習をなさっていただけですわ」
直後、視線が一斉にトワへ集中する。
「なっ――」
彼は耳まで朱に染め、ユリウスを睨みつけた。
そんな彼の取り乱しようは、“赤目の悪魔”と称される冷徹さを微塵も感じさせない。
(この私を練習相手にしたんですもの。いい気味ですわ)
だが――ユリウスの発言がトワの地獄の始まりとなる。
「ちょっと待て! ユリウスとトワ様は婚約関係にあるのだぞ!? 娘との婚約は遊びだったというのか!?」
ソフィラスの怒号に、トワは珍しく動揺し、即座に反論した。
「……は? いや待て、彼女の証言には語弊がある。そもそも、俺はそんなことを言った覚えはない!」
普段の冷静さはなりを潜めているが、本人は平静を装えているつもりなのだろう。
そう言いながらもトワは、探るような視線をユリウスへ向けた。
その眼差しには、いつから意識を戻していた? という無言の問いが込められているよう。
ユリウスはそんな彼を見据えるとくすり。
しかし、いじめすぎたと考えたのだろう。次の一手を投じる。
「まあ、先ほどの話は嘘なのですが」
その言葉に一同は困惑するが、彼女は涼しい顔でさらりと続けた。
「赤目の悪魔たるトワ様は私の婚約者ですわよ? いくら政略的とはいえ、二度目の婚約破棄なんて私に不利すぎます。許しませんわ」
軽く皮肉を交え、場を乱し続けるユリウス。
だが、その瞳は記憶と現状を照らし合わせ、鋭く何かを探ろうとしていた。
(……揺れている?)
ふと視界の端に揺れるカーテンに気づき、ユリウスは視線を向ける。
(就寝前に鍵はかけたはず。――つまり今、窓が開いている可能性が高い、ということですわね)
そこまで推理すると、床へと視線を落とした。
床に残る微かな足跡と黒い布切れ。それから、赤く光るナニカとガラス片。
ユリウスは頭の中で情報を整理し、再構築する。
(犯人は土足で侵入し、私を誘拐しようとした。そこへトワ様が現れ、揉み合いの中で犯人の服が破れ、赤いナニカを落としたことにも気づかず窓を大きく破って逃走した……)
そこまで推理すると、彼女は口角を僅かに上げ、瞳を光らせた。
「私、急に後ろから襲われ、意識を飛ばしてしまいましたの」
「は?」
突然の告白。その言葉に、周囲は明らかな動揺を見せる。
ユリウスは周りの態度を確認しながら、慎重に間を取って問いかけた。
「きっとトワ様は異変に気づき、私を助けてくださったのでしょう。さてお父さま、意識を失った方を見つけた時、まずすべきことはなんでしょうか?」
その問いには、“当主たるもの、これくらい答えられて当然ですわよね?”という皮肉が込められている。
ソフィラスは一瞬、困惑したように瞳を揺らすとボソリ。
「健康に異常がないかの確認だな……」
「その通りですわね。お父様は今、随分とお疲れのご様子。少しはそのくたくたの頭に栄養を補給して差し上げてはいかがでしょうか? そうすれば、もう少しだけ正しい判断ができるかもしれませんわね」
ユリウスは冷笑を浮かべ、扇を軽く揺らした。
父は小さく苦笑を漏らすが、その内心は怒りか――はたまた呆れで満たされているのだろう。
しかし、彼女は意に介すことなく、涼やかに自身の要求を口にする。
「というわけですので、トワ様を王家へ引き渡すのは後回しにしていただけませんこと? 私、彼に聞きたいことがございますの」
ソフィラスは一瞬沈黙したのち、抑えた声で問いかける。
「……何か確信があるのか?」
そこには父としての迷いと、当主としての冷徹さが微かに滲んでいる気がした。
だが、彼女は肩をすくめ、愛らしい微笑みを浮かべるのみで、その内を明かそうとしない。
「さあ?」
ただ一言、意味深に告げるだけだった。
そんなユリウスの発言に、しばし葛藤を見せていたソフィラスだったが、やがて深く息をつき決断を下した。
「……分かった。今日はお前の考えに乗ろう。しかし、明日の朝までにトワ様の潔白を証明できなければ、王家に差し出す。異論は認めないからな」
その言葉には、迷いを残しつつも微かな威厳が滲んでいる気がした。
(お父様のそのような態度、初めて見ましたわね)
ユリウスは父の姿に僅かな関心を抱きつつ、静かに口を開く。
「ええ。お父様のお気持ち、しかと受け止めましたわ」
その返答にソフィラスは何か言いたげに一拍置いたが、考えを改めたのだろう。トワを託すように踵を返すのだった。
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