そこにあるのは半端な恋じゃなくて完全な愛
私の心はどんどん旦那様との心の障壁が解けてきている。……だが、これが果たして『恋』なのだろうか。
『恋』を知らない私にとって、彼を見つめる時に跳ねる胸の妙な緊張感や、彼が他の女の子と親しげに話している時に覚える小さなモヤモヤが何なのか、確信が持てないのだ。
ただの依存なのか。過酷な運命の中で、私を一人の人間として慈しんでくれる数少ない一人である彼への、しがみつくような甘えに過ぎないのではないか。
そんなことを考えながら、私は屋敷の回廊を歩いていた。これは昨日からの仕事の疲れを紛らわすことも兼ねている。ここ最近は雑事が立て込んでいて、なんだかんだで不眠不休が続いていた。
物思いに耽っていた私を現実に戻したのは、かろうじて声が聞こえ、表情が分かる程度の距離にある別の回廊からの会話だった。
「他所の星のお飾りお姫様との新婚生活はどうだ、王配殿下殿?」
声の主は、私と旦那様の結婚の取り次ぎに協力し、結婚時にはアビリスターから旦那様の身の回りの世話や双方の調整のために派遣された側近のケン・ギチュウ。
「そんな言い方しないでよ。僕は王配の地位なんて関係なく、彼女と結婚できて良かったと思ってるんだ」
旦那様とも知り合ったのは数ヶ月前のはずだがいつの間にか、旦那様とお互いに砕けた様子でリラックスした会話ができるくらいには親しくなったらしい。
私にとってはどちらにせよ生理的に苦手な相手なので、気配を消して会話だけを見聞きさせてもらうことにする。
「けど、アビリスターの敵対勢力の魔術師だぞ。ぶっちゃけお前の世間体は、ここではともかくアビリスターでは最悪だろうぜ。せっかく弟のマスブレイカは、貴人らしくないってこと以外はまともだってのによ」
それは否定できない。彼はアビリスターから婿入りする際、向こうでは学校も実質退学扱いになっている。正直、王配なんかよりやりたいことがもっと他にあるだろうに……。彼の能力は実用性こそないが特殊なため、アビリスターでの生活も、少なくとも貧困層と呼ぶようなものではなかったとのことだ。
「それに、まるで血みたいに真っ赤な瞳と髪、無駄に大人っぽいくせに体型は不気味で体つきも貧相……めちゃくちゃ気持ち悪いだろ?」
(――っ!!)
今すぐ私が持っている全ての魔術を使ってこいつを殺害したいという本能を、必死に抑え込む。
「こんな女、1回子供を作る以外はほっといて、早くゲンソクトウの伝統を最大限利用して第二夫人、第三夫人を迎えたらどうだ? それこそ、俺の妹とかはどうだ? まあそれだとゲンソクトウ生え抜きの側近は反発するだろうから、それとのバランスは必要だがな」
(……ああ、そうか。ゲンソクトウの一夫多妻制度……)
我がゲンソクトウにおける帝魔王の家系は、血統を純粋に保つための「完全な女系継承」だ。
しかし、その一方で配偶者である男(王配)には、特殊な一夫多妻が認められている。帝魔王との間に生まれた子は女系として次の帝魔王候補となり得るが、王配が「別の女性」との間に作った子供たちは、当然ながら帝魔王の継承権を一切持たない。
その代わり、その異母兄弟たちは「一門」として本家に生涯仕えさせる手駒となる。家督相続で揉めるリスクを完全に排除しつつ、優秀な配偶者の血を引く従順な従属者を確実に増やせるという点において、政治的には極めて合理的だ。
――なぜ旦那様は言い返してくれないのか。
本当はこれが本心で、私以外の別の夫人を迎えたいのだろうか。
「……そうか。僕は酷い勘違いをしてたみたいだよ……」
旦那様のその声を聞いた瞬間、視界がぐにゃりと歪み、頭の中が真っ白になって血の気が一気に引いていくのが分かった。
結局のところ、彼が王配になったという事実と、結婚式という一大イベントによる一時的な興奮、そしてただのリップサービスだったのだ。本心では、私への恋心なんて最初から存在しなかったのだ。そんな幻を少しでも信じようと思った私が、とんでもなく愚かなだけで……。
そんな現実を受け入れなければならないのに、どうしてもそれを受け入れられない。受け入れたくない。
「僕はとんでもない勘違いをしてたみたいだ。改心するよ」
その声が耳に届く。
私は、旦那様が好きかどうかの理由を「依存」だなんて生ぬるい言葉で誤魔化していたけれど――本当は、心の底からこの人を愛していたのだ。
一目惚れだと言ってくれたあの日から、私の心をすべて奪っていったのだ。
だからこそ……彼が私以外の女を抱くという事実だけで、心が裂けるほど震えてしまう。
彼が別の女性とデートしたり、キスしたり、ハグしたり、さらには身体の関係まで持ってその結晶までつくるところを想像しただけで、吐き気が込み上げてくる。
もちろん、これが帝魔王になった者の義務であり、宿命なのは知っている。
だからこそ――「なんで私は帝魔王で、彼はその王配なんだろう」と、壊れたカラクリ人形のように心の中で繰り返し呟きながら、ボロボロと涙が溢れ出していく。
ちょうどケンが「そうだろ?」と満足そうに頷いた、その直後。
限界を迎えた私の意識はプツリと途切れ、全身の力が抜けた。
――ドサッ。
回廊に冷たい衝撃が走り、私は深い闇の底へと落ちていった。




