お嬢様が地獄から抜け出したのはホラーの始まり
俺とコウレ、そしてミンネは夏休み中に寺で修行中のアギと面会すべく、寺の目の前に到着した。
「でも今はちょうど修行の時間ですから、あの展望台から滝行をしているお嬢様を見学するのはいかがでしょうか」
展望台は寺に隣接する公園のハイライトだ。幅数百メートルの川を挟んで、ほぼ並行に展望台と滝行の修行場が存在している。なので目視が可能だ。まあ放っておいたらこいつが滝行なんてやるはずがないので、木刀を携帯した尼僧の監視付きだが。
「おーい、アギー!」
しかし滝の音は非常に大きいので、声をかけても無駄である。展望台周辺には当然売店どころか自販機すらないので、飲食物はミンネが屋敷から持参している。
ちょうどアギもこちらに気がついたらしい。首の動きが俺たちの方を向いている。
その時、強力な突風が吹いた。
コウレとミンネの二人が風に煽られ、不可抗力的に口付けを交わす。ハーレムラノベとかによくある、ラッキースケベというやつだな……。
アギの顔が、怒りで最大温度まで沸騰する。坊主頭なので、いつも以上に赤い顔が目立つ。
老尼たちが制止する前に、アギは幅数百メートルの川を飛び越え、コウレに飛びかかった。本来なら屋敷の書庫から漫画の資料本を持ち運ぶのに苦労するレベルの身体スペックなのに、こういう時だけは馬鹿力を発揮する。
「コウレ、ミンネ! なにをやっておるのだ、お前たちはーっ!」
使用人の立場なら「飛び越えることに失敗して川に落ちなくてよかった」と思うべきなのかもしれないが、そんなことを考える時間すら与えず、アギはコウレの胸ぐらを掴む。
「うわーっ!」
「コウレ、お前というやつは……!」
「事故ですよ! 事故ですよ!」
……まあ、これもラノベとかでよく見るアレだ。
「なんの騒ぎなのかしら」
「ひょっとして修羅場ってやつか、これ」
一応展望台なので、そこそこ人混みはある。俺やコウレはともかく、ミンネはもちろん、アギも丸坊主頭だろうが顔立ちは整っている。男の胸ぐらを掴むなんてやってたら、当然野次馬が集まってくる。
場を収めたのは、ミンネの一言だった。
「……とりあえず、お寺の方に迎えに来てもらうべきなんでしょうか、これ」
それを聞いたアギは、俺たちが取り押さえる間もなく、一目散に走り出した。
「ふうんだ! 勝手にお前たちはイチャついてろ! 私はこの早寝早起きで、食生活も一汁一菜の規則正しい生活と、締切よりはるかに早く原稿を仕上げさせられるこの非人道的な環境から逃げるからな!」
……それは非人道ではなく、真人間道的な環境という。
不貞腐れと、地獄から逃げられる希望に満ちた目つき。
「おい、待ておい!」
俺は反射的に追いかける。
当然コウレたちはすぐに追いつけず、前を見るとアギに追いついたが、後ろを振り返ると既にコウレやミンネの姿は無くなっていた。
お互い何キロぐらい走っただろうか。
正直、普段引きこもって締切前以外は食っちゃ寝しかしないお嬢様と同一人物には思えないぐらい長い距離を逃げ続けたなと感心する。寺の修行で少しは体力がついたのかな?
「はあ……捕まえたぞ! 大人しく観念しろ! 今なら俺がなんとかコウレとミンネに、早めの帰館交渉をしてやる!」
「ぐっ、どこを触ってるんだ、お前は?」
俺はアギを背後から取り押さえる。少しあいつの胸に接触してしまっているが、そんなのを気にする余裕はない。ただでさえアギは滝行の最中だったので、まだびしょ濡れだ。
「もう少し身体も心も成長してからにしましょうか、お嬢様?」
「ほっとけ。本当にこんなところまで追いかけてくるとは」
「俺だって一応工務隊員だからな。流石にニートお嬢様に撒かれたら一生の不覚だよ。……ってか、そもそもここどこだ?」
しかしどうやら、俺たちは迷子になってしまったらしい。
そもそもここは、すごく不気味な森である。
「おそらくここは旧道か? 付近に宿場町とかの廃墟があるし」
まあ俺はスマホを持っているので、コウレたちに連絡を取ろうとする。しかし圏外らしい……。
「……まさか、スマホがつながらないのか」
この星は過疎地が多いので通信技術には力を入れているはずなのに。
そもそも走ったのは寺から人間の足で1時間もかからないような場所であり、旧道といっても、通信が使えなくなるのはただ事ではない。
アギも現実を理解したらしいので、俺もとりあえず取り押さえるのをやめる。
「とりあえず、来た道を戻るか?」
「……そうだな」
アギが引き返そうとした時だった。
「ここから先、どこにも行けないぞ」
そんなバカなと思ったが、本当に引き返そうとすると、不思議な力で跳ね返されてしまう。
それどころか、四方を同じ力で塞がれていることにも間もなく気づいた。
俺たちは、完全に閉じ込められたらしい。
そしてなにかそれ以外にも激しい不気味さを感じた。




