いてもいなくても迷惑なお嬢様
引きこもりクズニートのアギお嬢様が、アギ和尚様になってから一週間が経った。
当たり前の日常というものは、ただ無くなっただけでは気づけない。それによって普段のルーティンが狂い出して、初めて気づくもののようだ。
「あれ、ミンネさん。こちらのスープの取り分けは? ピーマンやにんじんがないんですが」
ピーマンやにんじんは、いずれもアギが嫌いなものだ。
「そりゃあもちろんお嬢様の……って、あー」
「あの子は修行中ですよ。しっかりしてください、ミンネさん」
「おいコウレ。この服、出しっぱなしじゃないか」
「それはもちろんお嬢……」
いないはずの人間のために無駄な作業を増やしたことに気づき、コウレは黙る。
「おまけに、なんでアギがいつもゲームやテレビを見てる部屋に行くんだ?……まあ聞かなくてもわかるけどな」
コウレはいかにも「あ、いない」って感じで立ち尽くしている。
「コウレ君も人のこと言えないじゃないですか。……まあ、変な感じではありますけど」
「何がですか?」
「お嬢様がいないと、こう……暇すぎて逆に落ち着かないっていうか」
「まあ無理もないがな。お前たち二人とも、いつもは『勉強しろ』『飯食え』『風呂入れ』とか言って、退屈できなかったのだから」
「まるで僕とミンネさんが親バカみたいじゃないですか! 純粋に少し生活のルーティンが変わっただけですから、すぐ慣れますよ」
しかしさらに数日後、その宣言は有言不実行を示した。
「こら、アギ。そんな姿勢でテレビを見ないでください。そもそもまだ仕事も原稿も残ってるでしょ?」
「うるさいうるさい!」
「おい、コウレ。……なに一人芝居してるんだ?」
「相当な重症ですわね」
「……」
「……」
「学校嫌いの引きこもりでゲームとアニメ三昧、生活能力は幼児未満。本当に迷惑な人ですねえ……夏休みの間とはいえ、いないおかげで本当に落ち着きます」
「酷い言いようですね」とコウレが笑ったが、その笑いにはどこか空虚さが混じっていた。
「くだらない理由で家出するわ、迷子になるわ、学力も身体能力も皆無なくせに、くだらない理由で激怒するときの攻撃力だけ強烈。なのに完璧超人を自称するナルシストも追加で。本当にいなくなってせいせいしますよ」
「しかしいなくなっても、本当迷惑ですね、あの子……」
「ですね……」
怠惰な引きこもりで、たまにやる気を出すと屋敷を破壊するわ迷子になるわ不味い料理を作るわ……はっきり言えば、いなくなってせいせいするレベルのはた迷惑な人間であることは確かだ。アギの修行については、本来の雇い主であるヌルタイジや他の使用人にも了承を得ているから、尚更まったく問題ない。しかし二人は並大抵ではない世話焼きだ。やはりこのわんぱくな妹みたいな子の世話を他人に委ねるのは、心にぽっかり穴が空いてしまうらしい。ダメな子ほどかわいい、という母性だろうか。
「でもここで心を鬼にしないと、あの子は変わらないでしょうからね」
「だがそもそも修行させたところで、アギはちゃんと新学期から真面目に授業を受けるのかね?」
「そりゃあ修行させられることを考えたら、ちゃんと授業(教科書でスマホを隠しながら)も、課外活動(可能な限りサボろうとしながら)も、家でもちゃんと早寝早起きして(少し聞き分けがよくなる程度?)、私生活も改めて(修行がイヤなのでやる気は出すが結局館を壊す)」
前と同様に、()の中に入っているのは、俺とミンネ、コウレが同時に思い浮かべた脳内映像である。
「……まあ、あの子の根が変わるわけないですよね」
「ですよね」
「……とりあえず、また会いに行ってあげましょうか」
「ですね。あんな子を預かってもらってるお寺の方にも挨拶ぐらいはしないと悪いですし。」
そのとき、ミンネのスマホが小さく震えた。画面を見た彼女の表情が、わずかに強張る。
「……お嬢様から、短いメッセージが来ました」
「なんだよ。『修行キツいから助けて』とか言ってんのか?」俺が身を起こす。
ミンネは静かに読み上げた。『風呂の温度がぬるい。文句言ったら座禅増やされた。死ぬ』一瞬の沈黙。
「……相変わらずですね、あの子」
いつも通りヤレヤレといった表情を見せるミンネとコウレだが、その内面は明らかにアギの存在を実感して笑っているのが読み取れた。
「あそこは気分転換の場所としては打ってつけだ。ちょっと泊まってくか?」
「……たまにはいいですね」
しかしいざ行った先で、アギといっしょにとんでもない厄介事に巻き込まれることになるとは、この時はまだ知る由もなかった




