第9話 学園長エルリッヒ
どうしてこうなった。
学園長に就任七年目にして初の病気怪我以外での退学者の存在。
しかもそれが聖女候補であることに学園長エルリッヒは顎が外れんばかりだった。
「ど、どどどういうことかね!」
そう学園長室に報告に来た教頭に詰め寄る。
その際にテーブルに置いていたケーキを腹で潰してしまったがそれどころではない。
教頭は青い顔をしつつ先程と同じ内容をエルリッヒに告げた。
「だから、聖女候補のアイラ君が王太子殿下に侮辱され自主退学し、飛んで行ったということです」
「飛んでいくって彼女は天使か何かかね?!」
「常に連れているペットの小鳥が巨大な姿になり、それに騎乗したという話です」
「はあ~っ、聖女とは本当にとんでもない……」
「はい……」
感心と呆れが混ざったエルリッヒの感想に教頭が短く同意をする。
そして二人はほぼ同じことを考えた。
「これから先、面倒なことになるぞ……」
アイラという生徒について特に個人的な印象は無い。
可愛らしいが地味な容姿で大人しく従順そうだった。
成績は悪いらしいが元孤児なのだから貴族たちに合わせた授業進行についていけないのは仕方が無い。
彼女に関しては教会から派遣された聖女候補で王太子殿下のお気に入りという印象がほぼ全てだった。
そう、聖女候補なのだ。
しかも候補と言っても治癒の加護という規格外の能力である。
つまり将来は大聖女の後を継ぐことがほぼ確定している。
自主退学したということは当たり前だがアイラはもうこの学園に通わない。
つまり明日から学園に登校しても治癒の恩恵を受けられなくなるということだ。
大切に育てられた健康な体を持つ貴族の若者たちはすぐには気付かないかもしれない。
けれど先天的に体が弱かったり、加齢で体調を崩しやすくなった者たちには明日からでも絶望が与えられるだろう。
学園長はでっぷりと肥えた腹を汚したケーキをハンカチで拭い取りながら溜息を吐く。
医師に止められていた甘味も食べ納めになるかもしれない。
そして明日からは膝や腰の痛みに苦しむかもしれない。
そう考えるだけで既に体の節々が痛くなってきた。
「なんで治癒の聖女をよりによって王太子殿下が侮辱したのだ?」
「それが……聖女候補が人前で王太子に恥をかかせたと」
自分もその場にいた生徒から聞いた話ですが。
そう前置きして教頭が話し始めた内容にエルリッヒは難しい顔をした。
聖女候補が人が大勢いるカフェテラスで王太子に「自分では無く婚約者と関わるように」と告げた。
そして王太子は「お前などペット程度にしか思っていない」と言い返したと言うのだ。
それを見ていた生徒たちの大部分は王太子側につき聖女候補を勘違い女だと馬鹿にし嘲笑った。
結果全てを聖鳥を通し見ていた教会側の指示で聖女候補は自主退学を決めたというのだ。
『もう貴方たちを癒すことはない』という恐ろしい捨て台詞と共に。
生徒たちは今も聖女候補に対し怒っており、退学命令を出すように教師に言いつけている者もいるらしい。
既に聖女候補自身が学園を去ると明言したというのに。
「……呆れて物が言えん」
エルリッヒは報告に対し大きく息を吐き言った。
しかしそれには自虐も含まれていた。
「そうか、聖女候補は迷惑がっていたのか」
長くエルリッヒは勘違いしていた。
王太子と聖女候補は相思相愛なのだと。
王太子ティアロは少し強引だが成績優秀で人当たりも良く人望もあった。
何よりも輝く程の美男子で将来の国王陛下だ。
世間知らずの初心な聖女だ。
そんな彼に好意を示され特別扱いされれば即逆上せ上りそれ以上の好意を返すと思っていた。
しかしアイラは違ったようだ。
「そして王太子殿下と婚約者はちゃんと好き合っていたのか……」
婚約しているとすら思えない程学園内で関わっていなかったというのに?
そうエルリッヒは真実を知った後も首を傾げる。
別に学園内には婚約関係中の生徒なんてゴロゴロいる。
時と場所と節度を考えてなら幾らでも仲良くして貰って構わない。
寧ろそうやって自分には相手がいると見せつけて貰った方がトラブルになりにくい。
昼食時や登校や下校時、又自由にペアを組める行事で婚約者と共にいることは問題ない。
しかし王太子もその婚約者のアロイス公爵令嬢も一切そんな関りは持っていなかった。
王太子殿下が聖女候補に付き纏っていると報告を受けた際、一応調べさせたのだ。
結果得られたのはどう見ても仲睦まじさからかけ離れた距離だった。
そして念の為国王夫妻にも王太子殿下の奇行について報告したのだ。
答えが好きにさせよという命令だった為放置して置いた。
「ペット呼ばわり……相手が聖女候補で無くても同じ学園に通って同じ人間の言葉を話している相手だぞ? 堂々と言い放つなど馬鹿なのか?」
「学園長……流石にそれは」
「わかっている。この場でだけだ」
恐らく王太子殿下は本人と周囲が思うより幼稚な精神だったのだ。
だから聖女候補からの遠回しな拒絶に対し侮辱されたと思いそれ以上の侮辱を返した。
「殿下の聖女候補に対する付き纏いはペットや犬猫程度に対する執着などではない」
あれは恋だろう。そう又聞きしただけのエルリッヒでさえ判断した。恋でなくても強烈な好意に間違いはない。
だからこそ国王も放置しろと命じたのだ。
王太子と聖女候補を仲良くさせ、稀有な治癒の能力を持つ聖女候補を王城へ迎え入れる為に。
この国の国王や王太子は一人だけ側室を持つことが許される。聖女候補をその位置に据えるつもりだった筈だ。
もしかしたら王太子の婚約者を公爵令嬢から聖女候補へ挿げ替えることも考えていたのかもしれない。
聖女が王族や貴族に輿入れするのは珍しいが無かったことでは無い。
流石に在校中に結ばれたり、国王や王太子が相手だという話は聞いたことが無いが。
聖女候補が学園に通うということが稀なのだ。
「しかし王家に迎え入れるどころか、下手をすれば教会と王家の戦いになるぞ……」
「とりあえず、その場で聖女を侮辱していた生徒達の一覧は作っておきました」
「ああ、助かるよ」
手渡された書類に目を通す。
男爵令嬢や子爵令息の名前が記載されているのを見て伯爵家出身のエルリッヒは眉を顰めた。
たかが男爵家や子爵家の子どもが将来の大聖女を得意げに侮辱したというのか。命知らずにも程がある。
「同じ物を二つ用意してくれ、王家とアロイス公爵家が欲しがるだろう」
「かしこまりました」
きっと身分が下の生徒達から見せしめとして学園を追われることになるだろう。
王家とアロイス公爵家が圧をかける筈だ。息子娘たちの罪さえ押し付けるかもしれない。
「アロイス家の令嬢も、軽率なことをしたな」
彼女は無言のままでいれば婚約者に軽んじられ続け耐えていた被害者のままで終わっただろう。
しかし人前で堂々と聖女候補を馬鹿にして笑ってしまったのだ。
完璧令嬢と生徒や一部の教師から呼ばれているらしいが詰めが甘い。
「詰めが甘いのは私もか……」
「学園長……」
そして自分も学園長として王家とアロイス公爵家、そして教会の三方向から管理責任を問われるのだ。
胃がずきずきと痛み出した。懐かしい痛みだ。
聖女候補が入学してからは少なくとも学園内では感じた事のない痛みだった。




