攻守交代
エンドロールが流れ出した頃だろうか、握られていた手にあった力が緩んでいくのを感じた。その感触で、放心していた意識が目の前のスクリーンに映った情報をようやく正確に認識し始めた。
「……あれ、もう終わり?やば、全然映画の内容覚えてないや…」
隣にいた彼女も、強張っていた身体の力が抜けて座席にもたれかかるような姿勢になっていた。こんな姿を見るのも初めてだ、私はこの数時間でこの人の知らない姿をいくつ見れたのだろう。
やがてスクリーンの映像が消えて、暖かい明かりが点灯する。見ていた人達はパラパラと席を立ち、出口へと向かって行った。
私達も、そろそろ出ていきたいのだが——。
「……夜月さん、立てますか?」
「ごめんなさい……立てます、立ち、ます」
彼女は腰掛けていた座席の肘置きに手を付き、足に力を入れようとする。
すると、出口の方からスタッフさんが声をかける。
「すみませーん。お時間ですのでご退出お願いいたしますー!」
「ごめんなさい!すぐ出ます!!」
とは言ったものの、私自身が出来ることといえば肩を貸すぐらいしかない。夜月さんが自分で立ち上がって歩くことを待ってあげたいが、仕方ない。
「夜月さ——」
「白花、さん……。その、肩を貸してはいただけないでしょうか……。私、少々足に力が入らなくて……」
私が声をかける前に彼女の方からお願いされてしまった。彼女から言ってくれる方がやりやすい、私から言うとなんだか気を遣わせてしまいそうな気がしたから。
「了解です、そのつもりでしたし」
私は夜月さんに肩を貸して、劇場の出口へと向かった。先程の女性のスタッフが心配してくれていたようだったので、私はありがとうございましたと会釈をし、その場を後にした。
しばらく歩き、比較的人の少ない場所のベンチに腰掛けた。
「ここならあんまりお店も密集してませんから、そこまで人がいないです」
「ありがとう、ございます……」
彼女はそう言うと、そのまま黙ってしまった。私も特に話すことが思いつかず、そもそもこの空気で話して良いのかも分からずに二人の間に沈黙が流れた。
先に口を開いたのは、夜月さんだった。
「その…本当に申し訳ありませんでした。私のせいで、白花さんにご迷惑を」
「いやいや…!そんな迷惑だなんて!」
「いえ、お気を遣わなくても良いんです。映画に集中したいでしょうに、私が……その、お手を握ってしまって」
「それは……まぁ、確かに集中出来ませんでしたけど……」
間違ってはいないが、集中出来なかったのは私があまりにこういう事に慣れていなかったからで……。それにこれは気持ち悪いため、本人に言えたモノではないが、少し役得だった。
「だから、気にしないでくださいっ」
「いいえ、気にします……!そもそも私が、最初からホラーが少し苦手だと伝えておけば良かった話で……」
少し……?
彼女の言葉が気にはなったが、そこを指摘すればまた拗れそうなので流す事にした。
そんな事より今はこの堂々巡りをなんとかしなくては。私が許せば夜月さんが気にして、彼女が謝れば私が気にして。はたから見れば滑稽な、どちらかが折れるまで続くであろうこの気にし合いを終わらせなければ。
「わ、分かりました!私の負けです、夜月さんには迷惑をかけられました!……それで、どうするんですか?」
「こ、ここからのデートは……私がエスコートします」
「……え」
「あっ、そ、そうですよね…!白花さんがせっかく予定立ててくれたのに、私が迷惑かけた上にその予定も無駄にしてしまうなんて……」
「いや、今のは驚いただけで……!私の予定なんて大層な内容じゃなかったので、むしろ夜月さんが考えてくれる方が……嬉しいかもです」
まさかの内容に驚いてしまったが、断る理由のない申し出だ。ろくに女の子と二人で出かけた事のない私が情報の海で掻き集めたものより、夜月さんがリードしてくれる方がよっぽど良い。
「本当によろしいんですか……?」
「ぜひ!お願いします!」
「では……えいっ」
私が承諾すると、夜月さんは一呼吸おいて私の手を握った。今度は上からではなく、手を繋ぐようにして。
「——!?!?よ、夜月さん!?」
「エスコートですから、これぐらい当然です!」
「まじですかっ……!?」
「はいっ、まじです!」
満面の笑みで私の手を引っ張ってくる。私に手を繋ぐ事に耐えられる心臓はないが、この手を離す度胸の方がもっとない。引かれるがままに私はついて行く。
「どこに行くかとかは……」
「内緒ですっ♪」
「知ってました!」
彼女の事だ、恐らくそうだと思っていた。そうだった。
行き先もわからないまま、ただ手を繋いで横について歩くだけ。この状況に緊張して手汗が……。
「夜月さん、あの…手汗かいちゃって」
「んー?私は気にしませんよ?」
「私が気にするんですけど……」
私の抵抗虚しく、頑なに手を離そうとしない。
しかも心なしか、握る力が強くなった気がするのだが。
「さぁ、着きました」
「ここは……」
夜月さんの足が止まる。どうやら、目的地に着いたようだ。レディースのアパレルショップ、かわいい服やおしゃれなアクセサリーが並んである。
「流石夜月さん、こんなおしゃれなお店で服を……。私、ぜひ夜月さんのコーデ見てみたいです、そこで待ってます!」
「——?白花さんが着るんですよ、お洋服。私なりに、似合うものを見繕います」
「わ、私?……はっ!まさか、見るに堪えない服装だったとか……っ!?」
「違いますよ〜っ!私が、白花さんに似合うと思うお洋服を選びたいだけです」
的外れなことを言っていると夜月さんから指摘された。
選んでくれるなら、願ったり叶ったりだけど……なんだか気恥ずかしい感じもする。
夜月さんは店内に入ると、たくさんの洋服に目を通して熟考している。歩きながら一着一着を手に取っては、吟味するように眺めていた。
「これは……ちょっと違いますね」
そう呟いてラックに戻す。正直、私は何が違ったのか分からない。
「こっちは…白花さんなら似合いそうですけど、色が……」
何やら色が気に食わなかったようだ。また、ラックへと戻した。その繰り返しだ。
「…………」
私は少し離れたところで、様子を見ていた。
正直、ここまで真剣に選んでもらえるとは思っていなかった。
私服なんて、普段は動きやすければそれでいい。そもそも服を選ぶこと自体にあまり興味があるわけでもない。可愛い服を見れば可愛いとは思うけれど、自分が着るとなると話は別だ。
だからこそ、こうして誰かに選んでもらうというのは、少し新鮮だった。
「白花さん、少しこちらへ来ていただけますか?」
「はーい、なんでしょうか」
呼ばれた方へ歩いて行く。
夜月さんは私の顔を見て、それから持っていた服を私の身体に合わせるように掲げた。
「……これですね、きっと似合います」
そう言って彼女が選んだのは、淡いくすみブルーのブラウスだった。白に近い青ではあるものの、少しくすんだ落ち着いた色合い。胸元には小さなリボンがあしらわれていて、袖口はふわりと広がっている。派手すぎないのに、どこか可愛らしい。
「可愛いですね…」
「でしょう?」
夜月さんは嬉しそうに頷く。
「白花さんの髪って白いじゃないですか。だから、あまり明るすぎる色よりも、少し落ち着いた色の方が綺麗に映えると思うんです」
「なるほど…考えもしなかったです…」
「それに、その紫紺の瞳にも合うと思いますよ」
「……」
目の色まで計算して選んでくれたらしい。なんだこれ。嬉しすぎるぞ。
「ガチなコーディネートですね…」
「もちろんです。せっかく白花さんのお洋服を選ばせていただくんですから、適当になんて選びませんよ〜」
そう言いながら、彼女は別のラックから淡いグレーのプリーツスカートを取り出した。
「下はこれで。くすみブルーと淡いグレーなら、白花さんの雰囲気にもマッチしてて合うと思います」
さらに少し考えてから、夜月さんは白いローカットのスニーカーを指差した。
「靴は白で合わせましょう。全体的に柔らかい印象になります」
「く、靴までっ!?」
全てのものを渡し終わると、彼女は私の背中を押す。
「さぁ、試着室へ!さぁ、さぁ…♪」
随分と上機嫌な夜月さんが試着室へと私を連れて行く。抵抗せずに靴を脱ぎそのままカーテンを閉める。せっかく選んでもらったのだ。着こなしてやろうじゃないか。
気合いを入れて、試着する。上から順に、身につけていく。改めて鏡を見る、そこには普段とまた違った雰囲気の私が写っていた。
「白花さーん、良いですか〜?」
「はい…っ!開けます!」
と、言いつつ、端の方からゆっくりとカーテンを開く。やはり、どこか恥ずかしくて萎縮している自分がいた。
「もう…恥ずかしくないですからっ、見せてくださ〜い♪」
「ちょっ…」
夜月さんが勢いよくカーテンを開く。反射的に一歩下がってしまう。けれど、逃げるより先に夜月さんの目が大きく見開かれた。
「……とても似合ってます、白花さん」
「——っ、そんなマジトーンで褒めないでくださいっ!」
「だってぇ、本当に似合ってるんですもん」
「……ぅ」
何も言えなくなってしまった。いつもの揶揄う感じで来られたらまだ対応出来たのに。あー、顔あっつ……。
「あれ…もしかして照れてます?」
「照れてません!嬉しくはありますけど」
にやにやしながら私を見てくる夜月さん。いつもアレが来た、これなら対応できる……!
「私も、夜月さんの服……選びます…っ!」
「………ぇ?」
「絶対可愛くさせてやりますから!」
いつもの揶揄いの仕返しをするため、白花吟葉はここに下剋上を宣言した。




