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午後4時。授業も終わり、放課後。体育の時間、有栖ちゃんに言われた事が脳内で反芻する。
「勇気、かぁ。私も好きな子出来たら、勇気出せるのかなぁ」
なんて、ずっと創作物で満足してきた私にはあまり縁のなかった気持ちが胸の中でざわめく。
「……考えててもしょうがない。この仕事早く終わらせて帰ろ」
本日日直だった私は、先生に提出物の回収を頼まれていた。有栖ちゃん達を待たせる訳にはいかなかったので、先に帰ってもらったのだが……、
「これ……手伝ってもらった方が良かった……?」
教卓にはクラス三十人分の化学と古文のノートが積まれていた。とても、一人で運べる量ではない。かと言って、職員室まで二回も往復するのも面倒くさい。
「……よしっ」
結果、一回で運び切る案が採用された。幸い、薄いノートだ。持ち方さえ考えれば、持てないことはないだろう。そうだ、体にもたれ掛からせるようにノートを乗せれば……。
「いける、いけるよこれ!」
ゆっくりとゆっくりと、バランスを崩さないように歩いて行く。目の前の閉まっている扉を見て、先に開けておけば良かったと思った。お行儀が悪いが、ここは足で開けさせてもらおう。
「……落ちつけ私。慎重に進めば、絶対に大丈夫」
側から見ればなんて間抜けな運び方だと思われるだろうか。まぁ、今の私にそんな事を気にする余裕などないのでした。
そして、歩き進めてふと私は気づく。
「……あれ?これ、階段無理じゃない?」
二メートル先に見える階段をこの状態では降りない、と。流石にこのまま降りたりしたら、普通に危ない。
最初からここでどうする事も出来なくなると決まっていた詰みゲーだったのだ。そう気づいてしまうと、意識していた体のバランスが徐々にブレ始める。私は咄嗟に体を反らせるが――、
「あっ、ちょっと待って。これ、ダメなやつ……っ」
持っていた下の方のノートがズレた。バランスを崩したノートはそのまま私の体から遠ざかっていく。
「しまっ――」
そして、私の手を離れたノートは地面に――落ちなかった。
「大丈夫…ですか?」
目の前の彼女が受け止めてくれたから。ノートに隠されてしまっていて顔は見えない。
「あ、ありがとうございます」
「とりあえず、置きましょうか、このノート」
「そうですね、すみません!」
ノートを二人で床に置いた。そして、改めて彼女の方を見る。自分より少し小さく、おさげがとてもかわいい明るいベージュ色の髪。何より、お顔が強すぎる。
「助かりました、あのまま落としていたら帰るのがいつになったのやら……」
「……一人で運ぶのは、やめた方がいいですよ」
「ごもっともです……けど、クラスのみんなもう帰っちゃってて」
「……私、半分持ちましょうか?」
「――!良いんですかっ!?」
そう言って、彼女は床に置いていたノートをもう一度持ち上げる。私も半分になったそれを持つ。なにこれ、軽っ。
「ありがとうございます!!えっと……」
「――?あ、名前……天瀬、りな……です」
「天瀬さんっ、私、白花吟葉です!」
「白花、さん。よろしくお願いします……?」
「こちらこそ。手伝ってもらって、ほんと助かります!!」
勢いよく頭を下げると、天瀬さんは少しだけ目を丸くした。まるでそこまで感謝されると思っていなかった、みたいな顔だった。数秒遅れて、小さく頷く。
「……そんなに、お礼言わなくても」
静かな声。
落ち着いていて、柔らかくて、耳にすっと入ってくる声だった。
「いや、言いますよ!だって救世主ですもん!」
「きゅ、救世主……」
困ったように視線を逸らすその仕草が、なんだか小動物みたいで可愛い。
というか、近くで見ると本当に顔が良い。
さっきはノートでちゃんと見えていなかったけれど、整った目元に、長いまつ毛。透き通るみたいに白い肌に、ふわっとした明るいベージュ色の髪。おさげにしているせいか、全体的に柔らかい雰囲気なのに、顔立ちはびっくりするくらい綺麗だった。
それに、声。
大きくないのに聞き取りやすくて、静かな音楽みたいに耳に残る。
……え、こんな子同じ学校にいた?
今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。
「天瀬さんって、何組なんですか?」
「……二組」
「あ、隣のクラスだ」
思わず声が弾む。
隣のクラスなら、もしかしたらこれからも会えるかもしれない。
そんな事を考えた自分に、私は少しだけ戸惑った。
「……白花さんは有栖さんと仲良いですよね」
「えっ、知ってるんですか?」
「……有名、なので」
有栖ちゃん、やっぱり目立つんだなぁ。
まぁ確かに、美少女だし。明るいし。コミュ力高いし。運動神経までいい。漫画だったら絶対メインヒロイン側の人間だ。
そんな事を考えていると、隣を歩いていた天瀬さんがちらりとこちらを見る。
「……白花さんも、よく一緒にいますよね」
「え、私も?」
「……はい」
思わぬ言葉に、胸が少しだけ跳ねた。
正直、自分が誰かに認識されているなんてあまり思った事がない。
「よく私のことなんか覚えてくれてましたね」
「良く笑っていたので、印象に残って……」
「私、変な顔して笑ってなかったですか!?」
慌てて返すと、天瀬さんはほんの少しだけ口元を緩めた。その変化は一瞬だった。本当にわずかに、柔らかくなるだけ。
でも、その小さな笑みに気づいた瞬間。
心臓がどくりと鳴った。
「…………」
「……どうしました?」
「い、いや!?なんでもないです!!」
危ない危ない。今ちょっと見惚れてた。というか普通にドキッとした。これじゃまるで――。
「……?」
「あー、軽いなー。天瀬さんのおかげで楽だなー」
誤魔化すように早歩きすると、天瀬さんも小さな歩幅で後をついてくる。その足音が、自分の後ろを静かに追いかけてくるのが妙に意識に残った。
廊下の窓から差し込む夕日が、彼女のベージュ色の髪をふわりと照らしている。光を透かした髪は柔らかそうで、風が吹くたびに細い毛先が揺れた。
綺麗だな、なんて。
そんな感想が自然と浮かんでしまった自分に、私は少しだけ戸惑う。
だって今まで、漫画やアニメの中の「好き」で十分満足していたのに。画面越しのキャラクターにときめいて、百合漫画を読んで騒いで、それで楽しかった。
現実の恋愛なんて、自分には縁がないと思っていたし、別にそれで困ってもいなかった。
なのに。
隣を歩くこの子を見ているだけで、胸の奥が落ち着かなくなる。
笑った顔をもっと見たい、とか。また話したい、とか。
そんな事を考えてしまう。
「……職員室、ここです」
「あっ、本当だ」
気づけば目的地に着いていた。いつの間に。こんなに短い距離だったっけ。
二人でノートを先生に渡し終えると、ようやく肩の力が抜ける。積み上がっていたノートが先生の机に移された瞬間、達成感と疲労が一気に押し寄せてきた。
「終わったぁ……」
思わず間延びした声が出る。
「……お疲れ様です」
「天瀬さんがいなかったら終わってませんでしたよこれ」
「……大げさ」
「大げさじゃないですって!」
本当にそう思った。一人だったら絶対途中で詰んでたし、たぶん階段の前で泣いてた。そう笑いながら言うと、天瀬さんは少し迷うように視線を泳がせた。
何か言おうとしているみたいに唇が小さく動く。
「……あの」
「はい?」
「……また、困ってたら手伝います」
「――!」
一瞬、言葉が出なかった。
その一言が、思っていた以上に嬉しかったから。
また話せるかもしれない。
また会えるかもしれない。
そんな期待が胸の中に広がっていく。
「……じゃあ、また困ります!」
半分冗談でそう言うと、
「ふふっ、なんですかそれ……」
天瀬さんは困ったように笑った。でも今度はちゃんと分かるくらいに、柔らかく。
その笑顔を見た瞬間――。
胸の奥が、ぎゅっと甘く締め付けられた気がした。
――あぁ。
これ、たぶん。
思っていたより、ずっとまずい。




