昼休み
一限を終え、二限までの小休み。
教室にチャイムが鳴り響くと、それまで授業に集中していた空気が一気に緩んだ。
さっきまでそれぞれの席で過ごしていたクラスメイトたちが、次々と彼女の席へ集まっていく。
「ねえねえ、前の学校ってどんなところだったの?」「どこから引っ越してきたの?」「好きな食べ物とかある?」「部活はやってた?」
転校初日。それも、こんな時期の転校生。みんな気になるのだろう。
整った顔立ちをしているというのももちろんだけれど、落ち着いた雰囲気や、どこか大人びた話し方も相まって、自然と目を引くのだ。
転校してきたばかりだというのに、もうすっかり教室の中心になっていた。
「…………」
私は少し離れたところから、その様子を眺めていた。別に、仲間外れにされているわけではない。私だって、声をかけようと思えばいつでもかけられる。
ただ……なんとなく。
今は、こうして見ているだけでいいような気がした。
朝、みよちゃんが言っていたことを思い出す。
――すっごく可愛いらしいよ。
確かに、その通りなのだろう。
こうして実際に見れば、周りが放っておかないのも納得できる。それに、みんなに囲まれているのに、紬さんは嫌そうな顔をしていない。
質問を一つされれば、一つずつ丁寧に答えている。誰かが話せば、ちゃんと相手の顔を見て聞いている。そういうところも、きっと人を惹きつける理由なのだと思う。
「前の学校って、どんな感じだったの?」
「そうね……」
紬さんは少し考えるように視線を上へ向けた。
それから、窓の外へ目を向ける。
「……恋守の住んでいたところは、とても星の綺麗なところだったわ。辺り一面が満天の星空……」
その声は、さっきまでの質問に答えていたときよりも、ほんの少しだけ柔らかかった。
まるで、昔の景色を思い浮かべているような。
遠くにある何かを懐かしんでいるような。
そんな話し方だった。
「へぇ……いいなぁ。そんなに綺麗なの?」
「ええ。夜になれば、空いっぱいに星が見えるの」
「じゃあ、都会とは全然違うんだ」
「そうね。夜は静かだし、空気も澄んでいるから」
紬さんは、次々に飛んでくる質問に答えていく。
その話を聞きながら、私は思わず昨日の夜を思い出していた。
――星を、見ていたの。
そう言って、曇った空を見上げていた紬さん。
あのときも、星の話をしていた。
「……」
私はぼんやりと紬さんを見つめる。
すると。
「でも、まぁ…………」
彼女が、ほんの少しだけ言葉を濁した。
「……星と同じぐらい虫もいたわ」
「…………」
一瞬。
周囲の空気が止まったような気がした。
「虫?」
誰かが聞き返す。
「ええ」
紬さんは答えた。
ただし、その声は先ほどより明らかに小さい。
「夏になると、それはもう……たくさん」
「そんなに?」
「ええ……」
彼女は窓の外へ視線を向ける。
その表情は、さっきまで星の話をしていたときとは少し違っていた。
どこか遠い目。
そして、ほんの少しだけ引きつったような表情。
「……星を見ようと、両親と山へ出た時、ライトを持っていた恋守に一目散に大きな虫が飛んできて……」
そこまで言って、彼女は自分の腕をさする。
「……今思い出すだけでも寒気がするわ」
「ふふっ」「虫、苦手なんだ?」
「……ええ」
紬さんは少しだけ間を置いて答えた。
「得意ではないわね」
「意外!」
「そう?」
「なんか恋守さんって、そういうの平気そうに見える」
「そんなことないわ。恋守だって苦手なものくらいあるもの」
そう言いながら、紬さんは困ったように目を細めた。その姿を見て、周りから小さな笑い声が上がる。
さっきまでのどこか近寄りがたいような雰囲気が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
「じゃあ、虫が出るから星を見に行くの嫌になった?」
「それは……」
紬さんは少し考える。
「……それとこれとは別よ」
「好きなんだ、星」
「ええ」
その返事だけは、迷いがなかった。
「星を見るのは好きよ」
紬さんはそう言って、もう一度窓の外を見る。昼間の空には、もちろん星なんて見えない。それでも彼女は、そこに何かを見ているようだった。
「…………」
私はそんな横顔を見つめながら、昨日の夜の言葉を思い出す。
――頭の中では綺麗な星が瞬いてるの。
あの言葉が、今になってまた頭の中へ浮かんできた。見えないもの。それでも、心の中には残っているもの。昨日はただ、不思議なことを言う人だと思っていた。
けれど、今こうして星の話をする紬さんを見ていると、なんとなく分かる気がする。
この人にとって、星というのは、ただ空に浮かんでいるものじゃないのかもしれない。
「…………」
そんな事を考えているとチャイムが鳴った。紬さんの元にいたクラスメイトは慌てて自分の席に戻った。
◆◇◆◇◆◇◆
四限も終わり、昼休み。食堂に行く人や弁当を食べる人がちらほら出てくる。
紬さんの元には再び人だかりが出来ていた。対する私は、有栖ちゃんとみよちゃんと……。
「ごめん吟葉!私部活の用事で呼ばれてるからお昼は部室で食べる」
「私も、委員会で資料の整理とかしろって言われてるの、ごめんね〜」
「そっか。二人とも大変だね」
「ほんとごめん! また放課後ね!」
「じゃあね、ことち〜」
二人はそれぞれ自分の荷物を持つと、慌ただしく教室を出ていった。
「…………」
取り残された私は、二人の背中を見送る。いつもなら三人で机をくっつけて、お弁当を食べながら他愛のない話をする時間。それが今日は、珍しく一人だった。
「……まあ、仕方ないか」
私は小さく呟いて、自分の席へ戻る。鞄から弁当箱を取り出し、机の上へ置く。蓋を開ければ、いつもと変わらない昼食。別に一人で食べることが嫌なわけではない。
もともと、私は一人で過ごす時間も嫌いではない。
静かな場所で、自分の好きなことをしている時間はむしろ落ち着く。
ふと、教室の中央へ目を向ける。朝からずっと変わらない。質問されれば丁寧に答えて、相手が話せば穏やかに聞く。転校初日とは思えないくらい、すっかりクラスに馴染んでいる。
「…………」
ぼーっと、そんな光景を見ていると教室の後ろのドアが開いた。
「あ…白花、さん」
そこにはひょっこり顔を出して、ちょいちょいと手招きする夜月さんがいた。
彼女の顔を見た瞬間、一瞬ドクンと心臓が鳴る音が大きくなった気がしたが、すぐに治った。
「どうしたんですか?」
「えっと……よろしければ、お昼をご一緒にと…思いまして」
「……お昼?」
「はい」
夜月さんは少しだけ緊張したように頷く。
「ご迷惑でしたか?」
「いえ、全然です」
私は首を横に振った。
「ちょうど一人だったので、むしろ嬉しいです」
「……本当ですか?」
「はい」
そう答えると、夜月さんはほっとしたように微笑んだ。
「よかったです」
「でも、ここで食べるんですか?」
「そのつもりだったのですが……」
夜月さんは教室の中を見回す。
昼休みになったばかりということもあって、教室にはまだたくさんの人がいる。
「……中庭に行きませんか?」
「中庭?」
「はい。せっかくのお昼ですし、少し外で食べるのもいいかなと思いまして」
「いいですね」
私は弁当箱を鞄にしまうと、席を立った。
「じゃあ、行きましょう」
「はい」
二人で教室を出る。
廊下を歩き、階段を下りて中庭へ向かう。
昼休みの中庭は、思っていたよりも人が少なかった。
校舎に囲まれているせいか、外の喧騒も少し遠く感じる。
柔らかな風が吹き抜け、植えられた木々の葉がさらさらと揺れていた。
「ここなら、ゆっくり食べられそうですね」
私は腰を下ろし、足を伸ばす。
「……ふぅ」
思わず小さく息が漏れた。教室とは違って、ここには静かな空気が流れている。
校舎に囲まれた中庭には、昼休みだというのに人影も少ない。時折、遠くから話し声が聞こえてくるくらいで、木々の葉が風に揺れる音のほうがよく聞こえる。
「やっぱり、ここにしてよかったですね」
夜月さんが隣に腰を下ろしながら言った。
「そうですね。思ったより静かです」
「白花さん、こういう場所好きそうだなと思ったんです」
夜月さんはそう言って、少しだけ笑う。
「教室より、こっちのほうが落ち着いて食べられそうですし」
「確かに」
私は周囲を見回す。教室にいると、どうしても周りの話し声や人の動きが気になってしまう。
でも、ここならそんなこともない。
「じゃあ、食べましょうか」
「はい」
二人で弁当箱を取り出す。
「「いただきます」」
手を合わせてから、私は箸を取った。しばらくは、二人とも黙々とお弁当を食べる。別に気まずいわけではない。 むしろ、この静けさが心地よかった。
「……そういえば、白花さん」
「はい?」
「今日は、いつものお二人はご一緒じゃないんですね」
「はい。二人とも用事があるみたいで」
「そうだったんですね」
夜月さんは頷きながら、箸でおかずを一つ取る。
「それなら、今日は私がお邪魔しても大丈夫だったんですね」
「お邪魔だなんて、そんな」
私は首を横に振る。
「むしろ、一人で食べるところだったので助かりました」
「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
夜月さんは穏やかに笑って、ふと私のお弁当を見た。
「白花さんのお弁当、美味しそうですね」
「そうですか?」
「はい。彩りも綺麗です」
「ありがとうございます」
私は少しだけ弁当箱を夜月さんのほうへ向ける。
「夜月さんのお弁当も美味しそうですよ」
「本当ですか?」
「はい。……あ、卵焼きありますね」
「好きなんです」
「私も好きです」
すると、夜月さんが少し考えるような顔をした。
「……では」
「?」
「一つ、交換しませんか?」
「え?」
夜月さんが自分のお弁当から卵焼きを一つ取る。
「よろしければ、ですけど」
「いいんですか?」
「もちろんです……はい、あーん♪」
そう言って、夜月さんは箸でつまんだ卵焼きを、私の口元へ差し出してきた。
「もう…今更あーんなんかで照れませんよ、揶揄えませんでしたね」
私が勝ち誇った顔をすると、彼女は何も挟んでいないその箸を自分の口に——。
「……あむ」
そのまま、ちゅるっと箸を舌で……。
「ちょっと、はしたなかったですね…」
か、かかっ、間接キス…!?
「あ……えと、その……」
「……どうかしました?」
夜月さんが首を傾げる。私は思わず目を逸らしてしまった。
「な、なんでもないです」
「そうですか?なら、はいどうぞ」
そう言って、彼女はもう一度箸を私の口元へ近づけた。
「……い、いただきます」
私は少し震える手で卵焼きを口に入れた。もぐもぐする私を夜月さんがじっと見ている。なんだか恥ずかしくて顔が熱くなる。
「……美味しいですか?」
そんな私を見てか、夜月さんはそう聞いてきた。
「は、はい……」
私は小さく頷く。味なんて分からない。ただ、彼女の視線が気になるだけ。
「よかったです」
夜月さんの声がどこか嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。
「では、私も頂いてもいいですか?」
夜月さんが自分のお弁当から卵焼きを一つ取る。
そして、それを私の口元へ……あれ?さっきも同じような光景が……?
そう思った時には遅かった。彼女はそのまま箸を私の口へと近づける——。
ちゅるっと、舌が絡んだ気がした。
私は思わず口を手で押さえた。顔が熱い。心臓の鼓動がうるさいくらい高鳴っているのが分かる。
「……っ」
夜月さんはそんな私を見て、少し意地悪な笑みを浮かべた。
それからゆっくりと自分の口元を舌で舐めた。まるで味を確かめるように、ゆっくりと……。
「ん、美味しい…」
彼女の赤い舌が妙に艶めかしく見えてしまって、余計にドキドキしてしまう。
夜月さんは何事もなかったかのように、自分のお弁当を食べ始める。私も慌てて残りのおかずを口に運ぶけれど……正直味が分からない。
ひと通り食べ終わり、弁当箱を包み直す。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした。……美味しかったですね、卵焼き」
夜月さんが自分のお弁当箱を見ながら言う。
「そうですね……」
私はまだ少し落ち着かない心臓を落ち着けながら答えた。
「……あの、白花さん?」
「はい?」
「もしよろしければ、また交換しませんか?」
「え……?」
夜月さんは少しだけ恥ずかしそうに言った。
「その、私も美味しいと思ったので……それに、なんだか楽しかったんです」
彼女はそう言って微笑む。その笑顔がとても綺麗で思わず見惚れてしまう。でもすぐに我に返ったように首を振った。
「……もちろん!無理にとは……」
そんな私の様子を見て勘違いしたのか、夜月さんは慌てて付け加えるように言う。そんな彼女の仕草が可愛らしくて思わず笑ってしまった。すると彼女もつられるように笑う。
「ふふっ」
「あははっ」
二人でひとしきり笑い合った後、私は言った。
「いいですよ。私も楽しかったですし……それに」
「それに?」
夜月さんが首を傾げる。
「……夜月さんのお弁当も、美味しかったです」
私がそう言うと、夜月さんは一瞬きょとんとした顔をしてからすぐに微笑んだ。
「……では、そろそろ戻りましょうか」
「そうですね……」
私たちは立ち上がり、教室へ戻ることにした。
昼休みの中庭には穏やかな風が吹いている。それはどこか心地よかった。




