転校生はあなた!?
翌朝。いつもと変わらない時間に起きて、いつも通り朝食を食べる。
制服を着て、登校する。
昨日のことが嘘だったみたいに、朝は何も変わらない。見慣れた通学路。いつもと同じ時間に歩いて、いつもと同じように学校へ向かう。
それなのに――。
「…………」
歩いている途中、ふと昨日のことを思い出す。
映画館で夜月さんに手を握られたこと。
一緒に街を歩いたこと。
お互いに服を選んだこと。
そして、別れ際に交わした言葉。
『今日は、とても楽しい一日になりました』
昨日の自分の声が、頭の中に蘇る。
「……」
思い出しただけなのに、なんとなく恥ずかしくなって、私は視線を逸らした。
昨日はあれだけ長い時間を一緒に過ごしたというのに、こうして朝になってしまえば、またいつもの日常だ。
……いや。
正確には、少しだけ違う。
昨日を知ってしまったせいで、いつもの景色がほんの少しだけ違って見える。
変わったのは――たぶん、私のほうだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ことち〜、転校生くるって話知ってる?」
教室に入って鞄を机の横へ掛けていると、後ろから聞き慣れた声が飛んできた。振り返ると、みよちゃんがこちらへ駆け寄ってくるところだった。朝から相変わらず元気。
「……転校生? こんな時期に……?」
聞き返しながら、自分の席へ腰を下ろす。
窓の外へ目を向ければ、校庭には秋らしい少し冷たい風が吹いていた。夏の頃と比べれば朝の空気も随分と涼しくなり、教室の中にも薄手の上着を羽織っている子がちらほらと見える。
そんな季節の途中で、転校生。新学期でもないのに、少し珍しい話ではある。
「そうなの! 私も昨日聞いたんだけど、今日から来るんだって」
「今日から……?」
「うん。先生たちが昨日話してるのを聞いた子がいるみたい」
「へぇ……」
私は机の中から教科書を取り出しながら、相槌を打つ。
転校生が来る。
それ自体は、特別珍しいことではないのかもしれない。学校生活を送っていれば、いつか一度くらいはそういう話を聞くこともあるだろう。
けれど、実際に自分のクラスへ新しい誰かが加わるとなると、やっぱり少し気になる。
どんな子なのだろう。
どこから来るのだろう。
私たちのクラスに馴染めるのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、みよが私の机に手をついて、身を乗り出してきた。
「それだけじゃないんだよ、ことち」
「……何?」
「その子、すっごく可愛いらしいよ」
「…………」
その言葉に、手にしていた教科書を机の上へ置く。
「……可愛い?」
「うん。なんか、前の学校でも結構目立つ子だったとか」
「そうなんだ……」
可愛い女の子。その言葉に、少しだけ興味が湧いた。
可愛い女の子がいたら気になる。それは白花吟葉にとって、ごく自然なことだ。
「ことち、ちょっと嬉しそうじゃない?」
「そう?」
みよが楽しそうに笑う。私はそんな彼女から視線を逸らし、窓の外へ目を向けた。
ただ、このときの私はまだ知らなかった。
今日、この教室にやってくるその子が――私の日常に、少しずつ入り込んでくることになるなんて。
しばらくして、ホームルーム。
教室の中にいた生徒たちが、それぞれ自分の席へ戻っていく。先ほどまであちこちから聞こえていた話し声も、担任の先生が教室へ入ってくると少しずつ小さくなっていった。
「はい、みんな席ついてー」
先生が教卓の前に立つ。いつも通りのホームルーム。連絡事項をいくつか伝えて、今日の予定を確認する。
……そのはずだった。
けれど、教室の空気はどこか落ち着かない。理由は、朝からずっと話題になっている転校生だ。私自身も、さっきまでは少し気になっていた。
どんな子なのだろう。
この時期に転校してくるくらいだから、何か事情があるのかもしれない。そんなことを考えていると、先生が手元の書類を一枚めくった。
「はーい、ざわざわしないっ!…それじゃあ、連絡事項の前に一つ。みんなも知ってると思うけど、今日からこのクラスに新しい子が来ます」
先生がそう告げると、教室のあちこちから小さなどよめきが起こった。
「じゃあ、入ってきて」
「……はい」
返事が聞こえた。
その声に、教室が一瞬だけ静かになる。
そして、ゆっくりと扉が開いた。
「…………」
一人の少女が、教室へ入ってくる。
「……な」
「あら……」
声が漏れて、その瞬間彼女と視線がかち合う。
知っていた。私は彼女を知っていた。
「じゃあ、自己紹介お願いね」
「はい。……今日から転校してきた恋守紬よ。よろしくね」
「…………」
その瞬間、私は目を見開いた。名前を聞いたのは初めてだった。けれど、そんなことはどうでもよかった。
昨日の夜、駅の向かいにある小さな公園で、私に声をかけてきた人。
曇った夜空を見上げながら、星の話をしていた人。
昨日は暗かったし、今とは服装も違う。
それでも、見間違えるはずがない。
「……昨日の人」
思わず、小さく呟く。
すると、紬さんがこちらを見る。
まさか、こんな形で再会するなんて。
「ことち?」
隣から、みよちゃんの声が聞こえる。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
私はそう答えたものの、視線はなかなか逸らせなかった。
だって。
昨日の夜に偶然出会った人が、今日から同じ教室にいる。それだけでも十分驚きなのに――。
「それじゃあ、席は……」
先生が教室を見回す。
「白花さんの隣が空いてるわね」
「…………え?」
思わず、間の抜けた声が出た。先生が指差した先。そこは、私の隣の席だった。
「恋守さん、そこ使ってね」
「分かりました」
紬さんは頷くと、こちらへ歩いてくる。そして私の横を通り過ぎる直前。
「ここの生徒さんだったのね、よろしくね」
「……!」
小さな声で、そう言った。私は思わず彼女の顔を見る。
紬さんは何事もなかったような表情で、そのまま自分の席へ向かっていった。
「……羽は、休まったかしら?」
「……はい、おかげさまで」
「それは何より」
その答えを聞き、紬さんはにこっと笑った。
「羽を休めた方……えぇと、白花……下の名前は?」
「吟葉です」
「そう…ことは。恋守の事は、恋守でも紬でも好きに呼んでいいわよ、ことは」
「……じゃあ、紬さん……で」
「ええ。好きなように呼ぶといいわ」
「……はい」
私は小さく頷いて、前を向く。昨日の夜に出会った人が、今日から私の隣にいる。
まだ少し不思議な感じがするけれど――。
「……よろしくお願いします。紬さん」
そう呟いて、私はいつものように授業の準備を始めた。
こうして、私の日常に新しい一日が始まった。




