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第8話 あるドラゴンの一生

今回は9800Wになりました。

どうぞごゆっくりお楽しみください。

 ドラゴンは妖精と同じ霊的生物です。

 空から降ってくる雨や雪のように、彼らはある日突然虚空から生まれます。





 その竜種は赤い肌をしているため人からレッドドラゴンと呼ばれました。

 大陸最大の国「真ん中の国」の南端に、レッドドラゴンの里はありました。

 老いたドラゴンとまだ子どものドラゴンが里でのんびり暮らしています。

 ある日、昼寝を楽しんでいたメスのドラゴン、マーレ(海)はふと顔をあげました。


「……」


 マーレの目と鼻の先に淡い光が集まります。

 光は線香花火のように明滅したあと、ポトリ、と大地に赤い雫を垂らしました。

 赤い雫はドラゴンの赤ん坊でした。

 クー、と鼻息を鳴らし、すやすや眠っています。

 男の子のドラゴンです。


「……」


 マーレは赤ん坊にそっとキスし、自分の子どもとして育てることにしました。

 ドラゴンの子どもは血のつながらない異性の成竜が育てる習わしです。





 あっという間に三十年の月日が流れました。

 のちに「ソル(太陽)」と名づけられる赤ん坊は、人間でいうと三~四歳の幼児に成長しました。

 三十年の間にいろんなことがありましたが、実をいうとソルはほとんど覚えていません。

 あまりにも楽しい日々で、記憶に引っかかるものがなにもなかったのです。

 ソルにはまだ翼がありません。

 ドラゴンは百年生きないと翼が生えないし、体も大きくなりません。

 全長が五メートルほどと小さいソルは、いつも大きなマーレの足もとにくっついて過ごしました。


「お母さんお母さん」


 甘えるソルにマーレはそっとキスしました。


「ウシシ」


 キスされるとソルはいつもへんな声で笑いました。

 それからまたマーレの足にじゃれつくのです。

 ソルは大きくて強くてやさしいマーレが大好きでした。





「子どものドラゴンが欲しい」


 ある日里にやってきた旅商人の通辞が、マーレに竜語で語りかけました。

 子どものドラゴンに自分たちの荷馬車を引かせたいと通辞はいいました。


「わたしたちは地上を移動するから荷物を引くのは子どものドラゴンのほうが向いてるんだ。馬よりはるかに力強いし、成竜のように荒っぽくない。どうかね? だれか適当な子はいないかね?」


「……」


 マーレはソルを見ました。

 ソルは友だちと遊んでケラケラ笑っています。


「……わたしの息子をさしあげます」


 マーレはそういいました。





 霊的生物であるドラゴンはほかの生きもののように食事を必要としません。

 すべての生物は「マナ」と呼ばれる霊的エネルギーを身体に宿しています。

 中でも人間はもっとも強烈なマナを持つ種です。

 すべての生物が放つマナの神秘のオーラがドラゴンの唯一の食料です。

 だからドラゴンは強烈なオーラを放つ人間という種のそばにいるのが幸せなのです。


「じゃあお母さん、行ってきます!」


 ソルは元気に尻尾を振りました。

 通辞の案内でこれから商人たちが暮らす町に向かうのです。


(町に行ったらどんな冒険が待っているだろう?)


 母や仲間に見送られ、ソルはニコニコご機嫌な笑顔で旅立ちました。

 

(お母さんにはまたすぐ会える)


 ソルはそう思いました。


「……」


 息子を見送るマーレはこれが今生の別れになると思い、事実そうなりました。





 二百年の歳月が流れました。

 成長したソルは翼が生え、体も全長三十メートルに達しました。

 ソルは数々の旅商人のもとで働き、今は『北の国』の軍隊にいます。

 大陸北端の北の国はドラゴンの産地で、軍隊にも「竜部隊」がありました。

 部隊には常時十匹のドラゴンがいます。

 オスが五匹、メスがやはり五匹いました。

 ソルは部隊のエースです。

 ソルの世話を焼き、戦闘でソルに乗ってともに戦う人間のドラゴンライダーはサニーという赤い髪の少女でした。


「あなたソルっていうの? ソルって太陽の古語でしょ? わたしの名前サニーも太陽って意味があるの。一緒ね!」


 ソルはサニーとともに戦いました。

 大国「真ん中の国」との防衛戦争。

 東から侵攻してきた異教徒軍との連戦。

 突如出現した魔物軍との聖戦。

 ソルとサニーはすべての戦闘に勝利し、その名声を大陸全土に轟かせました。

 そして十年の歳月が流れサニーは美しい女性に、ソルは偉大な軍竜に成長しました。





 部隊にはアレナというメスのドラゴンがいました。

 肌が灰色のサンドドラゴンです。

 守備に徹する「ディフェンダー」であるアレナに騎乗するドラゴンライダーはいません。

 状況に応じて変幻自在に動くディフェンダーにとって、騎手は邪魔なのです。

 アレナ(砂の古語)は強引な敵中突破を好むソルとサニーをよくカバーしました。

 数十度の激戦を経て、ソルとアレナはいつしか愛し合うようになりました。

 真夜中、ソルとアレナは人のいない深い谷底で愛し合いました。

 霊獣であるドラゴンは繁殖のために性交しません。

 ただ愛のために性交します。


 夜が明けソルが部隊に戻ると、サニーがブスッとした顔で腕組みしていました。


「なによ、イチャイチャしちゃって」


 ソルはその日ふくれ顔のサニーのご機嫌を、日が暮れるまでとらねばなりませんでした。





 再び北の国で戦争が始まりました。

 今度は内戦です。

 軍隊内の不平分子がクーデターを起こしたのです。

 クーデターのリーダーはヴラドという傭兵あがりの中尉でした。


「反乱軍の兵士は二百五十名、わが正規軍は倍の五百名の兵力でこれを迎え撃つ。戦場はヴォルク山ふもとの平原である」


 竜部隊を作ったキース少佐が十匹のドラゴンと七人のドラゴンライダーに語ります。


「わが竜部隊が先頭に立つ。反乱軍にもドラゴンがいる。数は一匹」


 たった一匹? とソルは拍子抜けしました。


「反乱軍のリーダーヴラドはドラゴンライダーだ。自らドラゴンに乗り戦闘に参加する。最初にこれを叩けばクーデターは終わる。油断せずいち早くヴラドを殺せ」


「了解!」


 七人いるドラゴンライダーはすばやく敬礼しました。

 部隊に戻ったサニーはソルの首に大きなペンダントをかけました。

 ソルの首にかけられたのはシルバーリングのペンダントです。

 アレナの首には十字架のペンダントがかけられました。

 大きなペンダントはドラゴン用の認識票です。

 

「じゃ行こう」


 銀色の甲冑を身に着けたサニーはソルの体をそっと撫で、騎乗しました。

 心引き締まるこの瞬間をソルもサニーも愛していました。





 ソルはハッと目を覚ましました。

 起きようとしますが全身がしびれて動けません。

 暗い空から降る雨が、火照った肌を心地よく冷します。


(体が熱い。ということは炎を浴びたんだ)


 ソルは懸命に記憶を辿りました。


(ヴォルク山のふもとの草原で、わが正規軍は反乱軍と対峙した……反乱軍の先頭に一匹のブラックドラゴンがいて、ヴラドが騎乗していた。ヴラドは真っ黒な甲冑を着て顔はよく見えなかった……ヴラドはドラゴンの背中で呪文を唱えた)


「ホラー」


「おおっ」


 ヴラドが呪文を唱えると、正規軍に地鳴りのように動揺が走りました。

 ヴラドが騎乗したブラックドラゴンが、おお見よ、突如巨大化したのです!


「そんなバカな!」


「全長およそ百メートル!」


 兵士たちが口々に叫びます。

 全長百メートルはふつうのドラゴンのおよそ三倍の大きさです。


「マナのドーピング……」


 と、サニーがつぶやいた瞬間ブラックドラゴンが翼をひるがえし、どんよりと曇った空に飛翔しました。


(先手はとらせない)


「ソル行くわよ!」


 サニーの発破と同時にソルも飛翔しました。

 アレナも続きます。

 ドラゴンとドラゴンの空中戦はポジションのとりあいです。

 ただし人間の戦闘機とちがってドラゴンの空中戦は、下のポジションをとったほうが圧倒的に有利といわれます。

 なぜならすべてのドラゴンの顎の下に逆鱗(げきりん)と呼ばれる弱点があるからです。

 逆鱗は一枚だけ逆さに生えた鱗で、その内部に生命の源不滅のティグレを宿しています。

 逆鱗を直撃され、不滅のティグレを失えば、どんなドラゴンも死にます。

 だからドラゴンの空中戦は下をとったほうが有利なのです。


「いいわよソル!」


 サニーは思わず歓声をあげました。

 弾丸の勢いで飛翔したソルがブラックドラゴンの「下」をとり、逆鱗を攻撃する完璧なポジションについたのです。

 スピードこそソル最大の武器でした。

 ソルはカッと口を開きました。


(サニーの合図で炎を放つ)


 ソルは口を開いて待ちました。

 人間の命令があるまで絶対攻撃しない。

 それが軍竜の鉄則です。

 しかし


「キャアア!」


 ソルの背中で突如悲鳴が聞こえました。


(サニー?)


 銀色の甲冑を着たサニーは頭を抱え、震えていました。


(サニーどうした!?)


「ホラー」


 頭上からまたしてもヴラドの呪文が降ってきます。


(ヴラドめ、サニー相手になにか魔法を使ったな!)


「キャアア!」


 サニーは再び狂乱し、命令をもらえないソルは炎を放つタイミングを完全に失いました。

 ブラックドラゴンは長い首をゆっくりめぐらせ、眼下のソルを見ました。


「撃て」


 ヴラドの命令と同時に、ブラックドラゴンは炎を放ちました。

 太陽そのものが放ったような巨大な炎の柱です。

 その炎がソルにぶつかる直前、灰色の影が炎とソルの間に立ちはだかりました。

 アレナです。

 それはどんなときも仲間を守ろうとするディフェンダーの本能でしょうか?

 巨大な炎はアレナとソルの全身を飲み込み、二匹のドラゴンは地上に落下しました。





(そうだ。アレナが盾になってくれたんだ)


 そこまで思い出し、ソルはゆっくり頭をもたげました。


(アレナは? サニーは?)


 ソルはすぐそれを見つけました。

 自分のすぐそばに大きな十字架のペンダントと、銀色の甲冑が落ちています。

 十字架と甲冑は灰にまみれていました。


(おお)


 灰はブラックドラゴンの炎で焼き尽くされた、サニーとアレナの遺灰でした。

 ソルが暗い空に向かって絶叫すると雷鳴が轟き、さらに激しい雨が降ってきました。

 雨はサニーとアレナの遺灰を洗い流し、ソルは二人の灰を吸い込んだ大地にうつ伏せになり、再び意識を失いました。





 戦闘は反乱軍の圧勝でした。

 五百人いた正規軍は全滅しました。

 反乱軍は勢いに乗って王都に攻めあがり、あっという間に城を落としました。

 ヴラドは命乞いをする王とその一族を生きたまま巨大な串に串刺しにし、城のまわりにさらしました。

 男はもちろん女や子どもも全員です。

 この無惨な絵画が完成した瞬間、大国北の国は傭兵あがりで正体不明の異人ヴラドによって完全に支配されました。


 国内で暴君に対する反乱がおきるとヴラド王自らブラックドラゴンに騎乗し、鎮圧に当たりました。

 ドラゴンの名をアテル(黒)といいます。

 サニーとアレナを殺した、あのドラゴンです。

 ヴラド王は反乱を鎮圧すると、必ず反乱軍兵士の死体を大地に串刺しにしました。

 見せしめのため?

 むろんそれも理由でしょう。しかし国民は


「王は殺しを楽しんでいる」


 と密かにささやきかわしました。


「ホラー」


 と不気味な呪文を唱えるとき、王の声に滲む官能的な喜悦の調子が、その証拠です。





 奇跡的に生き残ったソルは山にこもりました。

 植物が放つ、静かなマナのオーラを浴びて傷を癒したのです。

 傷が癒えるとソルは谷に向かいました。

 垂直に壁が切り立った、ゾッとするほど深い谷です。


「……」


 ソルは深呼吸すると崖から飛び降りました。

 垂直落下し、崖下の地面すれすれで反転し急上昇する。

 それを何度も何度も繰り返しました。

 飛び降りると、よくソルの耳に聞こえました。


「ソル大好き」


 これはサニーの声です。


「クー」


 これはアレナの声です。


「……!」


 ソルは山にいるすべての獣が震えあがるおそろしい咆哮をあげ、谷を急上昇しました。

 すさまじい速度で崖上に飛び出ると、ソルの胸もとがキラリと光りました。

 大きなリングのペンダントです。

 サニーがつけてくれたペンダントを、ソルは決して外しませんでした。





 ソルが山にこもって三百年の歳月が流れました。

 驚くべきことにヴラドはまだ存命で、あいかわらず残忍なやり方で民を虐げていました。

 ブラックドラゴンのアテルも健在です。

 その巨体と炎で、あらゆる敵を焼き尽くしています。

 ソルは最近胸苦しさを感じるようになりました。

 あらゆる生物が放つ霊的エネルギーであるマナが弱まっているためです。

 今やヴラドは「殺戮王」としておそれられ、北の国の人々は絶望し、生きる気力失いつつありました。

 そんなある日、一人の若者がソルを尋ねてきました。


「ぼくはラゴス。先王の末裔だ」


 赤い革甲冑を着た若者は、竜語で語りかけました。


「ヴラドを倒す。協力してくれ」


 ソルは若者に条件を出しました。

 わたしにドラゴンライダーは必要ない。

 戦場で自由に動く特権を与えてくれ。

 特権を認めてくれれば、おまえに協力する。


「承知した」


 聡明な若者はすぐ応じました。

 

「あなたに騎乗するのは伝説の名ライダーサニーだけだ。特権を与える。ドラゴンソルを自分の自由意思で敵を攻撃する『ストライカー』と認める。

 ソル、あしたのためにともに戦い、ともに生きよう!」





 ヴォルク山のふもとの草原でヴラド率いる国軍と、ラゴス率いる反乱軍は対峙しました。

 三百年前、悪夢の舞台になったのと同じ草原です。

 あの日と同じように、今日も空はどんより曇っています。


「ホラー」


 黒い甲冑に身を固めたヴラドが呪文を唱えると、


「おお」


「アテルが巨大化した」


「また殺戮王の魔法だ」


 およそ二百五十人の反乱軍兵士の顔が、一斉に青ざめたそのとき


「……!」


 ソルは翼を広げ、天と大地を揺るがす大咆哮をあげました。

 ソルは飛翔し、アテルも同時に飛翔しました。

 みるみる距離が縮まり、ヴラドは自分の軍竜にクールに命じました。


「撃て」


 アテルの口から大火炎が発射されました!

 巨大な火柱がソルを飲み込もうとします。

 しかし


「おおっ!」


 ラゴスが歓声をあげました。

 ソルの前方に青い光の盾が浮かび、火炎を防いだのです!

 それは三百年間山の植物のマナを吸い続けたソルが得た、新しい防御術でした。

 光の盾はアテルの火炎を次々跳ね返しました。


「いいぞ!」


「やっちまえ!」


 反乱軍の兵士が歓声をあげたそのとき


「愚か者」


 ヴラドのつぶやきと同時に、アテルは火炎を吐きました。

 今までに倍する、巨大な火炎を。


(今までの火炎はソルを引きつけるための罠だ)


「逃げろソル!」


 とラゴスが叫んだとき、巨大な炎は青い光の盾を破壊し、ソルを飲み込みました。


「ソル!」


 ラゴスは思わず叫びました。

 全身炎に包まれたソルは、そのまま垂直に落下しました。


「ストライカーがやられた!」


「くるぞ!」


 反乱軍の兵士は右往左往し、ラゴスのまわりはたちまち手薄になりました。


「烏合の衆め」


 黒い兜の中でそう吐き捨てると、ヴラドは愛竜の首を地上の反乱軍に向けました。


「簡単には殺さんぞ、若造」


 と、ヴラドが嘲笑したとき、地上から風が舞い起こりました。

 炎に包まれ落下していたソルが、地上ギリギリで反転したのです。

 反転した瞬間、ソルを包んでいた炎は青い光の破片とともに散りました。

 光の被膜でコーティングしていたソルの体は無傷です。

 急上昇したソルの目にはっきり見えました。

 アテルの顎の裏にある逆鱗が。


(あの中に不滅のティグレがある)


 ソルはカッと口を開きました。

 そのとき


「ホラー」


 頭上からヴラドの呪文が降ってきました。

 同時にソルの脳裏に暗黒の風景が広がります。

 白い灰に塗れた銀色の甲冑と、巨大な十字架のペンダントが見えます。


「これがわが魔法『恐怖』である」


 ヴラドがうそぶきます。


「この魔法をかけられた者は、その者の生涯で見たもっとも恐ろしい風景を再び見る。恐怖はあらゆる生物がそなえたもっとも生々しい感情だ。恐怖に勝てる者など……」


 しかしソルの急上昇は止まりません。


「き、きさま」


 ヴラドはうろたえました。

 たしかにヴラドの魔法は効きました。

 ソルはたしかに見たのです。

 愛した人間と竜が、灰と化した無惨な風景を。

 それがソルの恐怖の光景です。

 しかしソルの心が恐怖に押しつぶされることはありませんでした。

 なぜなら


「あれは」


 ヴラドは驚愕しました。

 ソルの目に光る涙に気づいたのです。

 サニーとアレナの死の光景はソルに絶大な恐怖をもたらしました。

 しかしソルは同じ光景から恐怖よりはるかに巨大な感情を得ました。

 悲しみを得たのです。

 巨大な悲しみはソルの心をクールにしました。

 ソルはカッと口を開きました。

 命令を待ったのです。


「そうよ」


 ソルの背中に騎乗した幻のサニーが、楽しそうに叫びます。


「ソルに命令するのはわたしだけだから! さあソル

 撃て!」


 幻のサニーに命じられ、ソルは口から大火炎を発射しました。

 火炎はアテルの逆鱗を直撃し、さらに大きな炎となってブラックドラゴンとドラゴンライダーを包みました。


「バカなバカなバカな! 偉大なヴラド王に、こんな死が……」


 ヴラドの悲鳴は途中で聞こえなくなりました。

 史上最強の黒い軍竜と、史上最悪の黒い暴君が同時に炎に包まれ灰になるのを、地上のラゴスと兵士たちははっきり見ました。

 こうして三百年に渡る殺戮王の暗黒時代は、ストライカーソルの活躍によって幕を閉じたのです。





 その後国王となったラゴスの平和で安定した治世が百年続き、ラゴス王が崩御するとソルは北の国を離れ、真ん中の国に帰りました。

 六百歳になったソルはあいかわらず軍竜として働きました。

 ドラゴンの肉体的全盛期は三百歳から四百歳にかけてといわれますが、六百歳を超えたソルに勝てるドラゴンは、大陸中に一匹もいませんでした。

 ストライカーソルは今や完全に軍竜、いいえ、ドラゴンの代名詞になりました。





 九百歳になってソルはようやく軍務から引退しました。

 引退したソルは国の南端にあるドラゴンの里に向かいました。

 およそ八百七十年ぶりの里帰りです。

 出て行ったときは身一つでしたが、今は胸もとに大きなリングのペンダントを吊るしています。

 サニーにもらった、あのペンダントです。

 里に帰っても知った顔はもう一匹もいません。

 しかしこの辺鄙な里にもストライカーソルの名声は轟いていました。

 ソルは若者の敬意のこもった熱い視線を浴びながら、里でのんびり暮らしました。





 ある日。

 ソルはいつものように昼寝を楽しんでいました。

 するとソルの鼻先に淡い光が集まりました。

 集まった光はやがて雫となってポトリ、と地面に落ちました。

 ドラゴンの赤ん坊が地面ですやすや眠っています。

 女の子のドラゴンです。


(この子はわたしとアレナの子だ)


 ソルは瞬時に確信しました。

 なぜなら生まれたのはアレナと同じ灰色の肌を持つ、サンドドラゴンの赤ちゃんでしたから。

 ソルはソーッと首を伸ばし、眠る赤ちゃんにおそるおそるキスしました。

 のちにウッディによって「サンディ」と命名される赤ん坊のドラゴンは目を開けず、ただ「クー」と可愛らしい声で鳴きました。





 三十年の歳月が流れました。

 サンディは人間でいうと三~四歳の幼児に成長しました。

 全長五メートルほどの大きさになりましたが、翼はまだ生えていません。

 肌が灰色なのでときどきレッドドラゴンの悪ガキどもにいじめられます。

 そんなときソルは悪ガキどもを容赦なくぶっ飛ばしました。

 尻尾を振ってビンタするのですが、軽い一撃でもぶたれた悪ガキは十メートルほど宙を飛びました。

 子ども相手に大人げない?

 そんな理屈はドラゴンに通用しません。

 ソルがガキどもを追い払うと、サンディは喜んでソルの足に自分の頭をこすりつけました。


「お父さんだーい好き」


 サンディにそういわれるたび、ソルの胸はかつて国王に勲章を授けられたときよりも、もっと大きな誇りと喜びに満たされるのです。





 ソルはまだ翼が生えていないサンディを背中に乗せ、よく空を飛びました。

 はじめはこわがったサンディですがすぐに慣れ、いつしか空を飛ぶのが大好きになりました。

 とくに海の上を飛ぶのがサンディは好きです。


「クー、クー」


 潮風を浴び、心地よさそうに喉を鳴らす娘の声を聞いてソルは幼いころを思い出しました。


(わたしも母マーレ()の背中に乗り、海の上でよくあんな声で鳴いたな)


「クー」


 またサンディが鳴きます。

 ソルはひさしぶりにやさしい母を思い出し、しんみりしました。





 サンディが眠るときの寝物語に、ソルはよくサニーやアレナと過ごした北の国での竜部隊の日々を語りました。

 ソルが語る冒険に、サンディは目を輝かせて聞き入りました。


「わたし絶対お父さんみたいなストライカーになる!」


 もっと楽な仕事にしろといっても聞きません。

 頑固なところも娘は父に似たようです。





 それはよく晴れた春の朝でした。


「竜の子どもが欲しい」


 里を訪れた人間の通辞が、竜語でソルにそういいました。

 旅芸人の一座が馬車を引くドラゴンをさがしているそうです。

 ソルは娘を見ました。

 サンディは幼なじみの女の子とじゃれ合い、ケラケラ無邪気に笑っています。


「……わたしの娘をさしあげます」


 それからすぐサンディは通辞に引き取られ、里を去りました。

 里のドラゴンが勢ぞろいして旅立ちを見送ります。

 

「じゃあみんなまたねー!」


 サンディは元気に尻尾を振って別れのあいさつをしました。


(さあ、大冒険の始まりだ)


 サンディは期待に胸躍らせました。

 ニコニコ上機嫌で里を去る娘を見ながらソルは、これでこの子と会うことはもうないだろう、と思いました。

 すると不意にサンディが振り返りました。


「お父さん、だーい好き!」


(おお)


 ソルは泣きました。

 千年近く生きた偉大な軍竜が涙を流すのは、これが二度目でした。





 それから三年の月日が流れました。

 珍しく風が涼しい、ある夏の日の夕刻でした。


「……」


 昼寝していたソルはゆっくり起きあがりました。

 ヨタヨタおぼつかない足取りに、かつて大陸最強のストライカーと呼ばれた威厳はありません。

 足を止め、しばらく肩で息をするとソルはふいに顔をあげ、重そうに翼を振って飛翔しました。

 里にいるすべてのドラゴンが、真っ赤な夕陽に向かって上昇する老竜を見送ります。

 これが偉大なドラゴンソルとの最期の別れだと、みんなわかっていました。





 ソルは深い谷の底に舞い降り、そこで翼を畳みました。

 夕日は谷底まで届きません。

 ひんやり冷たい地面にうずくまり、ソルは丸くなりました。


「……」


 ソルの脳裏に花火のように、いろんな風景が明滅しました。

 ケラケラ笑うサンディが見えます。

 自分の頬にキスする母マーレも見えました。

 

「さあ行くわよ!」


 自分に騎乗し発破をかけるサニーの声が聞こえます。


「クー」


 これは自分の頬に鼻をこすりつけるアレナの声です。


「……」


 ドラゴンに愛の概念はありません。

 しかしそのときソルははっきりと


「みんな、愛してる」


 と、脳裏につぶやきました。

 ソルは目を閉じました。

 しばらくするとソルの体は赤い光に包まれました。

 光の粒子が消滅すると、ソルの体も消えていました。

 あとには大きなリングのペンダントだけ残りました。

 こうして一匹のドラゴンの、生涯が終わりました。





「あれ?」


 ふと気づくとソルは空を飛んでいました。

 眼下に大海原が広がっています。

 ソルはとまどいました。

 この数十年苦しめられた関節の痛みや全身の疲労感が、まったくありません。


(若返ったのか?)


 たぶんこの調子だと二百歳ぐらいの若造に戻ったようだ、と思っていると


「ソルなにボーッとしてるの」


 背中から懐かしい声が聞こえました。


(サニー)


「クー」


 自分の左側には鉄壁の「ディフェンダー」がいます。


(アレナ)


 ソルとアレナは互いに顔を寄せ合いました。


「ほら見えてきたわよ」


 サニーが指さす前方に、島が見えました。


「あれはドラゴンとドラゴンライダーが暮らす島よ。あなたのお母さまもいるわ」


(お母さんも)


 ソルは目を輝かせました。

 島のいたるところで自分を歓迎するドラゴンが翼を振っています。

 その中に、母もいました。


「さあ行くわよソル。わたしたちあの島で、永遠に楽しく暮らすのよ!」


 サニーに発破をかけられ、ソルは一声咆哮しました。

 若々しいドラゴンの声で海を震わせ、ソルとサニーとアレナは笑顔で島に向かいました。





「今日は上機嫌だな? サンディ」


 サンディの背中であくびしながらそういったのは妖精レインです。


「なんかいいことあったのかい?」


 と問うのはゴブリンのジョーです。


「ほんとに今日はご機嫌だね」


 手綱を持つウッディに首を撫でられ、サンディは気持ちよさそうに「クー」と鳴きました。

 サンディが上機嫌なのは夢を見たからです。

 夢の中でお父さんとサニーとアレナが海の上を飛んでいました。


(お父さんかっこよかったなあ。わたしもはやく大きくなって、お父さんと一緒に海の上を飛びたいなあ)


 そんなことを考え、サンディはまたニコニコ笑いました。


いかがだったでしょう。

次回第9話は8月30日(日)朝5時投稿します。

どうぞお楽しみに!

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