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第10話 ナザレのイエス

今回6900Wになりました。

あの救世主が大活躍します。

どうぞお楽しみください。

 その日イエスは森の中にある小屋にいました。

 エルフの男の子が病気で苦しんでいるので診てくれと頼まれたのです。

 イエスは最近前世の記憶を取り戻しました。

 取り戻したとたん、かつてのカリスマと神秘的な能力も甦り、イエスは通り名であるジョンを捨て、再びナザレのイエスと名乗って活動を始めました。

 人々への奉仕活動を開始したのです。

 今日の診療も奉仕活動の一環です。

 人間の医者はエルフを診てくれません。

 白いワンピースを着たイエスはベッドに横になった男の子を見おろし、イエスの背後には赤いドレスを着たマグダラのマリアが控えます。


「エリオット」


 ベッド脇に立つ若い母親が息子の名前を呼びます。

 しかし息子は返事をしません。

 全身赤い斑点に覆われたエリオットは高熱が出て、息をするのも苦しそうです。


「これは悪いマナに当たったんだ。このままでは長くない」


 診断をくだすとイエスはマリアに命じました。


「水を頼む」


 マリアは素早く水を張った器を差し出しました。

 その水に指先を浸し、イエスは濡れた手で男の子の額にそっと触れました。


「……見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」


 奇妙な呪文(?)をつぶやくと、おお、イエスの全身が神々しいオーラに包まれました!

 イエスの中にあるマナが発動したのです。

 エリオットはイエスが放つオーラを浴びました。すると


「斑点が」


 やはりそばにいた父親が絶句します。

 エリオットの顔や手に浮かんでいた赤い斑点が、みるみる消えてゆきます。

 やがてオーラが消えると、すべての斑点も消えました。

 エリオットはパチッと目をあけました。


「お母さん?」


「エリオット!」


「もう大丈夫」


 息子にすがりついて泣く母親を見て、イエスは安堵の笑みを浮かべました。


「お疲れさまです。ゴーシェさん」


 マリアはイエスにタオルを渡し、それから父親に声をかけました。


「息子さんは汗をかいているので寝間着を着替えさせてください。もう食事して大丈夫ですよ。あしたの朝には全快して歩けるようになります」


「ありがとうございます!」


 ゴーシェはガバッとその場に跪くとイエスの手を取り、額に押し当て拝みました。


「ありがとうございます! あなたは……あなたは本物の救世主です!」


「ああいや、そんな大げさなものでは……」


 ゴーシェの反応にとまどうイエスを見てマリアはほほ笑み、そして思いました。


(ああ、とうとう戻ってしまわれた)





 イエスが小屋を出ると、一人の老人が待ち構えていました。


「これは長老。なにかご用ですか?」


 千年以上生きている老エルフはイエスの手を取り、訴えました。


「今朝エルフの娘が一人、金貸しに連れられ森を出ました。借金のかたにされたのです」


 老エルフはイエスに書類を見せました。


「これは契約書です。金貸しが今朝急に出してきました」


「拝見します」


 書類を見てイエスは顔色を変えました。


「法律で決められた利息の五倍も取ってる!」


「金貸しは『エルフは人間より利息が高い』といったそうです。あまりにも利息が高くて父親は借金を返しきれず、娘をとられたのです」


「わかりました。わたしが娘さんを迎えに行きましょう。マリアも一緒にきてくれ」


 二人は乗合馬車に一時間乗って金貸しがいる町に着きました。


「イエスさんだね?」


 馬車を降りると、一人の少年が声をかけてきました。


「伝言だよ。金貸しのロックさんはあの宿にいる」


 少年は通りを挟んだ向かいの建物を指さしました。


「一階の酒場にいるって。ロックさんの子分は荒っぽい。全員人殺しなんだ。ナイフ、拳、毒、火薬、ロープ、針。殺しのためならなんでも使う連中さ。借金は耳をそろえて返したほうが賢明だよ。長生きしたかったらね。じゃあね!」

 

 イエスとマリアは少年に教えられた酒場に向かいました。

 そこは薄暗い場所でした。

 正面のカウンターとテーブル席に男たちが十数人座り、無言でこっちを見ています。


(あの子はどこにいる?)


 イエスが目を細めて暗がりを見つめると


「イエスさま!」


 うれしげな声とともに、一人の少女がテーブル席から立ちあがりました。


「ネブラ、こっちにおいで」


 イエスも笑顔で手を広げます。

 エルフの少女ネブラはすぐ駆け出そうとしましたが、


「おっとお嬢ちゃん、お座り」


 ネブラを引き止めたのは同じテーブル席に座った、恰幅のいい中年男性です。


「あなたが金貸しのロックさんですか?」


「はい、わたしがロックです。あなたはイエスさん?」


「そうです。ネブラを迎えにきました。お金もあります」


 イエスが巾着袋を差し出すと、ロックは中身を確認しました。


「おや~金額が足りませんが?」


「あなたに借りたぶんと法律にのっとった利息ぶんです」


「エルフが金を借りたらもっと高い利子がつきますよ~」


「これですか?」


 イエスは持っていた契約書をかざすと、いきなりビリビリ破りました。

 イエスの乱暴なふるまいに、さすがのロックも声を荒げます。


「なにしやがる!」


「まったく法的根拠がない契約は無効だ。文句があるなら弁護士を連れてきなさい。こっちは法廷で争っても一向にかまいませんが、あなたはそれでいいのですか?」


「……」


 脛に傷がいっぱいあるロックは「法廷」と聞いて黙り込みました。


「ネブラおいで」


 エルフの少女は木靴をポクポク鳴らして走ってくると、イエスの胸に飛び込みました。


「ありがとうイエスさま!」


「ハハ元気がいい子だ」


 少女と手をつなぎ、イエスは酒場を去ろうとしました。すると


「……」


 顔に傷のある大男が、無言で出口に立ちふさがります。


「マリア」


 腰にさした剣に手を伸ばすマリアを、イエスは制しました。


「乱暴はやめなさい」


「申しわけありません」


 マリアは長い睫毛を伏せ、剣から手を離しました。


「イエスさんよお~、あんた前の世界で新興宗教の教祖やってたって?」


「キョーソ?」


「そりゃまたご立派なこって」


 ロックの話を聞いたならず者どもがヘラヘラ笑います。


「どうだねイエスさま? ここで一つ説教してみないかね?」


 ヤスリで爪を擦りながら、ロックは妙な提案をしました。


「説教でわしらを感動させることができたら借金は帳消しにして解放してさしあげますよ。ただし、感動させられなかったら娘は置いていきなせえ。おっと、あんたの美しいお弟子さんも置いていくんだ」


()は関係ない」


 妻、というイエスの一言を聞いて、こんなときなのに、マリアは思わずほほ笑みました。


「奥さんでしたか。こりゃ失礼。ま、奥さんはおれを手間取らせた利息分と思いなせえ。ついでにいっとくと今入口をふさいでるシャークは三十五人、わしの右腕ウルフは四十九人人を殺してる。この酒場にいる男は全員人殺しだ」


 酒場にいる十数人の男たちは目を不気味に光らせ、じっとイエスを見つめました。


「そんな野蛮な連中を感動させるのは容易なこっちゃないですよ教祖さま。さ、やっておくんなさい。あんたの女房とエルフの娘の未来がかかっていることを忘れなさんな!」


「わかりました。ネブラを頼む」


「イエスさま」


「大丈夫。心配ない」


 マリアの肩をそっと撫で、ネブラの頭も撫でるとイエスは酒場の真ん中に足を運びました。

 クマのような大男たちが、瓶から直接きつい酒をあおりながらイエスを見つめます。


「……ではかつてわたしが山の上で弟子たちに告げた教えをお話ししましょう」


(お)


 ロックの右腕ウルフはイエスの第一声を聞いて感心しました。


(声が全然震えてねえ。まだ若えのに肝が据わってやがる)


 イエスは落ち着いたいい声で語りました。


「こころの貧しい人たちは、さいわいである。

 天国は彼らのものである」


「……」


 イエスの講話が始まると、酒場のざわめきがピタッとやみました。


「悲しんでいる人たちは、さいわいである。

 彼らは慰められるであろう」


「柔和な人たちは、さいわいである。

 彼らは地を受けつぐであろう」


「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである。

 彼らは飽き足りるようになるであろう」


「あわれみ深い人たちは、さいわいである。

 彼らはあわれみを受けるだろう」


「こころの清い人たちは、さいわいである。

 彼らは神をみるであろう」


「平和をつくり出す人たちは、さいわいである。

 彼らは神の子と呼ばれるだろう」


「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである。

 天国は彼らのものである」(*注1)


 そこでイエスはいったん言葉を切りました。

 人殺しどもは微動だにせず、じっと聞き耳を立てています。

 イエスは話を続けました、


「殺すな。殺す者は裁判で罰せられる。人を怒り、罵る者も同じだ」


「姦淫するな。情欲をもって人妻を見る者は、すでに心のうちに女を犯している」


「天に誓うな。そこは神の玉座である。

 地に誓うな。そこは神の足台である。

 エルサレムに誓うな。そこは聖なる都であるから。

 自分の頭に誓うな。お前たちは、髪の毛一本を白くも黒くもできないから」


「目には目を、歯には歯をといわれているのを聞いているだろう。

 しかしわたしはいう。

 右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ。

 下着を奪おうとする者には、上着も与えよ。

 求める者には与え、借りたい者には惜しまず与えよ」


「隣人を愛し、敵を憎めといわれているのを聞いているだろう。

 しかしわたしはいう。

 敵を愛し、おまえを迫害する者のために祈れ。

 おまえたちは天にいます父が完全であるように、完全にならなければならない」


 イエスはそこでふっと小さくため息をつきました。

 講話の終わりが近づいたのです。


「狭き門から入れ。

 滅びに至る道は大きくて広い。この道から入ってのたうち回る者が多い。真実の生命に至る門は狭く、その道は狭く、これを見つけることのできる者は少ない」


「天におられるわたしたちの父よ。

 御名が崇められますように。

 御国が来ますように。

 御心が行われますように、天におけるように、地の上にも。

 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

 わたしたちの負い目を許してください。

 わたしたちも自分に負い目のある人を赦しますように。

 わたしたちを誘惑に遭わせず悪い者から救ってください。

 アーメン」(*注2)


「アーメン」


「アーメン……」


 イエスが最後に聖語を唱えると、男たちも酒焼けした声で不器用に唱和しました。

 薄暗い酒場はそれまでの退廃した空気が消え、奇妙な静けさに満たされました。


「ロックさん、帰ってもいいですか?」


「え? ええ、どうぞ」


 三人が近づくと、入口をふさいでいた大男のシャークは慌てて身を引きました。

 すると


「イエスさま!」


 大声で叫んだのは左目が傷でふさがった中年男です。

 背は低いが筋肉で全身がパンパンにふくらんだ男の名前はウルフです。


「あっしは四十九人の人間を殺した人殺しです。こんな男を、神はおゆるしになりますか? 教えてくだせえ」


「神の気持ちを推しはかることはできない」


 イエスが淡々と語ります。


「神があなたをおゆるしになるかどうか、わたしにはわからない」


「あんたはあっしを裁かないんですかい?」


「裁かない」


「なぜ?」


「わたしも罪を犯した人間だから」


「あんたが罪を? 奥さんをめとったことが罪なんですかい?」


「夫が妻を愛することは罪ではない」


 イエスの言葉を聞いて、マリアの顔にまた笑顔の花が咲きました。


「それは自然なことだ。姦淫ではない。わたしの罪は……」


 そのときイエスの脳裏に十字架に磔にされた、血まみれの自分の姿が浮かびました。


「エリ・エリ・レマ・サバクタニ。わが神わが神、なぜわたしを見捨てたのですか。十字架の上でわたしはそういった。あのときわたしは広大無辺な神の愛を疑ったのだ。あれがわたしの罪だ……ウルフさん、あなたは罪を犯すのをやめて罪をあがなう人生を送りなさい。すべての人に感謝し、すべての人に奉仕する人生を送るのです。難しいですか?」


「難しいです」


「狭き門から入り、狭き道を歩くのです。わたしも今その道を歩いています。同じ道を歩いていれば、どこかでまたあなたに会うかもしれませんね。では」


 イエスは自ら扉を開け、マリアとネブラとともに酒場をあとにしました。





 外に出てすぐネブラはきょろきょろ通りを見わたしました。


「うわあ」


 ネブラは目を輝かせました。

 通りは土産物屋や服飾店やパン屋が並び、人でにぎわっています。

 店頭に並ぶ色とりどりの品々を目にして、田舎暮らしのエルフ少女は長い耳をピクピク動かしました。

 興奮しているのです。


「まだ馬車が出るまで時間がある。ネブラ、マリアと一緒に商店街を見てきなさい」


「ありがとうイエスさま!」


「あら待って」


 ネブラはマリアの手を引っぱって駆け出しました。

 イエスが笑顔で二人を見送ると


「失礼」


 イエスのそばに、ぶ厚い壁が立っていました。

 いえそれは壁ではなく、黒いマントを羽織った大女でした。


「あなたナザレのイエスさんですね?」


「そうです」


 イエスは相手の顔をよく見るため顎をあげました。


「なにかご用ですか?」


「申しわけないんですが……」


 大女がマントから突き出した剣の柄に手をかけたそのとき


「イエスさまぁ!!」


 マリアが鬼神の表情で駆けてきます。


「どうしたマリア?」


「おさがりください!」


 走りながら腰の剣を抜き、マグダラのマリアは大女目がけて振りおろしました。

 人でにぎわう通りに、金属と金属が激突するおそろしい音が轟きます。


「驚いた」


 マリアの一撃を剣で受け止め、巨女剣士ゴールドは目を剥きました。


「あんためちゃくちゃ強いじゃん! マグダラのマリアが強いなんて聖書に一行も書いてなかったよ!」


「イエスさま!」


 ゴールドと鍔迫り合いしながらマリアは悲鳴をあげました。

 イエスのそばに、一人の若者がポツンと立っているのです。

 元娼婦で男を見なれたマリアがゾッとするような、美形の剣士が。


「……」


 美剣士スターは、間近から無言でイエスを見つめました。

 イエスも無言でスターを見つめます。


「……おっと」


 スターはすばやく背を屈めました。

 その頭上を矢が通過します。


「イエスさまこっちへ!」


 酒場の入口から金貸しのロックが叫びます。

 やはり入口にいたシャークは二本目の矢を放とうと弓を構え、さらにとなりにいるウルフは腰からブーメランを抜きました。


「イエスさまに手を出すんじゃねえ!」


 そう叫んでウルフはブーメランを投げ、同時にシャークも矢を放ちました。


「スター!」


 ゴールドが相棒の窮地に悲鳴をあげます。

 シャークの矢が一直線に、ウルフのブーメランが円弧を描いてスターに殺到します。

 一方を避ければ一方が刺さる。

 二段構えの攻撃をかわした者はかつて一人もいません。

 これは避けられないとだれもが確信したそのときスターが腰の剣を抜き、軽く一閃しました。


「おおっ!」


 ウルフが絶叫します。見よ

 酒場にいる自分たちとスターの間に、突如壁があらわれました!

 透明で巨大な壁が。

 壁は矢とブーメランを砂粒のように軽々と弾きました。

 人々はしびれたようにその場に立ち尽くしました。

 しばらくして壁が消えると、スターとゴールドも消えていました。

 マリアがイエスに駆け寄ります。


「イエスさまお怪我は!?」


「大丈夫だよ」


「よかった」


 安堵の涙を流すマリアにイエスはいいました。


「きみのおかげでまた助かった。ありがとうマリア」


「そんな……」


 マリアは喜びと誇りで頬を赤らめました。


「イエスさま今のはなんです!?」


 そのとき夫婦の間にウルフが無粋に割って入りました。


「なんか透明な壁がありましたぜ!」


「あれは壁ではなく亀裂です」


 イエスはさっきまで壁があった空間に手を伸ばし、そっと撫でました。


「亀裂?」


「ええ。あのスターという名の若者が空間を斬った亀裂です。その切断面が壁になったのです」





「なんで殺さなかったの!?」


 ブラックドラゴンの背中に乗って空を飛びながら、ゴールドは相棒に文句をいいました。


「イエス目の前にいたじゃん! それに酒場の野郎どもだって簡単に皆殺しにできたのに……」


「イエスは本物のカリスマだ」


 スターがボソッとつぶやきます。


「そばで見てそれを確信した」


「そんなの当然だよ。だってあのイエスだよ?」


「イエスはこれからなにをすると思う?」


「そりゃあ……信者を増やすための布教活動じゃない?」


「布教して、どういう連中がイエスの元に集まると思う?」


「……そうか転生者だ!」


「そう。おれたちの仕事はこの世界にやってきた転生者を皆殺しにすること。その仕事の手伝いをイエスにやってもらう。この世界に何人の転生者がいるかわからないが、みんな心のよりどころを失い不安がってる。そんな連中が救世主の転生を知ったらどうなると思う? たぶんいやまちがいなく転生者は一人残らずイエスの元にやってくるぞ」


「そこを一網打尽にするってわけだ!」


「その通り。当分の間救世主さまに自由に布教活動をやってもらう。おれたちもイエスの存在を宣伝するんだ」


「あったまいい!」


「というわけでイエスが信者を集める前に、おれたちはイエス以外の大物転生者を片づけとこう」


「了解! 行こうフォルティス!」


 ゴールドに発破をかけられ、古語で「強者」という意味の名を持つブラックドラゴンは雄叫びをあげるとさらに高く飛翔し、大空の黒点となって消えました。

 ドラゴンが大空の彼方に消えるのを見たある閉鎖病棟の狂人は


(くう)(くう)なる大空万歳」


 と意味不明の言葉をつぶやき、ヘラヘラ笑いました。


*注1 マタイによる福音書 第五章より

*注2 『キリスト教の本・上』学研 第2章「イエス・キリスト伝」より 文章=多利巧・高尾利和


いかがだったでしょう。

次回第11話は9月13日(日)朝5時投稿します。

お楽しみに!




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