#8
怪人体へと戻ったアンジェラの姿は奇怪としか言い様がなかった。
ベースは女性の姿を模したもので、彼女の右半身はまるで女神像のように無垢で美しい。
……ただし、その表面は石像のように硬質的だったが。
異様なのは左半身だ。
触手を集めて人の形を形作ったような、グロテスクな構造体。
手は異様に長く、左足は獣のような逆関節になっている。
顔面には……剥き出しになった、大きく血走った目が1つ。
頭髪はくすんだ金髪だったとおぼしきものの残骸がまとわりつくように生えている。
背中に装着されたマントは異質だが、ヒナはそれがゲルゲム団の幹部……すなわち獣魔将の証である事を知っていた。
真の姿を現したアンジェラは、右腕の硬質的な爪をヒナに向けて叫ぶ。
『キサマハ、ウツクシイィ……ニクイィィ!』
突き出した爪を振りかぶり、アンジェラはヒナに向かって飛びかかってきた。
レゾナンスブレードを起動し、迎え撃つヒナ。
だが0.5Gと言う中途半端な疑似重力では足下のグリップが覚束ず、攻撃を受け流した勢いで体勢が崩れてしまう。
一方のアンジェラは怪人体となったことで質量が増加し、低重力下でも十分な安定性を保っている。
いや、それどころか自重が半分になったことで機動性が増しているではないか。
「これ、一方的に不利じゃない……!」
顔をしかめヒナはそうこぼすが、いくら文句を言っても物理法則は覆らない。
先日プライアローズの船内で戦闘した時のように、完全な無重力であればまだトリッキーな戦いが出来るのだが……。
硬質的な爪と汚れた肉の触手を交互に繰り出すアンジェラの攻撃をいなしながら、ヒナは歯がみする。
相手が獣魔だと判っていれば、フォトライザーシステムを持ってきたのに、と。
先日のトロイアの出来事を経て、ヒナは自身を戒めるため単独行動時はフォトナイザーシステムを持ち歩かないことにしていた。
オンブルのコクピット、コンソールに取り付けられたグローブボックスの中に仕舞われた黒いバックル。
あれはまさに、獣魔を倒すために生み出されたシステムだが……それでも。
「チョウダイ、アナタノカオ、チョウダイィィ!!」
攻撃をいなし続けられ、焦れたアンジェラが大ぶりな一撃を繰り出した。
その隙を逃さず、ヒナは左手から伸びた肉の触手をブレードで斬り払う。
だが……ちぎれた触手の代わりに新たな触手が再生する。
それもそうだろう。
触手は戦闘開始時に生えてきたものだ。
十分な質量が残っていれば、いくらでも再生できるのだろうから。
アンジェラは自身の鳥脚型の逆関節脚が歩行に不向きであることをようやく悟ったのか、戦法を変えてきた。
逆関節が得意とする跳躍を主体とした攻撃。
床面だけでなく柱をも足場とし、これまでとは比べものにならない高速移動で攻撃を繰り出してくる。
テロマー因子によって強化されたヒナの動体視力はアンジェラの動きを完全に捉えているが、低い重力が足を引っ張り反応が間に合わない。
何度かの交錯の後、戦況が動いた。
かろうじて直撃は避けたものの、アンジェラの爪がヒナの左肩を捉え、血しぶきが上がったのだ。
だがヒナも攻撃を食らった勢いで体を反転させ、アンジェラの左腕にブレードを振り下ろし、撚り合わさった触手のような腕を付け根から切り落としていた。
「……痛み分け、かな」
一旦距離を取り、油断なくブレードを構えながらそう呟くヒナだが、左肩からの出血は続いている。
一方のアンジェラは……切断面に短い触手が蠢いてはいるものの、質量を大きく失った腕が再生する兆しは無かった。
だが、アンジェラは出血……いや、体液の類いを流してはいない。
つまりアンジェラは部位欠損により機能が低下することはあっても、時間で消耗……いわゆるスリップダメージを受けないのだ。
そのことに気付いたヒナは、このまま戦い続けると自分が先に力尽きる事を認識した。
なんとかして一気に勝負を付ける必要がある。
だが、どうやって?
片腕を失ったアンジェラは獣のように低く唸りながらヒナの様子をうかがっている。
それは警戒であると同時に、血を流し続けるヒナが衰弱することを待っているようでもあった。
そんなアンジェラを視界の端に捉えながらも、ヒナは逆転の一手を打つ手がかりを求めて周囲の様子を観察する。
審査員用の椅子……擬態の解除には使えたが、今のアンジェラにぶつけてもダメージは無いだろう。
神殿の祭壇……床に固定されていて何かに使うことはできない。
空間を支える柱……アンジェラが跳躍の足場にしたことで所々欠損しているが、何かに使えそうにない。
床面……何度か空振りしたアンジェラの攻撃が床を削った形跡が残っているが、その程度では構造体を破壊できるはずもない。……が。
床面の展望窓にアンジェラの爪後がくっきりと残っている事にヒナは気が付いた。
軌道ステーションの展望窓は耐熱ガラスや耐衝撃樹脂の積層構造だ。レゾナンスブレードを使っても破壊するには数分以上の時間が掛かるだろう。
だが、もしそこに大きな傷が入っていれば?そしてヒビの入ったガラスや樹脂に追加で大きな力が加われば……?
展望窓の先には青く輝くセラムが見えている。
仮にアンジェラが真空中で生存できるとしても、ここから叩き落とすことが出来れば大気圏へ突入させ、焼き尽くすことが出来るに違いない。
――仮に自分が宇宙へ放り出されたとしても……試したことはないが、おそらく少しだけなら自分も真空中で生きられるはず。
女神の加護を信じ、ヒナは一か八かの賭けに出た。
「ワタシの顔が欲しいなら、奪って見せろ!」
自分でも安っぽい挑発だとは思うが、それでもアンジェラは反応した。
動き出したアンジェラを目で追いながら、ヒナはトーエイの資料に記載されていた、獣魔将は擬態と解除を繰り返すことで獣性に飲まれてゆくという記述を思い出していた。
少なくともアンジェラはパリスに到着してから4度獣化しているはず。
クレオ、ジュリアーナ、ソレアーダ。
彼女たちの姿を奪うとき。そしてヒナによって強制的に擬態を解除させられた、今回。
そのことがどれほどアンジェラの理性を蝕んでいるのかは判らないが……。
もはやアンジェラは人間ではない。
いや、ケンは言っていた。人は獣魔になった瞬間に既に人間としては死んでいるのだ、と。
なら……!
『ウツクシクナイ、ワタシハ!イキルカチガ、ナイィィ!』
そう叫びながら飛びかかるアンジェラだが、片腕を失ったことでバランス感覚が崩れたのか繰り出す攻撃は正確性を欠いている。
だがヒナもまた血を失った事で自身の動きが緩慢になっていることを自覚していた。
あまり時間を掛けられない。
そう思った瞬間、アンジェラが高く跳躍した。ヒナの足下には……ひびの入った展望窓!




