#6
「血痕?」
「ああ。洗い流されたらしくて、微量らしいのだが……」
らしい、と言う言葉はケヴィンがその現場を直接確認していないことを意味していた。
記者が入り込めない場所。
もしくは……男性が入り込めない場所。
ここがミスコン会場という女の園である事を踏まえれば、おそらく後者だろうとヒナは考えた。
「洗い流したということは風呂場?それともお手洗い?」
「……随分と頭の回転が速いんだな。それに血痕と聞いて驚かないとは」
「商売柄、ね」
ヒナの言葉に、ケヴィンはPGNの記者は傷害事件の現場にも取材へ行くのかと問うたが、ヒナはその言葉に曖昧に答えることしか出来なかった。
そしてケヴィンはコンテスト予選会場の女子トイレで清掃スタッフが血痕らしきものを見つけたらしい、と話した。
「どの情報はどこから?」
「私はこの星のメディアだからね。運営には知り合いも多い」
「捜査は?警察組織は来ているの?」
「まだだ。というよりも、コンテストが終わるまでは運営が入場させないだろうな」
ケヴィンの言葉にヒナは頭痛を感じた。
事件が起きている可能性が高いというのに、捜査よりもコンテストを優先するとは。
だが血痕というのは穏やかではない。ヒナはケヴィンに案内を頼み、問題の女子トイレを訪れた。
当然のように、女子トイレには警備が立っていた。
会場スタッフのお仕着せを身につけた、屈強な男性が丁寧に、しかし断固としてヒナ達の立ち入りを拒絶する。
仕事熱心なことは良いことだが、こちらも仕事だ。
ヒナはため息交じりにケヴィンを振り返ると言った。
「SNNは守秘義務をちゃんと守ってくれる?」
「当然だ。……しかし、何の?」
「……これ」
そう言うとヒナは胸元からギルド章を取り出した。
鎖の先で揺れる黒水晶を目にしたケヴィンの目が大きく見開かれる。
「ヒナ・カイラニ。ギルドの特命監察官です。監察官権限で現場検証の許可を求めます」
ヒナの要求に守衛はしぶしぶといった様子で道をあけ……ヒナと、ついでにケヴィンは女子トイレに足を踏み入れた。
換気されているはずの空間に入ったヒナは眉をひそめた。
この場所には……かなり薄れてはいるが、血の匂いが漂っている。セミテロマーの鋭敏な感覚がそう告げている。
「何も無いようだが」
「あそこ。天井に血痕が残ってる。壁と床は洗い流してあるみたいだけど」
天上を見上げたケヴィンは、確かにそこに赤黒い染みが付着していることに気が付いた。
ケヴィンは天井を見上げながら不審げに言う。聞いた話では血痕は床にあったはずだ、と。
その言葉にヒナは、運営がトラブルを回避するために血痕を洗い流したのだろうと考えた。犯人に加担する意識があるのかどうかは定かではないが、ミス・ギャラクティカの運営は結果的に犯人を利している。
そう、犯人だ。
床面に多少の血が付く程度のトラブルなら、あり得ないこともない。
だが、0.5Gの低重力とはいえ天井にまでそれが及ぶとなると。そして今もなおヒナの感覚を刺激し続ける血の匂いを思えば。
おそらくその血が流された時点では……かなり凄惨な現場だったのだろうと、ヒナは考えた。
だが、誰が、誰を傷付けた?
真っ先に思い当たるのは姿を消した2人、アンジェラと……ジュリアーナ、もしくはクレオ。
血痕を元にDNAを採取すれば……そう考えかけたヒナはため息と共に頭を振った。アンジェラも、ジュリアーナも遠い異星からの来訪者だ。
彼女たちの遺伝子情報を、杜撰な個人認証をしているミスコン運営が把握しているはずもないだろう。
「ケヴィン。この機動要塞の排水濾過システムはどうなってるか判る?」
「いや……だが、確認出来る窓口なら判る。しかし、何を調べたいんだ?」
「流出した血液が、致死量かどうか」
ヒナの言葉にケヴィンは絶句する。
ヒナが言っているのは、この場で殺人が行われた可能性を示唆するものだったから。
ケヴィンの手配により濾過システムのログは調査され、結果として致死量に相当する血液が排水溝から流出した事が判明した。
DNAサンプルの抽出も行われたが……惑星セラムに保存されている住民データには合致しなかったとケヴィンは告げる。
つまり、この場で殺害された可能性があるのはクレオではなく、アンジェラか、もしくはジュリアーナなのだろうとヒナは結論づけた。
だが、どちらが?
いや、それ以前に誰が、何のために?
ふと、ヒナはあることに気が付いた。
この場所はミスコンの予選会場だとケヴィンは言っていなかっただろうか?
ヒナが会場入りしたのは予選後、ファイナリストが選出された後だ。既に予選会場は機材の撤収が終わっていることもあり、ヒナはどこで、どのように予選が行われたのかを把握出来ていない。
その疑問をケヴィンにぶつけた結果、返ってきた答えは……ここが予選会場の内部、そして一番外れのあまり人気の無い場所だったと言う回答だった。
そしてその答えが意味するのはすなわち……。
「この血痕は、ジュリアーナのもの、かな」
「どうして、そうなるんだい?」
「血痕を遺す可能性があるのはアンジェラ、クレオ、ジュリアーナの3人。まずDNA鑑定からクレオは除外できる。そして……ここが予選会場内なら、エントリーしていないアンジェラはここへ足を踏み入れることは難しい」
「なら、消去法でこれはジュリアーナである可能性が高いということか。なら、あのアフロディーテは一体……」
事実が1つ明らかになる度に新しい謎が湧き上がってくる。
それはまるでアフロディーテを産んだという、海底から湧き上がる泡のようだ。
だが、この会場に存在するアフロディーテは、海の泡ではなく謎の泡が生み出したものだ。
……ヒナはそう思った。
その後、ヒナは運営に問い合わせを行い、件のトイレ周辺の監視カメラ映像を確認した。
その結果判明した事実は……さらに事態を混乱させるものだった。
カメラに写っていたのは「トイレの方向へ向かうジュリアーナ」そして「その後を追うように同じ方向へ向かうクレオ」の姿。
しばらく後に「1人で戻ってきたジュリアーナ」だった。
「ジュリアーナが死んでいる可能性があるのに、出て来たのはジュリアーナだと……?」
「これがクレオの血痕なら、ジュリアーナがクレオを殺したと言えるんだけどね。どちらにせよ、これで推理は振り出しに戻った、かな。いや……あのアフロディーテのDNAを採取すれば……」
「どちらにせよ、もう夜は遅い。明日の朝、プレゼンテーションの前にでもアフロディーテの元を訪れよう」
「あら、夜討ち朝駆けはしないの?」
「SNNは常識的なメディアなのでね」
状況は混迷を極めるばかりだったが、そういっておどけてみせるケヴィンの姿に、ヒナは少しだけ張り詰めた気持ちが楽になるような気がした。
だが、その常識的な判断が、次の悲劇を生むことになった。




