#4
その日の夜は何事もなく更けていった。
朝日が昇り、青白い死神を退ける陽光が差し始めたことでヒナは重い徒労感と共に宿舎へと戻った。
シャワーを浴び、仮眠を取ったヒナは再び街へ出かけて情報を集める。
前日のカフェでも感じたことだが、トロイア市内は疑心暗鬼に溢れた重苦しい空気が漂っている。
誰もが他人を殺人者ではないかと疑い、警戒する。本来であれば身内しかいないギルドの直轄地だというのに。
そしてトロイア市民の視線は自然とヒナに集中していた。
元々ヒナは衆目を惹く美人ではあるが、この星で人々がヒナを見つめる視線に宿る感情は羨望や好意ではなく、ただ疑念と嫌悪だ。
見知らぬ異邦人への警戒。だが、それがヒナへの攻撃に繋がらないのは、ひとえに彼女が首から下げているギルド章によるものだった。
「ギルドの権威に頼るのは好きじゃないけど、お守り無しじゃ街中も歩けない、か」
そう呟くヒナだが、攻撃こそされないものの心理的なヘイトが向いた状態では情報収集もままならない。
やはり先に死神を押さえる必要があるか……。
そう考えたヒナは、自らの直感を信じて方針を変えることにした。
その日の就業時間後。
ヒナは街中をあてもなくパトロールすのではなく容疑者を直接見張った方が労力は少ないと考え、ある人物の自宅を見渡せる場所に身を潜めた。
郊外にぽつんと一軒佇む小さな家屋。窓からこぼれる光は薄暗く、それはまるで家主の孤独を象徴しているようだった。
果たして……その日の深夜を回って少しした頃。
夢遊病患者のような動きで、その人物が自宅から歩み出て来たことでヒナの疑念は確信に変わった。
「こんな夜中にお散歩?」
ヒナは声を掛けるが、暗がりで立ち止まった人影は返事をしない。
乱れた赤い髪で、陶器のような滑らかな肌を惜しげも無く晒した女性。いや、それは肌ではなく外殻と呼んだ方が良いのだろうか。
光を失った瞳で……エリスは、ただ黙ってヒナを見つめていた。
しばらく無言で対峙していた2人だったが、やがて奇妙な変化が訪れた。エリスの義体が、蒼く輝き始めたのだ。
それに合わせるように、エリスの瞳に僅かな光が――そして絶望の色が宿る。
小さく動いた口から漏れた言葉は、ヒナの鋭敏な聴覚をもってしても微かにしか聞き取ることできなかった。
だが、それでも……エリスは言った。
『ニ……ゲテ……』
その言葉を耳にしたヒナは、手にしていたレゾナンスブレードに向かって起動歌を短く謳う。
『Blade of the Ocean, to my voice give heed!』
(大海の刃よ、我が声に応えよ!)
ヒナの手に蒼碧の刃が形成され、周囲の闇を光が切り裂いたのと、エリスの義体の両腕が展開して鋭利なブレードが露出したのはほぼ同時だった。
「エリスっ!これがアナタの意思じゃないなら、抗いなさい!」
ヒナはそう呼びかけるが、既にエリスの瞳に光はない。
ただ白い義体の各所から暗く蒼い光を放ちながら……人間離れした勢いで両腕のブレードを繰り出すばかりだ。
ヒナは最前の様子からエリスは何者かに操られている可能性が高いと判断し、極力傷付けないように無力化を試みる。
だが、エリスの義体の運動性能はセミテロマーであるヒナと互角かそれ以上。
そして全力で殺しに掛かる相手に、手加減をしていては……当然のように状況は不利になる。
エリスが両腕に展開した仕込みブレードを何とか凌ぐヒナだが、激しい連撃を受け流しきれず、刃が小さな傷を次々とヒナの体に刻んでゆく。
このままでは押し切られる!そう思った瞬間、ヒナの意識は懐に忍ばせていた黒いバックルへ向かう。
ここでバックルを身につければ。
あの言葉を……「凝黒」を叫べば、戦況を一変させることが出来る。
だが……。
「これは、自分のためには使わない……そう決めたんだ!」
フォトライザーシステム。
それは惑星トーエイのギルド支部が秘密裏に開発した、極めて秘匿性の高い戦略兵器だ。
原型となったモデルは正義を実現するために造られたものだが、ヒナが手にしているまがい物にして強化版であるフォトライザーは、支配と破壊のために造られた悪のシステムだ。
主であるアリサはトーエイでの戦いの後、悪の手によるシステムを破棄するようヒナに命じた。だが、それでも……万が一のために、ヒナはフォトライザーシステムを手元に残していた。
フォトライザーを所有することはアリサへの裏切り行為にも等しく、それゆえにヒナはこのシステムを監察官としては使わないと……アリサの命を守るためだけに使うのだと決めていた。
『シネ!シネ!シネ!』
ヒナが気付いた時には、エリスはいつの間にか単調な声でそう叫んでいた。
彼女の自我は残っていない。そう判断したヒナは、断腸の思いと共にブレードを強く握りしめる。
「エリスっ、ごめん!」
義体であれば四肢を切断されても生存できる……そう信じて。
ヒナが繰り出したレゾナンスブレードの一撃は、エリスの両腕をブレードごと切断した。
『イタイ!シネ!イタイ!シネ!』
狂ったようにそう叫ぶエリスに、ヒナの表情は曇る。
だが、エリスの義体は止まらず、ヒナに飛びかかり、切断された腕でなお、殴りかかろうとする。
このままでは止められない……。
「エリスっ!」
『シネ!イタイ!シネ!トメテ!シネ!イタイ!』
「!!」
一言だけ混じったトメテという言葉。
それを耳にしたヒナは、覚悟を決めた。
一旦後ろに飛び退り、光の刃を引き戻し……ヒナはそのままブレードをエリスの義体に向かって突き出した。
「ごめん。こんな止め方しか、できなくて」
『イタイ!イ、タイ!アリ……ガト……ウ!イタ……』
心臓にあたる場所に内蔵されていた動力部を貫かれたエリスの言葉は、どんどん小さくなり……そして途絶えた。
ヒナは、機能を停止したエリスの義体を抱きしめて、泣いた。
しばらく後、涙を拭ったヒナはエリスの体を彼女の自宅へと運び込んだ。
外観からは想像が付かない程、エリスの家の中は荒れていた。
割られた鏡。
粉々になった食器類。
壊れたベッド。
壁に空いた無数の穴。
それら全てが、エリスの感じていた苦しみを現しているのだとヒナは思った。
ベッドすら壊れていたため、ヒナはやむなくエリスの体を寝室の床に横たえた。壊れたベッドの残骸からシーツを剥ぎとり、エリスの全身を覆うように掛ける。
黙祷を捧げた後、ヒナは心の中でエリスに詫びた上で彼女の自宅の中を捜索し、その結果一冊の手記を発見する。
紙の……そう、手書きの手記だ。
パラパラと中を確認したヒナはその手記を大事に仕舞い込み、エリスの自宅に鍵を掛けるとその場を立ち去った。




