#1
『じゃあ、またね、ヒナっ!』
『ええ、アイリス様によろしくね。あと、トワ様に「牛乳の神秘」って何か聞いておいて?』
『あはは、たぶん聞いてもわからないとおもうけどっ』
『だよね。ともかく、長旅になるから気を付けてね』
静寂に包まれたオフィスの中に、楽しそうに話す少女達の声が響く。
もちろんオフィスには少女の姿は無い。
彼女たちの声は重厚なデスクの上に置かれた通信機から流れ出ているものだ。
机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に当てた姿勢でデスクに向かって通信内容を聞いていた男が独りごちる。
「二手に分かれるか……面倒な。だが、秘書官の方はさしあたり重要ではないか」
男――モーリオンギルド統括局、監察部部長であるベネディクト・ピアース参事官――は手元の端末に表示された部下からの申請書類に目に落とし、忌々しげに呟いた。
「汎銀河司法裁判所だと?一体、誰の入れ知恵だ?……だが、所詮は神の手のひらの上で踊らされている小娘の愚行にすぎぬ。哀れなことだ」
酷薄な笑みを浮かべるとピアースは確認済みの通信記録を消去し、継続監視のために自動記録モードへと設定を変更した。
出立するマリエッタを見送ったヒナは少し居心地悪げに通信機を切り、先ほど統括局から戻ってきた申請承認通知に目をやった。
ヒナとマリエッタが打った反撃の一手。
それは「汎銀河司法裁判所」に対して星喰みの犯罪を告発するというものだった。
汎銀河司法裁判所は恒星間の揉め事や複数の惑星に跨がる犯罪を裁く裁判所だが、実のところ単なる象徴的な存在でしかないというのが各惑星、そしてギルドの司法関係者の共通認識だった。
各惑星や組織はそれぞれに独自の法や憲章を持ち、その枠内で裁定を下す。
故に、ある惑星では死罪に相当することが、別の惑星では犯罪と認定されないような事も起こりうる。
そんな事案を持ち込まれた汎銀河司法裁判所が誰もが納得できるような裁定を下せるはずはなく、それ故に汎銀河司法裁判所は和平を重んじる理念を抱きつつも、ただ存在するだけの象徴と成り果てていたのだ。
今回、ヒナは上司である監察管理官の許可を得て、正式に星喰みを汎銀河司法裁判所へ告発する手続きを行った。
これまでにも師匠であるジャーナリスト、メナ・クロウリーを通じて星喰みの存在はある程度表沙汰にはされていたが、いかに著名人とは言えメナは一介の民間人にすぎない。
多くの惑星に対して星喰みの存在を警告し、対策を行わせるためには個人の力ではなく公的な機関による告知が必要だとヒナ達は考えたのだ。
そしてヒナ達は既に星喰みの背後にはギルドの……ピアースの関与がある事を確信している。それ故に情報の発信はギルドからではなく、より公的な機関を頼ることにしたのだ。
「しかし、汎銀河司法裁判所とはね……マリエッタ、よくそんな事思いつくよね……」
汎銀河司法裁判所の存在自体は広く知られているが、その有効性が疑問視されるが故にそれを頼ろうと考える者はまずいない。
あえてマリエッタが汎銀河司法裁判所を頼ると提案した際に、ヒナですらそれは無意味だと指摘した。
だが、告発の目的が星喰みの周知にあるというマリエッタの言葉にヒナは素直に感心した。
今、ヒナの手元にある証拠はマリエッタがハッキングで手に入れたアーレスでの通信記録。
そこにはDr.カロンとDr.Dr.エレボスが星外へと連絡していた記録が残されていた。
Pとイニシャルで記された相手との通信は複数の拠点を経由して行われており、マリエッタの探知した最終的な発信地点は統括局が置かれたオラクルXVIII。
つまり、星喰みの手先とピアースが連絡を取り合っていた証拠たりえるものだ。
そして、マリエッタが回収した人型戦車、フォボスとダイモスの設計データ。これにアスクレピオスで手に入れた紫のC3の結晶が、手持ちの全てだった。
……昨日までは。
ヒナは懐に忍ばせていた小さな機器をオンブルの天井に向け、スイッチを押す。
昨日から何度となく再生した映像が表示される。
『動かしてみろ……よし、ちゃんと撮れてるな――』
天井にはどこかの会議室の様子が映し出され、もはや記憶してしまった音声が再生される。
聞くとはなしにその音声を聞きながら、ヒナは新たな証拠を手に入れた時のこと思い出した。
惑星サニーサイドでの1週間の休暇の最終日。
休暇前に申請した汎銀河司法裁判所への告発許可が下りた、その日のことだった。街を1人散策していたヒナは小汚い身なりの少年に声を掛けられた。
「ネエちゃん、これ!」
「……何?」
「知らないよ!ネエちゃんにこれ渡したらカネくれるって言われただけさ!」
そう言うと浮浪児らしき子供はヒナに包みを無理矢理押しつけると、引き留める言葉を無視して走り去った。
あまりにも不審な荷物に一瞬ヒナはピアースが自分を殺害するために爆弾でも送って寄越したかと警戒した。
周囲に人がいるところで爆発させるわけにはいかないと、慌てて手近な路地裏へと走り込む。大規模な爆発を起こさないことを願いながら。
しかし、路地裏で包みを開封したヒナが目にしたのは小さな機器だった。
ヒナはその機器に見覚えがあった。
「シンシアー」と呼ばれるそれは、映像を記録するためのデバイスだが、普通の撮影装置とは一線を画する特徴を持つ特殊用途の品だ。
この機器は単体で撮影と映像投影をこなすことができる。それ自体は珍しい機能ではないが、シンシアーは記録された映像を編集したり外部へコピーしたりすることができない構造になっている。
それどころか分解してデータを取り出そうとすればデータを自壊させる機能すら組みこまれており、さらには可視光線による映像だけでなく赤外線やバイオメトリックス情報等の見えざる情報、気温や湿度、地磁気に放射線量といった環境情報までも偏執的なまでに記録することで「映像が改竄されていない真実のもの」であることを保証する機能を持つ。
つまり、この機器に記録されている映像は真実であるということが担保されたもので、それ故にシンシアーと呼ばれる……そういう代物だ。
なのでシンシアーは公的な宣誓や重要契約の締結時に双方がシンシアーを持ち、互いに記録することで映像記録を証拠とするために用いられる。
ただし、それは表向きの存在理由で、実際には犯罪や後ろ暗い取引が記録され、被写体に逃れ得ない脅迫や裏取引、圧力を行う際に用いられる……そういった誠実さとは無縁の代物でもあった。
出所不明のシンシアーに何が映っているのかはわからないが、わざわざヒナを指名して送ってきたものだから、確認する価値はあろうだろう。
そう考えたヒナは休暇最終日の宿泊予定をキャンセルし、オンブルへ戻ることにした。




