第8話:孤高の聖女と、謎の東洋武術
フェリクスを退けた翌日。
カイトは「無印」の兵舎裏で、一人静かに正拳突きを繰り返していた。
シュッ、シュッ、と鋭い呼気と共に空気が震える。その一撃一撃が、目に見えぬ壁を穿つような重みを持っていた。
「……信じられません。魔力を外に放出せず、すべて体内の細胞に定着させているなんて」
背後から響いたのは、鈴の音のように透き通った声だった。
カイトは拳を止め、ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、純白の法衣に身を包んだ少女だった。
金色の髪が陽光に透け、その瞳は深い慈愛と、それ以上に強い「探求心」を宿している。王国が誇る至宝――聖女セレスティーナだった。
「聖女様がこんな掃き溜めに何の用だ?」
「掃き溜めだなんて。ここには今、王都で最も純粋な『力』が満ちています。……カイト・ハザマ様。あなたのその技、失われた古代の『聖術』……神の御力を肉体に宿す秘儀ではないのですか?」
セレスティーナは一歩歩み寄り、カイトの右拳をじっと見つめる。
彼女の「鑑定」の眼には、カイトの拳が太陽のように眩く輝いて見えていた。
「聖術? 違うな。これは『空手』だ。東の果ての、さらに遠い場所で磨き上げられた技術だよ」
「カラテ……? 聞いたこともない名前です。ですが、あなたがフェリクス卿を倒した際の動き、あれは魔法の理を超えていました。魔法は現象。ですが、あなたの技は『概念』に近い」
セレスティーナは、祈るように胸元で手を組んだ。
彼女は悩んでいた。聖女として、瀕死の兵士を癒やすことはできても、魔法そのものが効かない呪いや、魂を削る病の前では無力であることを。
「カイト様、お願いです。その『カラテ』の真髄を、私に見せていただけませんか? 癒やしの魔法では届かない場所に、あなたの拳なら届く気がするのです」
「……見せるのは構わんが、俺の修行は理屈じゃないぞ」
カイトは再び構えをとった。
今度は、円を描くような緩やかな動き。**「回し受け」から「掌底」**への連動だ。
「いいか、力というのは水のようなものだ。せき止めれば爆発し、流せば円になる。魔法は水を沸騰させて蒸気にするようなもんだが、空手は水そのものの質量で相手を押し流す」
カイトが掌底を突き出すと、セレスティーナの頬を柔らかな、しかし逃れようのない圧力を伴った風が撫でた。
「……美しい」
セレスティーナは感嘆の溜息を漏らした。
破壊の道具だと思っていた拳が、これほどまでに洗練され、静謐な調和を保っている。
「カイト様。もし……もし私が、その『カラテ』の呼吸法を学べば、もっと多くの人を救えるでしょうか?」
「さあな。だが、自分の身を守れない聖女より、賊の首をへし折れる聖女の方が、俺は信頼できると思うぞ」
カイトの不遜な言葉に、セレスティーナは一瞬呆気にとられ――そして、クスリと小さく笑った。
「ふふ、確かに。……では、今日から私も『カラテ』の門下生にしてくださいますか? 師範」
聖女が「空手」に弟子入りする。
その前代未聞の事態が、王国のパワーバランスをさらに大きく揺るがし始めていた。




