第5話:呼吸するだけでレベルが上がる身体操作
「スゥ……ハァ……ッ!」
第十部隊「無印」の兵舎に、鋭く短い呼吸音が響く。
カイトは「三戦」の型を組んでいた。両足を内側に締め、拳を脇に。全身の筋肉を鋼のように硬直させ、大気中の魔力を呼吸と共に細胞一つひとつに強制的に押し込んでいく。
「……おい、ルナ。あいつ、さっきから一歩も動いてねえよな?」
大男のバルトが、呆れたように呟く。
だが、その隣で魔導書を抱えていた少女、ルナはガタガタと震えていた。
「バ、バルトさん……離れてください。カイトさんの周りだけ、魔力の濃度がおかしいです……! まるで、空間そのものが彼に飲み込まれていくみたい……」
ルナの指摘通りだった。
この世界の住人は、魔力を「回路」に通して外へ放出し、現象(魔法)に変える。だがカイトが行っているのはその真逆。魔力を体内へ「爆縮」させ、肉体そのものの強度を底上げする身体操作だ。
カイトがゆっくりと正拳を突き出す。
ゆっくりとした、重い動き。だが、その拳が空気を擦るだけで、「ビキッ」と空間が悲鳴を上げた。
「ふぅ……」
カイトが残心を解き、息を吐き出す。その肌からは蒸気が立ち上り、一瞬だけ皮膚が金属のような光沢を帯びていた。
「おい、新入り。それがお前の言う『稽古』か? そんな地味な動きで、何が変わるってんだよ」
我慢できなくなったバルトが詰め寄る。
カイトは静かにバルトを見上げた。
「変わるか、試してみるか? バルト、お前の『不安定な身体強化』で、俺の腹を殴ってみろ。一歩でも動いたら俺の負けでいい」
「はぁ!? お前、死にたいのか? 俺の強化は制御不能なんだぞ。出力が跳ね上がれば、並の騎士なら臓器がブチ撒けるぜ!」
「いいから、打ってこい」
カイトは足を肩幅に開き、どっしりと構えた。
バルトは顔を真っ赤にし、「後悔するなよ!」と叫んで拳を振り上げる。
「うおおおおおッ! 『身体強化』!!」
バルトの腕に血管が浮き出し、制御を失った魔力がパチパチと放電する。重戦車の突撃にも等しい一撃が、カイトの無防備な腹部に叩き込まれた。
――ドォォォォォンッ!!!
兵舎の窓ガラスが衝撃で震え、埃が舞う。
ルナが「カイトさん!」と悲鳴を上げた。
だが。
「……今の、入ったか?」
カイトは、微動だにしていなかった。
それどころか、殴ったはずのバルトが「ぐ、ああああッ!?」と叫び声を上げ、自分の右拳を抱えてのけ反ったのだ。
「な、なんだ……!? 鉄板を殴ったような……いや、自分の力が全部、そのまま自分に跳ね返ってきたみたいだ……」
「これが『締め』だ。呼吸と筋肉の収縮を一致させれば、肉体は最強の盾になる」
カイトは事もなげに言う。
前世では「理屈」でしかなかった武術の極意が、魔力というブースターを得て、文字通り「金剛不壊」の域に達していた。
「バルト、お前は力の出し方を知らないだけだ。ルナ、お前は魔力の『器』である体が脆すぎる。……魔法を使おうとするな。まず、その貧弱な体を作り直せ」
カイトの言葉は、これまでの彼らの人生を否定するものだった。だが、目の前で見せつけられた圧倒的な「現実」を前に、二人は反論できなかった。
「……教えろよ、カイト。……どうすれば、俺もそんな風になれる」
バルトが屈辱を飲み込み、頭を下げた。
カイトはわずかに口角を上げる。
「まずは、拳立て一千回。それと、今の呼吸法だ。死ぬ気でついてこい」
この日、「無印」の落ちこぼれたちは、魔法を捨てて「武」の門を叩いた。
それは、後に王国を震撼させる「空手騎士団」が誕生した瞬間だった。




