43話 腐神
ルーリャは罅割れた眼鏡をかけ直すと、ゆっくりと立ち上がった。
口に溜まった血を吐き捨て、ギロリと化け物を睨め付ける。
「げほっ……お前のような雑魚が、調子に乗らないでください。
このくらい、かすり傷にも入りません」
「ふむ……迷宮の神よ……その胆力は評価しよう……だが…………
その醜態で何を言おうと……哀れなだけよ……」
「ふん、ラグスのおこぼれに群がるだけの乞食風情が知ったような口を……
グローズ、随分と偉くなったものですね」
ルーリャがグローズと呼んだその化け物は、目を細めてニヤリと微笑んだ……ように見えた。
無数の目が同時に動くのは不気味を超えて、生理的に恐怖を覚える。
そしてその直後、二人のマナがまたしてもぶつかり合い、激しく爆発を引き起こす。
「ぐはっ!?」
俺は発生した暴風に耐え切れず、部屋の隅まで吹き飛ばされた。
壁にぶつかり、背中に鈍い衝撃が走る。
いたるところで火花が散り、凄まじい速度で魔法が放たれる。
繰り出される拳はブれてみえるほど速く、二人の戦いはさらに加速していった。
『バライム!返事して!バライム!』
俺が立ち上がろうとしたその時、脳内にトラスの声が響いた。
『何があったの!?急に途切れちゃうし、また爆発の音が聞こえたし……
それにこのマナ、ルーリャちゃんともう一人……すごく分かりづらいけど、グローズだよね......?
まさか戦って……いや、いまはそれより早く合流を……』
トラスは混乱したように立て続けに言葉を並べる。
『あぁ、いま、ルーリャと、そのグローズってやつが戦ってて……』
そう言いかけた時。
ルーリャが吹き飛ばされた。
壁が崩れ、瓦礫がルーリャに容赦なく降りかかる。
「ふむ……迷宮の神よ……あまり長くいたぶるのも忍びない……次で終わらせてやろう……」
グローズはそういうと、拳にマナを集約させ始めた。
マナが泥のようにグローズの腕に纏わりつき、鈍く光る。
空間が歪んだかと思うほどの重圧が、部屋にのしかかっていた。
「ま……だ……」
ルーリャはどうにか立ち上がろうとして、力なく頽れる。
ルーリャには、もはや自分を支える力すら残っていなかった。
身体中から流血し、全身が赤く血濡れている。
ゴボリとどす黒い血を吐いた。
「死ぬがよい……」
グローズの腕が静かに振り下ろされる。
ルーリャには、ただその光景を眺めることしかできなかった。
「嫌………」
ルーリャの口から、震えた声が小さく漏れた。
『トラス、ごめん』
『え!?何!?まさか、ダメ!まってバライム!』
身体が、勝手に動いた。
かつてないスピードで、マナが身体を駆け巡る。
気が付いた時には、俺はルーリャを抱えて飛んでいた。
グローズの拳が、俺の頬を掠める。
肉が抉れるような衝撃が走り、鮮血が散った。
痛みで顔が歪む。
「貴様は……」
グローズのしわがれた声が響く。
無数の目が、ぎょろりと動いて俺を捕らえた。
生理的恐怖が俺を支配し、足が竦む。
「バライム・ソケリアだ……。グローズ……だったか。お前は敵か?味方か?なぜ、ルーリャを狙っている……」
震える足を理性で抑えつけて、俺はグローズと対峙する。
グローズは俺の言葉を咀嚼するように、少しの間動きを止めた。
そしてうなずくように首を傾けると、口を開いた。
すべての目がぎょろりと動き、俺を捉えた。
「我は……腐神……腐神グローズである……。貴様には……感謝しておる……。ゆえに……苦しむことなく楽になるよう努めよう……。こうして……結界を……内側から破壊してくれたのだからな……お陰で随分……簡単になった……」
そう言って、グローズは目を細めてニンマリと微笑んだ。
……ように見えた。
やや的を得ない返答に困惑する。
だが、それよりも。
そんなことよりも。
グローズが放ったその言葉が、俺に深く突き刺さった。
「な……それ……それは、どういう意味だ。結界なんて、俺は……」
「ふむ……貴様であろう……?つい先刻の……悪意に満ちたマナの爆発は……。アレは……中々に良い悪感情であったぞ……」
俺ではない可能性を尽く潰すように、グローズの言葉が続けられる。
「そんなわけ……いや……だって……さっきルーリャがそう言って……」
俺が錯乱しながらルーリャに目をやると、ルーリャと目が合った。
ルーリャは不機嫌そうに、しかし気まずそうに、ふっと目を逸らした。
「……………………」
それは、無言の肯定に他ならなかった。
俺とルーリャの間に、気まずい沈黙が流れる。
だがそんな沈黙も、一瞬のうちに終わりを告げた。
「死毒融解領域…………」
グローズの魔法が発動される。
同時に、グローズの足元から地面がどろりと溶け始めた。
それはまるで沸騰した毒沼のよに、一帯を飲み込みながら浸食する。
飲み込まれた瓦礫の欠片が、一瞬にして形を保てず消滅した。
「!!!」
「くそっ!ルーリャ、しっかり摑まっとけよ!」
この部屋から脱出するには、グローズが入ってきたあの穴から出るしかない。
大通路への道は全て崩落で埋ってしまっている。
どうにかしてあの沼を飛び越え、グローズの裏を取る必要があった。
飛ぶ。
壁を、天井を、縦横無尽に駆け回る。
グローズは動かない。
飛び回りながら、一瞬の隙を伺う
……今!
そう思い、飛び込もうとしたその時。
「止まりなさい!!!」
ルーリャの声が響いた。
俺はその声にとっさに従い、その場を飛び退く。
刹那、壁一面が毒々しい紫に染まった。
壁から煙が上がり、まるで元から何もなかったように壁が消滅する。
もしあのまま進んでいたら……冷たい汗が背筋を伝う。
「……感が……よい……」
「はっ……くだらない冗談を……。わざと殺気を漏らしたでしょうに」
ルーリャはそう言うと、俺の腕を軽く叩いた。
「離しなさい。もう動けます」
「あ、あぁ……本当に大丈夫かよ」
「えぇ」
そっとルーリャを降ろす。
ルーリャはバランスを崩して少しよろめいたが、すぐに立ち直るとキッとグローズを睨んだ。
「グローズ。そろそろ本気で相手して差し上げます」
「ふむ……未だ虚勢を張れるとは……しかし胆力も……行き過ぎれば……ただの愚者と何ら変わらぬ……」
「愚者……?えぇ、そうかもしれませんね。それでも、最後に立っているのはルゥたちです」
そういったルーリャの足元まで、毒の沼が押し寄せる。
つま先に毒沼が到達するその瞬間。
足場が、ぐらりと揺れる。
世界が残像のようにブレたかと思うと、視界が大きく開けた。
9/23 ルーリャの一人称を統一




