避難行3日目:臨時市
昨晩魔物の襲撃があった。結果だけ見ればたいしたこともなかったが、ますます自分たちの無力さに落胆してしまう。
昨日の襲撃での怪我人らしい怪我人は滝本さんだけだったらしく、他に被害らしい被害はなかったとのことである。そうしたこともあり、昨日の繰り返しのように同じ避難民の行列は続いていく。幸いなことなのかはわからないが、午前中は体力を使う峠道越えのおかげであまり考えずに済みそうだ。
昨晩刺された瀧本さんはパリッセさんの奥さんの代わりに馬車に乗せられている。本人は何度も歩くと言っていたが、「私をそんなにおばあちゃん扱いする気?」という一言に折れて屋根のない粗末な馬車に乗り込んでいった。そして、本人の少し青白い顔色を見るとそれが正解だったように思える。
「まぁ今日も距離はそんなに歩かない。峠道を越えれば後はすぐじゃ」
出発前に言われたその一言に励まされながら登っていくが、段々と傾斜が急になり、また道が細くなっていくにつれて行列は間延びし渋滞が起こり始めた。昨日はなぜあんなに早く野営をしたのかと疑問に思ったがこれで合点がいった。体力的なことだけではなく、こうしたことで時間がかかってしまうのだろう。
もうすぐ昼という時、石造りの建物がいくつか並んでいるのが見えた。どうやらここが峠道の最高点らしい。両脇にさらに山が続いたその地点を塞ぐように立っていることから見ると関所か何かのようである。そこに詰めている兵士たちはアグスティナさんらに比べ貧相な格好に見える。時代劇の関所のイメージのせいかもしれないが、何か難癖を付けられたりしないかと内心ビクビクしたが、先導していた騎士の一人と何やら話しており、ほとんど視線を向けられることなく脇を通過した。
「すでに、増派されてるようだな」
「んだな。まぁこれでここを越えればもう後は安心だな」
一緒に登ってきたパリッセさんのグループの何人かが安心したように呟いた。どうやら聞くところによるとこの山のラインに兵士を配置し魔物を封じるらしい。ということは、今夜はある程度安心して眠れそうである。
何度も渋滞を繰り返したものの、拍子抜けするほど簡単に峠を越えることができた。低山の連なりを背にしながら、さらに歩いていると遠くに川が見え始めた。この避難行の出発点の川よりもかなり幅広だ。辺りには建物も見える。そして、どうやらここが今日の終着点らしい。驚いたことに川沿いにちょっとした市のようなものが開かれている。先着した避難民はすでに天幕を張り終え、その市に繰り出しているようである。
「これは……?」
「お祭りというよりは、市……かな?」
辻野さんと驚きながら言葉を交わす。
「避難民が来るってことで立てたのか。全く商魂逞しいわい」
市が開かれている広場を眺めながら、馬車の上からパリッセさんが笑い声を上げた。
「うっさいわ。こちとら、まっとうな商売をしてるだけだ」
市の関係者らしい人がすかさず反論してきた。すわ、これは喧嘩か、と思って身構えた。
「ん?おお、パリッセじゃないか」
「おお、ロベルトか。こんな所で奇遇だの」
「ああ、商売にちょこっとここに来てただけなんだがな」
どうやら知り合いのようである。馬車から降りて何やら昔ばなしに興じ始めた。
「全く仕方のない人ね……準備はしておきますけど、さっさと来てくださいね」
奥さんがそう一声かけて、野営地として指定された草原に進んでいき、我々もそれに続く。
天幕を張り終えてもまだ陽は高く日没までたっぷり時間はありそうである。後続の避難民の列を眺めながら何をしようかとぼんやりと考えていると、例の女の子たちが元気よく駆けてきた。
「お姉ちゃんたちも一緒に行こう」
どうやら市に一緒に行こうと誘いに来たようだ。特に何か買うものがあるわけではないが、覗いてみたいことは確かだ。
「お友達と行かないの?」
「子どもだけじゃダメって言われるし、あと男子たちよりお姉ちゃんたちと行きたい」
山田さんの問いかけにちょっと口を尖らせて答える。なるほど、小さな集落レベルだと同年代の同性がなかなかいないのであろう。さらに、親世代の多くが出稼ぎに行っていることを考えると滝本さんと山田さんに懐くのも頷ける。
「じゃぁ、私が荷物の番をしてますので、皆さん行ってきてください」
「えー、やだー。おじさんも一緒にいくのー」
後藤さんがそう一言言った瞬間に姉妹は口を揃えて駄々をこね始めた。若い女性に懐くのはわかるが、なぜ後藤さんにこんなにも懐いているのだろうか。確かに彼らのグループの中に入ると後藤さんは若い部類に入る。だが、こう言ってはなんだが、冴えないおっさんにしか見えない。
「俺らが荷物の番をしてますよ。何か面白いものがあったら教えてください」
結局姉妹たちの希望を叶えるべく、高部君と松田君が残ってくれることとなった。
「ただ、無駄遣いはしないでくださいね」
そう言われながら、紙と交換で手に入れた銀貨を受け取った。何やら準備をしているパリッセ夫妻が来るのを待ってから市見学へ行くことにした。
川沿いの集落はどうやら船着場を元に発展したようで、川から少し離れたところにある広場が中心となっている。そこに常設店舗らしき食堂と雑貨店があり、それ以外は広場から続く通りにある青空市だが、大小の店あわせても20もないこぢんまりとした市だった。そういった店よりも人が集まっているのは広場の真ん中で、現地住民と避難民とが何やら交渉をしている。
「ちょっと交換してお金を作ってくるから待っててね」
そう言うと夫妻は担いだ荷物と鶏の入った籠を持って広場に行って何やら交渉している。貴族階級などではなさそうだが地域の有名人なのだから、ある程度お金を持っているかと思ったが交換しないとない懐事情なのだろうか。広場で様々な交換の交渉をしているのを眺めながら待っていた。
他の避難民たちも売却や物々交換などをしているようである。地域住民とすれば避難民の重たい荷物を買い叩けるチャンスなのだろう。特に家畜の売り買いは熱を帯びているようで、喧嘩に近い口調すら耳に入ってくる。
「別にここで売らんでもええんじゃぞ!」
「餌が不足して死んだら元も子もないで?」
なるほど、商魂逞しいとはこのことかと思いつつハラハラしながら見守っていた。
「よし、銅貨と酒を確保したわい」
「全く、酒はそこまでいらんでしょうに……」
どうやら交換が終わったらしい。しかし、銅貨とはどういうことだろう。アグスティナさんに聞いた貨幣は、金貨のリラ、大銀貨のソルドと小銀貨のデナーロだけなのだが、と思っていると辻野さんが、それを質問してくれた。
「あー、いやさ、例えばこの市で買い物するとするじゃろ?ソルドじゃそれこそ酒樽ごと買うことになる。デナロでもちょっとしたものを買うのには高すぎるし、さらにデナロ銀貨はソルドと違って色々種類がありすぎて悪貨も混じっておるってわけじゃ」
「なるほど、となると支払いは大きいものはソルドで小さいものを買うときは銅貨ってことろですか?」
「そうとも限らんの。銅貨は色んな地域の領主やギルドとかが発行しとるので知らんと何枚でいくらになるのかわからん。信頼できる相手と落ち着いて売り買いする時にはデナロの方が便利じゃ」
聞けば聞くほど混乱してきた。「ま、統一して安定した通貨なんてそうそうないってことですね」という後藤さんの言葉で無理矢理納得するしかなかった。
「ってことは、うちらはソルドしか持ってないのですが、ちょっとした買い食いとかはできないってことっすか?」
小谷君がかなり残念そうに聞いた。確かに美味しい香りがあちらこちらから漂ってくる。
「そうさの、ソルドで食い物となるとちょっとめんどくさいかのぉ」
「そうっすか……あ、いや、買い食いってのは例えばで、絶対にしたいって話じゃないんですが……」
慌てて買い食い欲を否定する小谷くんだったが、その落胆はわかりやすく、例えばレベルの話ではなさそうである。
「ふふふ、いいですよ。買い食いくらいは奢ってあげます」
「おう、そこは任せておけ」
みんな揃って、いやいやそんなわけには、と日本人の悪癖なのか初めは遠慮をした。
「何を言っとる。孫娘の命の恩人じゃわい。奢らせてもらわないとこっちが困る。それにわしら一生遊んで、とまでは言わないがそれなりに蓄えはあるからの」
「おじいさんが酒好きでなきゃ一生遊んで暮らせるくらいは本当にあったかもしれませんけどね」
おばあさんのその一言に全員がどっと沸いた。結局、その言葉に甘えることにし、屋台に出ているパテやらソーセージやらを買い込んだ。姉妹はお菓子を買ってもらいホクホク顔で歩いている。道をさらに下り船着場が見えるところまで来た時に、何やら蒸気が立ち上るとなりに幕で囲われた一画が見えた。
「あれは?」
頭をひねっても何か想像もつかない光景だ。尋ねてみる。
「ああ、あれはパン焼き小屋の隣で樽でも並べて、ここぞとばかりに臨時の風呂屋でもやっとるんじゃろ。避難中は湯浴みもできんかったからの」
「……お風呂!」
パリッセじいさんの解説に山田さんが見たことのないくらいの輝いた表情を見せた。
「あら、やっぱりお風呂入りたい?」
「はい!……でも、高いですかね?」
中世ヨーロッパは伝染病の根源と思われたことや売春などが横行したことでお風呂文化がかなり消えてしまったと聞いたことはある。それ以前ならある程度は一般的だったはずである。ただ、それが庶民的な価格なのかどうかはとんと知らない。
「たいしたことはないさ。足元見られてもちゃんとしたデナロ銀貨なら1枚で4、5回は入れるんじゃないかのぉ」
1リラが20万と考えるとソルドが1万円、デナロは千円弱といったところだろうか。となると200円といったところか。思ったよりも高くはない。周りも無言になっているのを見ると、同じ暗算をしていることだろう。
「よし、じゃぁ全員で風呂入ってからちょっとした酒盛りとするか。当然ここも出すぞい」
「まじっすか。ありがとうございます」
小谷君が勢いよく答えた。彼の言う通りここまで来たらお言葉に甘えてしまおう。一回野営地に戻ってタオルをとってきた後に荷物番と交代で風呂に入ることにした。
風呂は何区画かに幕で区切られており、そこに樽が並べられていた。川の水を沸かしただけのようだが、一回一回お湯を捨てているようで想像以上に綺麗な水である。お湯が少しぬるかったため、継ぎ足してもらった。これ以上熱くするのかと驚いた顔をされたが嫌な顔はされなかった。ただ、自分の樽は元酒樽のようで入っているだけで少し酔っ払いそうなのだけは難点だった。
「これだけの苦労をしても風呂が有り難いってやっぱ日本人だなぁ」
隣でお湯につかっている小谷くんがそう呟いた。彼の苦労は酒臭さではなく、どうやら物理的に樽が小さいらしい。大きな体をすぼめてなんとかギリギリつかっている。
「お姉ちゃんたちきれー」
隣からは女性陣の声が聞こえる。姉妹のどちらかの声かはわからないが、その声に少し想像してしまい気恥ずかしさを感じてしまう。
荷物の見張りのため順番が後になった男性陣がお風呂から戻ってくる頃には大分陽も傾いていた。
基本週1くらいで投稿していきます。
完全初投稿なので、意見が1つでもいただけたらうれしいです。
魔物の名前はトロールなのかトロルなのか。原音に忠実なら後者なのだろうが、ドラクエで育った日本人的には前者だよなぁ。




