92.もう一つの街ブラ③
ずっと大人しくしてるなぁと思っていたら船を漕いでいたアンリを起こして外に出る。
ニーナが連絡を入れていたようで、店へ入ると待ち構えていたランドルと従業員にアンリは貴賓室へ案内された。
続いて奥からディルクまで出て来て、ラシェルは驚く。
ひょっとすると、ニーナから話を聞いて心配して来てくれたのか、それとも単にランドルに用事があっただけか。
ディルクと目が合った途端、彼は何か言いかけて開こうとした唇を、けれどすぐに引き結んで表情を険しくさせた。
えっ、と思い、後ろを振り向いたら、停車場に馬車を置いてから入店して来たアルフレッドがそこにいた。
「やあ、こんにちは。君はラシェルちゃんの婚約者の、ディルク君だね。会うのは、編入日に生徒会室へ来て以来かな」
「はい、ご無沙汰しております」ディルクが恭しく頭を下げる。「本日はラシェルの紹介で、私の友人が経営するこちら、カラードスピネルまでわざわざ足をお運びいただき、恐悦至極でございます。アルフレッド様のご高名はかねがね……」
「ごめんね。俺、あんま堅苦しいのは好きじゃないんだ」
楽にして、と苦笑しながら後ろ頭を掻く。
いかにも脳筋らしい物言いだなぁと思うラシェルの横で、ディルクが一つ咳払いをしてから「では、お言葉に甘えます」と返した。
「言葉遣いも、丁寧でなくていいよ」
「分かった」
その遣り取りだけで、互いの空気感を掴んだのだろう。小さく吹き出して笑い合う。
「なかなか、肝が座ってるね」
「まあ、捨てる物が少ない身なので」
飄々と言って退けるディルクに、なるほどと鵜呑みにするアルフレッド。
KYと言うより、適度な無関心さを示すアルフレッドにディルクが緊張を解いたのが伝わり、和やかな雰囲気が流れる。
そこでラシェルは不意に後ろからの気配を感じ、振り向くとニーナが傍に控えていた。やっぱりこの一連の流れは彼女が気を回してくれたものだったのねと笑みを溢したところで、そっと耳打ちされる。
「ごめんね、帰るよう言われたけど、気になって迎えに来ちゃった」
ううん、とラシェルは首を横に振り、ありがとうと添えた。
「あと、ダヴィットがラシェルに用があるって。厨房に来て欲しいそうよ」
師匠の名前を出されては、行かざるを得ない。
しかし、お暇の礼をした直後の去り際、アルフレッドの口からリサの名が聞こえ、しまったと後悔する。
「こりゃ、リサが気に入るのも分かるな」
「別に、気に入られては……」
「それで明日は、どうするの? 昼休み、誘われてるって聞いたけど」
「……」
振り向きたい気持ちを堪え、けれど耳はダンボにしながら聞き取れた二人の会話はそこまでだった。
ルンルンでラシェルの腕を取るニーナに連行され、しぶしぶその場を後にしたけれど……。
ディルクがリサに気に入られている?
明日の昼休み、リサと会うよう誘われている?
どういう事だろうと気になったけれど引き返すことも出来ず、モヤモヤした気持ちのままラシェルは厨房へと入って行った。
「こっ……これは……!」
厨房のカウンター上に整然と並べられた物を見て、思わずラシェルは感嘆の声を上げる。「本当に、完成したんですね!」
うむ、とダヴィットは深く頷き、
「主に試食してもらってから、店頭に並べる許可を下ろそうと思ってな」
一つ摘まんで、ラシェルは口に運ぶ。
サクッとした薄衣の中は、ふわっとした独特の食感。
サンドされたガナッシュクリームがまた絶妙な甘さと苦味で、舌を喜ばす。
まさしく、これはダックワーズだとラシェルは感嘆の息を漏らす。
「さすが師匠! 私が求めていた味、そのものです!」
「よし! じゃあ、これで決まりだ。発売時期はまたランドルの旦那と相談するにしても、明日からみっちり弟子たちに教えんとだな」
丸いお腹の巨体を揺らし、ガハハとダヴィットが盛大に笑う。
この焼き菓子だが、以前、ダヴィットから商品開発のアイディア出しを請われ、ラシェルがメレンゲ菓子を提案したのが始まりだった。
ローメイヤで様々なスイーツを作ってきたダヴィットだが、話をしたところマカロンはさすがに作ったことがないもののダックワーズに似た物ならあるとのことだったため、取り敢えず試作から始めようと決めた折り、ラシェルは生徒会書記を引き受けてしまい、忙しくなって無責任にも言いだしっぺのまま放置となっていた。
正直、ラシェル自身も前世で食べたことはあったけれど作ったことがなかったので、何となくのイメージは伝えていたけれど、それだけでよくここまで再現出来たものだと感動する。
「ところで師匠、商品名はもう決まってるんですか?」
「おう、忘れるところだった。それも、お嬢に決めてもらえないか?」
お嬢が提案した菓子だからな、とダヴィットが笑む。
うーん、とラシェルは首を捻った。
ダックワーズは、確か地名が由来だったはず。そのまま、この世界にない土地の名を付けるのも何だか気が引ける。
「ふわふわ、あまくて、濃厚クリーム……」
食べた印象を羅列して、造語を考えてみた。
「ふあリーム……ううん、『ファリム』とか、どうかな」
「あ、ニッチな感じで面白い」
「いいな、それでいこう!」
ニーナも賛成してくれて、商品名が決まった。発売日が楽しみだなぁと、ワクワクする気持ちを抑えて帰りの馬車に乗り込む。
アンリとアルフレッドは、既にカラードスピネルを出た後だった。
ラシェルは先に乗車していたディルクの向かいにニーナと座り、帰宅の途に就く。
馬車に揺られながら、ラシェルは早速、お土産に幾つか貰ったダックワーズことファリムをディルクに披露して見せた。
「これ、カラードスピネルの新作なの。私もアイディア出しに協力した商品で、すごく美味しく師匠が作ってくれたから、ディルクも食べてみない?」
「ああ……」
窓の外にあった視線を一度こちらに向け、ありがとう、と言ったディルクの顔が浮かない。いつものように手も伸ばしてこない。そのまま、また車窓に顔を向き直した。
心ここに非ずといったディルクの様子に、ニーナと目を合わせて互いに瞬かせる。
こんな彼は始めてで戸惑ったが、そういえば、さっきアルフレッドとリサの話題になっていたなと急にラシェルの胸を不安が過った。
そして、それは的中する。
「ラシェル……」
再びディルクがこちらへ向き直り、言った。
「な、に……?」
ぎこちないながら、応える。
「悪いが明日は、昼の勉強会を夜に回してもらえないか?」
「えっ……」
リサに会うつもりなの、とは聞けなかった。
聞いたらきっと、諾と答えるだろう。その先は、…………聞きたくない。
「前回の健診に続いて、君には申し訳ないが……」
沈痛な面持ちで、すまなさそうにラシェルを見る。リサのためにディルクがそんな顔をしているのかと思うと、居た堪れなかった。思わず視線を外して俯き、首を振る。
「うっ、ううん。気にしないで。いつも私の勉強に付き合ってもらってるんだもの。用が出来た時くらい、ディルクの予定が優先よ」
こんな時まで、聞き分けのいい女みたいなことを口にする自分に、反吐が出そうだった。
本当は、嫌で嫌で堪らないクセに。
昼休みにリサとディルクの二人きりだなんて、ゲームのシナリオそのままだと思った。
このまま二人は仲を深め、彼女はディルクの心まで奪っていくのだろうか。第二王子という本命がいるにも拘わらず、クロードを手玉に取っているように。
俯く瞳に、涙が滲んだ。
こんな時まで、彼に嫌われまいと心にもないことを言ってしまう臆病な自分が、ほとほと嫌だと思った。
私は貴方の婚約者よ、その私を差し置いて、どんな用事があるというの。
貴方のことが好き。世界で誰より愛してる。
目の前のディルクに、そう告げたかった。
思いの丈を口にして、形だけでも彼を独占し、婚約者という立場を利用して雁字搦めにする――――――……なんて、そんなこと出来るわけがないと、ラシェル自身が一番よく分かっている。
何よりそれは、自分が一番望んではいけないことだとも。
なぜなら、ゲームのシナリオにあった『婚約者のワガママに振り回されて困っている』というディルクのセリフ。
あの時に見せた彼の横顔が、ずっと頭から離れなかったから。
これまであまり考えないようにしてきたけれど、ゲームの『ラシェル』は台詞が少ないにも関わらず、確かに言葉の端々から鼻持ちならない性格が滲み出ているキャラクターだった。
コンプレックスまみれの『ラシェル』。
ぼっちにならないため、貧乏だと見くびられないために必死だったのは分かるが、そのせいで気位の高い、ワガママで幼稚なデブス女に成り下がっていた。
けれど自分は違うと、思いたかった。
ディルクの為に自分が出来ることを考え、協働し、彼の笑顔を少しでも増やしたい。そうして、少しでも良い婚約者として彼に見られたい。
自分は決して、あんな傲慢なお嬢様ではないと―――……少なくとも転生に気付いてからは、そんな生き方などしてきてないと。
せめて、そう思いたかった。
そんな自身の独り善がりに縋ってしまいたくなるほど、今のラシェルは主人公という絶対的な存在に恐怖し、怯えていた。
私はリサに勝てない…………ううん。ディルクの心は、きっと元より私のところにはない。
俯いたまま、ラシェルは涙の雫が零れ落ちそうになるのを寸でのところで踏ん張り、この感情が誰にも覚られないよう、握った拳に力を籠める。そのまま悲しみ噎ぶ胸の内をそっと隠して、静かに心の中で泣いた。
「耳をダンボにする」って、もう若い人は使わないですよね……(けど書き直しはしない←)




