85.傾城
水曜の放課後、会議のため生徒会室へ足を踏み入れた瞬間、一種異様な空気をラシェルは感じ取る。
何故かそこに、リサがいた。
このところ生徒会室へは足が遠のいていたローレンスだが、今日は会議があるため久しぶりの来訪だった。
それはいい。
それはいいが、生徒会長の椅子に鎮座するローレンスに横抱きされる形でリサが彼の膝上に乗り、首っ玉にしがみ付いてイチャコラしまくっていた。
しかも普段、規律に厳しいはずのクロードがそれを許し、剰あまつさえ何処からか買ってきた華やかなデコレーションのカップケーキをリサに勧めている。
「あら、ありがとうクロード。けど、ごめんなさいね。私、甘いもの苦手なの」
そう断りながらも、何故かリサは差し出されたケーキに手を伸ばした。
気付いたユーグが、取り次ぐようにリサの手に直接ケーキの箱を渡してあげる。リサが目だけで礼を示すと、ユーグは首を振って「かまわない」と小さく返した。
クロードの好意を無下にしないよう、そのまま一口でも食べるのかと思いきや、リサは改めて身体を捻るとローレンスの膝に跨る形で座り直す。そして徐に、向き合った彼の口中へそれを突っ込んだ。
「けどローレンスは甘いもの、好きだったわよね?」
無理やり押し込まれて、口の周りをクリーム塗れにされる第二王子。赤鼻のトナカイを従える白い髭のおじいさんのようになりながらも、変わらずニコニコと朗らかな笑みを湛えたままなあたり、如何にもローレンスらしい。
それだけでも十分驚きだったが、次の瞬間、ラシェルはさらに我が目を疑った。
「あら。ごめんなさいね、クリームがこんなに。キレイにしなくちゃ」
リサが、自身の指でローレンスの唇をなぞり、クリームを取って自分の口に入れたのだ。
間接キスも然ることながら、赤い舌をチロリと覗かせながら舐め取る姿がなんとも妖艶かつ淫靡で、思わずドキリとした。
それはアルフレッド、ユーグ、そしてクロードも同じだったようで、皆一斉にその場で凍りつく。
にも拘らず、そんな外野等お構いなしといった様子でリサとローレンスは互いに良い雰囲気で目を合わせ、顔を綻ばせた。
「…………」
何だか、見てはいけないものを見ている気がして、ラシェルは胸の辺りがゾワゾワする。
そしてそれは、ここにいる誰もが感じていることのようで、当事者の二人以外、誰も口を開かない。
が、突如としてそこで沈黙は破られた。
「ハイ、お子様はここまで~」
「ひゃぅっ……?!」
メンバーの中で最後に生徒会室へ入って来たであろうアンリが高らかに声を張り、「ね、ご主人様?」とラシェルの首根っこ掴んで給湯室へ連行する。
ペットに首根っこ掴まれる飼い主とは、これ如何に。
と、やや疑問が燻るも、その場から退散する間際、咳払いと共に「リサも、そろそろ自重しような」というアルフレッドの諌める声が微かに耳に届いた。そう言えば、アルフレッドは唯一リサの幼馴染みという立場で、攻略メンバーの中では最も彼女にモノ言いやすい立ち位置にいたな、と設定がラシェルの頭を過る。
給湯室にアンリと二人で入ったことから、そのままお茶の用意をする流れとなり、ラシェルは気を取り直して戸棚に手を伸ばした。
「いいよ、高いトコのはオレが取るから」
ひょい、と長身を活かして茶葉を取り出すアンリにありがとうと告げると、ラシェルはケトルを用意して水を汲んだ。
昨日の一件で、彼を気安く使うことにすっかり抵抗を無くしていたラシェルは、彼と分担してお茶の用意を進める。
とはいえ、あんな口約束をしたからといって、家の序列が変わるわけでなし。
一応、言葉遣いはそのままに、けれど心の中での位置付けだけは変わって、気安い友人の一人として収まった感じだ。
それにしても、と、ラシェルは先の光景を振り返る。
噂には聞いていたけれど、あのローレンスの籠絡ぶりは目に余るものがあった。
間違いなく学院で最も美しいリサとローレンスの二人が睦み合う姿は、男女の情愛というより百合カップルを見ているような嫌いはあるものの、何せ、互いに心を通じ合わせたレイラとローレンスの微笑ましい姿を見たのが、つい先日のことだ。
衝撃にも程がある。
そして言わずもがな、クロードも漏れなくゾッコンのご様子。
魔性の女。
彼女を一言で表すなら、その言葉がぴったりに思えた。
若しくは傾国。
第二王子との結婚を望んでいるなら、寧ろ此方こちらか。
自分のことをよく理解していて、女の武器を恥ずかし気もなく使うことができるタイプ。ラシェルが最も苦手とする女性の類いだった。
理知的で、特権階級に身を置く者としての自覚から、常に公平正大であろうと自らを律するレイラとは、まるで正反対だ。
それにしても、リサはあんなキャラクターだっただろうかと、ラシェルは今更ながらに首を捻る。
もちろん、女性向けのストーリーなので物語に「逆ハー」要素はある。が、あんなガチの逆ハーレムを形成していた覚えはない。
主人公であることから、プレイヤーの性格がある程度反映されるとはいえ、いくらなんでも女の敵そのものな、あんなふしだらな女性になる選択肢はなかったはずだ。
前世の記憶だと、ちょっとヌけているところもあるけれど正義感が強く、父に男児として育てられることを許容してしまうくらい優しくて男前な性格、だからこそ男女共に皆から愛されるキャラクターだったように思う。
以前襲撃された時の方が、義賊という大義があるだけ、性分のことのみを考えれば、まだ原作に沿っている気がする。
それが、この僅かの期間で、なぜこうなった……。
この感覚は以前、ローレンスに抱いたものとも酷似している気がした。ストーリーに則っていると思いきや、全く違う性格になってラシェルの前に現れる。
「ラシェルちゃん、大丈夫?」
「えっ……」
「顔色、悪そうだったから」
「ううん。ちょっと考え事してただけ」
そう、と言いつつも、まだ心配そうに此方を窺うアンリに改めて大丈夫だってばと返す。気になってしまうと所構わず、つい考え込んでしまう癖を何とかしなくてはと反省した。
「それより、リサ様のお茶も用意した方がいいかしら」
「いや、それはいいっしょ」
ラシェルの表情が戻ったことに安堵して、アンリもいつものトーンで応える。
「会議の内容は基本部外秘だから、さすがに兄さんもそろそろ退出するよう彼女を促すだろうし」
「そうね」
こういう時は古参の意見が役に立つ、とラシェルは納得してお茶の準備を続けた。
「にしたって、何なんだろうね。リサに対する兄さんのあの態度。ちょっと前まではラシェルちゃん一筋で、アレコレちょっかい出してたくせに」
「一筋? それにちょっかいって……」
アンリの物言いに、つい吹き出す。
確かにクロードには色々と、仕事だけでなく勉強まで教えてもらったりと大変世話になった。けれどそれは、ラシェルに早いところ独り立ちしてもらわないと、多忙な彼の通常業務に障りがあるからで他意はない。
さらに言えば、彼が興味を抱いていたのはラシェルではなく、その後ろに控えるディルク……ひいては異国文化だ。それに関してはディルクが頑としてクロードとの接触を拒んだため、上手くパイプ役にもなれず恩義を返せなかったので申し訳ない限りだけれど。
「まぁ……クロード様にとって、やっぱりリサ様は特別な存在ってことじゃないかしら」
「ラシェルちゃんは、嫌じゃないの?」
「どうして?」
言っている意味が分からず、キョトンとアンリを見返す。
ラシェルとしては、そりゃあ前世からクロード×リサ推しだったので、第二王子にフラグが立っている現状はちょっと惜しいが、それでも一途にリサを想うクロードぷまいなのでオールOK……って、ゲフンゲフン。そんなこと明け透けには言えない。
「ここだけの話、私個人としてはクロード様とリサ様は、とてもお似合いだと思っているから……」
語尾を濁して小首を傾げ、小さく微笑む。
取り敢えず、極個人的な趣味の話を一般化してみたが……う、上手く誤魔化せただろうか?
ラシェルの返答に、ふぅんとアンリが、少し頬を赤らめて返す。
何故かその顔が心なし嬉しそうに見えた気がしたけれど、そんなワケないかとラシェルはけたたましく湯気を吹き出したケトルに慌てて視線を移した。
お茶をメンバー其々に出したところで、リサの分は、とクロードに訊かれた。
「兄さん、彼女は部外者だろ。会議には出られないハズじゃ……」
「俺とローレンスで、特例を認めることにしたんだ。これからは彼女の要望がある日は、会に出席してもらおうと思う」
「そんな……」
だったらせめて、事前に教えておいてよねとアンリが不満気に、けれど小さく抗議する。会長と副会長裁量と言われれば、それ以上は何も言えない。
もう一度淹れ直そうと給湯室へ踵を返すアンリの手を取り、私のをリサ様にお出しするからとラシェルは引き止めた。
「でも……」
「こんなことで会議の時間を押すわけにもいかないでしょう。私なら、持参してるお茶があるし」
昼の弁当のお供に持って来ていた水筒を鞄から取り出して見せ、大丈夫と笑う。
「あの、もし……」
そこで突然、ラシェルとアンリの遣り取りにリサが割り込んできた。
「私の記憶が確かなら、貴女様は以前、学院で迷っていた折りに職員室を案内くださったお方ではありませんか……?」
「あ、はあ……」
あんな些細なことを彼女が覚えていたとは予想だにしておらず、ラシェルは咄嗟に警戒心バリバリで身構えた。
何せ、彼女には路地裏で捕まり、脅された前例がある。
やはり何か意図を持って、あの時も自分に接触していたのだろうかと彼女を窺った。
しかし、そんなラシェルの内心とは裏腹にリサは両手を胸の前にお祈りポーズで組み、瞳を輝かせてやっぱりと喜びの笑顔を見せた。
「やっぱり! お小さくてとても可愛らしいお方だったので、是非またお会いして、お友達になっていただけたらと思っていたんです」
急にキャピつくリサを前に、ラシェルは目を瞬かす。
世を忍ぶ仮の姿をしていたとは言え、ラシェルのことを殺すぞと凄んでいた輩が、よりによって何故『お友達』なのかと混乱した。
何処まで彼女のノリに付き合うべきか戸惑うも、取り敢えず誉められたので、ありがとうございますと軽く頭を下げておく。心の中は不信感で一杯だったけれど。
というか、そもそもあの怪盗紳士は本当にリサだったのか。
自分の思い込みなだけで、全くの別人だったということはないだろうかと、そんなことすら考えてしまう。
それほどまでに、あの時の印象とは違いすぎた。
会ったのは一瞬だったし、あれが絶対リサだったかと問われると、段々自信が無くなってくる。
ランドルの店の前で襲撃された時、彼女はラシェルのことをかなり知っている口ぶりだった。
にも拘らず、何の憚りもなく職員室の場所を尋ねてきたり、入学しても一切の接触はなく、会えば会ったでこの態度。
どういうつもりで、……この先リサがどう出るのか。
さっぱり見当もつかない、彼女の奇抜な言動に振り回されている感はあるものの、何も分からない以上、成り行きに身を任せるしかないとラシェルは固唾を飲んで彼女の次の言葉を待った。
「申し遅れました。私、リサ・ドゥ・ポーシャールと申します。お名前をお伺いしても?」
「……ラシェル・デュ・フィリドールです」
「まあ! ラシェル様と仰るのですね! ラシェ……」
そう言ってリサは嬉しそうにラシェルの手を取り、…………ラシェルの名をもう一度、頭の中で反芻させたのだろう。
瞬間、表情が凍りつく。
「あの、もう一度……?」
「ラシェル・デュ・フィリドールです」
「…………」
リサが顔面蒼白で完全フリーズする。
あ。分かった。
故意に接触してこなかったんじゃなくて、単に分からなかったんだ。
痩せて見た目が変わってしまったこと、リサは知らなかったのねと納得した。
「おほ……おほほほほほ……」
先までの勢いは何処どこへやら、ラシェルの前からフェードアウトするかの如く、リサはローレンスの後ろへと足早に退いて行った。
どういうこっちゃ。
取り敢えず、この日はそのままリサも交えて会議が開かれた。そして特に波乱もなく、穏やかな内に終了した。




