105.それぞれの思惑と覚悟③
「貴方も父を裏切る気……?」
冷たい視線で、ニーナがランドルを見据える。
「そうじゃない……と、言いたいけど……それは欺瞞でしかないな」
俯き、両手を膝の上で握りしめながらランドルが独り言つ。
「揃いも揃って……」チッと舌打ちして、ニーナは吐き捨てた。「まだ幼かった貴方たちを拾い、ここまで育ててあげた恩を仇で返すと言うの? それとも所詮、奴隷は奴隷だったということかしら。低俗な人種に、仁義を期待する方がバカだったようね」
「そう言われてしまえば、返す言葉もない。けど、……君にも、もちろん親父さんにも恩義は感じている。だから今まで、どんな任務を言い渡されようと、文句一つ言わず耐えてきた。正直この選択だって、オレ自身、正しいかどうかよく分からない……」
苦し気な表情で俯き、ランドルは頭を振って絞り出すような声で続けた。
「……分からないが、ただ一つ言えるのは、このままディルクを一人、この異国の地に置いて帰るわけにはいかないということだ」
「私を一人、本国に返しても?」
「君は祖国に帰れば親父さんも……君を慕う仲間たちも大勢いる。君が今、言った通りだよ。どんなに力を尽くしても、心を砕いても、オレらは所詮、奴隷以上でも以下でもない。だったらオレたちは、同じ境遇の者同士、互いに寄り添い合うしかないじゃないか」
「けどディルクにだって、ラシェルがいるわ」
「分かってるだろう、ラシェルは貴族だ。何かあった時、ディルクは進んで身を引くだろう。そうなったら、いよいよコイツは独りぼっちになる。これまで築き上げてきたもの全て失くして、裏切り者の汚名を背負い、何の縁も所縁もない地に、たった一人残されるんだ。そんなの、あまりに不憫じゃないか。そんなこと、あってたまるか。オレたちは捨てられるために生まれて来たんじゃない」
いつになく激しい口調で、ランドルは尚も捲し立てる。
「だからオレは、オレだけは誰が捨てようと、運命にさえ見放されようと絶対に見捨てないって、初めてコイツと出会った日……海を渡って揺れる奴隷船の中、そう決意したんだ――――……!」
「ちょっと待て」熱く語るランドルに、冷や汗を滲ませディルクが返す。「俺はそこまでのことをお前に望んでいない。お前はニーナと幸せになるべきだ」
「バカを言うな。オレとお前は同じスラム出身の、謂わば兄弟だ。オレじゃ確かに頼りないとは思うが、言っただろう? だからと言って、お前を見捨ててなんて行けるもんか」
「ランドル……」俯き、声を詰まらせてディルクが目頭を押さえる。「なんで……何でお前は……」
伏せていた顔を上げて訴えた。
「何でお前は、いつもそうなんだ。初めて出会った時もそうだ。俺を助ける義理なんてないのに、俺なんかに関わったせいで……そのせいで、お前まで奴隷として身売りされることになってしまった。全て、俺のせいだ」
「そんなことない。あのスラムにいたって泥水を啜る生活は変わらなかったさ。何よりそのお陰で、ニーナにも会えた」
「だったら尚更、彼女をこそ大切にすべきだ」
「今まで話したことなかったけど、我が家の家訓なんだよ。一番弱い者の味方であれって」
「俺は別に弱くなんか……」
「だよな。殺しても死なないヤツだとは思う。けど……」
そこで不意に、ランドルが笑った。
「オレの勘が言うんだよ。絶対にお前を、一人にしちゃいけないって」
どうしてだろうな、と零す。
「……なんて言って、本当はオレが、ただお前の傍から離れたくないだけなのかも」
最後は冗談めかして苦笑した。
「本当、おかしいよな。オレ、ずっと優秀なお前に嫉妬して……親父さんにニーナの婚約者としてお前が見初められてからは、わざと距離をとって疎んじたりもしていたのに」
「俺が優秀だというなら、それはお前の教え方が上手かったからだ。読み書き計算……生きていく上で基礎となる土台は全て、お前から教わった。それにニーナのことは、すまなかったと思ってる。お前は心底ニーナに惚れていた。その気持ちを知っていたのに、俺は親父に強く出られなかった」
「オレたちの立場じゃ、誰も何も言えやしないさ」
「ずっと俺も、苦しかった。お前の気持ちが痛いほど分かったから……」
そう言って再び俯くディルクの髪を、わしゃわしゃと掻き回してランドルが顔を上げるように促す。
「オレはどこかで甘えていたんだ、年下のお前に。オレがどんなに理不尽なことをしても、結局は許してもらえると。お前がオレを嫌いになんてなれるはずないと」
「その通りだ。俺はずっと……お前に憧れていた。いつもみんなの輪の中心にいて、優しくて、人に物を教えるのが上手くて。頼りになる兄貴分として慕っていた。疎んじられても尚、俺はお前にとって特別だと……ニーナのことさえなければ、また以前のように仲間として一緒に仕事も出来るはずだと、それをずっと心の支えにしていた。そして実際、そうなった。異国の地ではあるものの、こうして昔みたいにランドルと仕事ができて、俺は嬉しかったんだ……」
胸の奥で、ずっと燻っていた互いへの想いを吐露し、己の至らなさをも晒け出す。
長い年月の中で複雑に縺れてしまっていた幼馴染の関係を漸く清算し、やっと、本当の意味で気持ちを通じ合わせた二人にラシェルは男同士の友情……というより、家族愛のようなものを感じて胸が熱くなった。
「やっと言ったわね、二人とも」
これまでと打って変わり、いつものフランクな口調に戻してニーナが零した。
腰に手を当てて小さく嘆息する、穏やかな眼差しの彼女を見て男二人が目を瞠る。
「ニーナ……?」
「おまっ……、図ったのか?!」
「まぁね。だーって、ランドルったら私と二人きりの時まで、やれディルクには悪いことをしただの、オレはこんなに幸せでいいのかだの、ゴチャゴチャゴチャゴチャ、煩いったらありゃしない」
あとラシェル、と振り向き様に指をさされて忠告された。
「この二人、ちょっと目を離したら本物のゲイも真っ青なくらい以心伝心、相思相愛にこうやってイチャつき出すから、要注意よ」
「えぇっ?!」
「ランドルはよく分かんない罪悪感とコンプレックスの塊からディルクへの執着が激しいし、ディルクもディルクで、ブラコン拗らせたみたくランドルを妄信し過ぎなのよ。お互い、一途で健気なのは分かるけど、いちいち重いっつの」
「重いとか言うな」
ディルクがすかさず反論する。その隣ではランドルが「よく分かんない罪悪感って……」とブツブツ零し、顔を青くして肩を落としていた。
「とにかく、ラシェルにはこれからもしっかりとディルクの手綱を握っておいてもらわないと。いつランドルが拐かされるか分かったもんじゃないわ」
「誰が拐かすか、誰が!」
そもそも俺もランドルも、そういう嗜好はないと顔を真っ赤にして断言するディルクを後目に、ラシェルはハッとしてニーナを見た。
その視線に気づいたニーナが、柔和な笑みで返しながら続ける。
「まぁ、それはさておき。何より、これからこの異国の地で一からやっていこうって時に、蟠りが残ったままじゃ心許ないじゃない」
そんな不安定な状態じゃ、博打の一つも打てやしないわと腕組みしながらラシェルにウィンクして見せた。
「ニーナ、それって……ひょっとして……」
うん、とニーナは大きく頷き返した。
「意地悪言ってごめんね、ラシェル。けど、やっぱり貴女にも私の素性をちゃんと理解しておいて欲しかったの。こんな蓮っ葉な女だけど、本当に一緒にやっていける?」
「蓮っ葉なんて、そんな。ちっともよ。私こそこんな慇懃無礼で箱入り娘だけど、……耐えられる?」
「そこは、ほら。不躾な箱入りって、私も同類だと思うから」
お互い様ってことで、と、目を合わせ、笑い合う。
生まれ持った性質は真逆だけれど、私たちは育ってきた境遇といい、好きな人の愛し方といい、とてもよく似ている。
彼女とは本当に馬が合うと、ラシェルは改めて思った。
「だけどお父様の件は……本当に、いいの?」
ああ、それならとニーナが気安く返す。
「ディルクには随分前から匂わせておいたんだけど、父とはいつかタイミングを見て縁を切ろうと思ってたから。別にいいの」
「えっ……?」
「ちょっと待て。オレはそんなこと、一言も聞いてないぞ」
「うん。言ってない。だって、ランドルの義理堅さは折り紙つきだもの。それこそ言うタイミングを間違えたら、ディルクみたいに裏で何を工作されるか分かったもんじゃないわ」
「んっ?」
ディルクがニーナに目を向ける。
「ディルク、言っとくけど貴方が出した私信は悉くランドルに握り潰されて、一通も郵送されてないからね」
「はぁ?!」
「ランドルったら、過保護にも程があるって言ったんだけど。もし手紙を出したことが組織の人間にバレたらディルクの身が危ないって、聞かなくて。そんなの覚悟の上だろうし、ディルクのことだから何らかの手は打ってあるだろうに、万に一つの間違いでもあったらいけないって」
「…………」
「……すまない、ディルク。何か……カッコ悪いな、オレ」
普段、事なかれ主義な彼にしては、いつになく居丈高に「どこからも返信はなかったようだが」と言い捨てていた件を内省しているのか、顔を真っ赤に照れている。
しかもその理由が底無しの過保護からくるものなのだから、ちょっぴり可愛い。
「素敵な人ね、ランドルって……」
「えへへ、分かっちゃった?」
カッコ悪いと洩らしていたけれど、その不器用さがまさしく優しさの表れだと、寧ろ胸打たれた。
年下なのに姉さん気質のニーナが、こんなにもランドルに惚れ込んでいる理由も分かった気がした。頼り甲斐があるようで、どこか目が離せないのだ。
人間、土壇場でこそ本性が見えると言うけれど、初めて出会った時に感じたランドルの、人間関係に器用でチャラいイメージとは遠くかけ離れた彼の不器用で、けれど人情に篤い一面を垣間見たラシェルは、ニーナの気持ちがよく理解出来た。
「惚れちゃダメよ」
「大丈夫。私にはディルクがいるもの」
ふふ、と見合わせた顔が自然と綻ぶ。
その向かいでは、己の行動を暴露されて恥じ入るランドルに、ディルクが「いや、ありがとう」と素直に礼を述べていた。
そこに空かさずニーナが割って入り、
「ランドルは、ディルクの弱点がラシェルだって言ったけど、私は少し違うのよね。確かにディルクの一番の弱点はラシェルだけど、次点でランドル。そして、そのランドルが心から愛してる私の、三人よ」
得意気に腕組みしたニーナが、二人の顔を交互に見ながら鼻を鳴らす。
「うわ、言い切ったな」
「当然!」
ディルクの嫌味にも胸を張るニーナ。
「……って、また話が逸れちゃったけど。とにかくこのご時世、実家が裏稼業って時点で既に詰んでるのよ。そんな、いつ社会的に抹殺されるか知れない職業を継ぐなんて、私は嫌よ」
「はぁ……」
「だからパパには、ウチが抱える闇の部分を全部背負って、墓場に持って行ってもらうつもり」
「いっ、いいの、そんなこと言って……? 私が言うのも何だけど、ニーナにとって実の親なわけだし……」
「いーの、いーの。パパったら私のことだけは溺愛してて、私がやることなら絶対反対しないから」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「だから、本当にいいんだってば。逆に言えば、パパには私しか引導を渡せないのよ。私が言えば、喜んで地獄にだって堕ちてくれるわ」
あっけらかんと言い放つニーナに、それでも動揺を隠せずラシェルは目線を彷徨わせてしまう。
「それに言ってしまえば、これは我が家の問題だから。いつかは、誰かがしなくちゃいけないことなの。だったら私がしたい、それだけよ」
「……」
どう返事をすればいいか言葉に詰まり、ラシェルは思わずディルクを見た。
「本人がそう言ってるんだ。ランドルも、異論はないよな」
「ニーナが決めたことなら、オレは全力で支持するだけだよ」
ランドルも、いつもの温和な笑みで頷く。
それを見て、ラシェルも腹を括った。
「じゃあ、これからも、末永くよろしくお願いします」
頭を下げるラシェルに、こちらこそとそれぞれ頭を下げ返し、和やかな雰囲気で話し合いは終わった。




