104.それぞれの思惑と覚悟②
全員が腰を落ち着けたところでラシェルは気を取り直し、ゆっくりと口を開く。
「私、口下手で……上手くオブラートに包んだり、まして駆け引きなんて出来ないから、単刀直入に話すけど」そう前置きしてから、一つ咳払いして続ける。「今日の昼休み、私は公爵令嬢のレイラ様に、ディルクが隣国のスパイだから婚約破棄するよう忠告を受けたの」
「何、それ……」
唐突な話に戸惑いながらも、先のラシェルが言葉に詰まった理由と繋がり、何とも言えない様子でニーナは顔色を曇らせた。
「しかも、ウェーバー家からバーベリ商会との繋がりまで辿り、レオノキア政府との癒着も調べ上げてた。通報すればフィリドール当主の登城と取調、ランドルをはじめカラードスピネルの従業員もスパイ容疑で捕まるだろうって言ってたわ」
「……」
ラシェルの話に、ニーナとランドルはただ静かに耳を傾ける。
「どうする? 逃げるなら、出来るだけの手助けをするわ。でも私としては、ディルクが決断してくれたように二人にもこちら側へ寝返って欲しいと思ってる」
「こちらがわ……?」
ランドルが返す。
「ええ。アウローテに味方して欲しいの」
そこまでラシェルの話を聞いたところで、ニーナが再び口を開いた。
「……ディルク、これは一体、何の冗談かしら?」
徐に立ち上がり、ギロリと鋭い視線でディルクを睨む。
「冗談でも何でもなく、至って真面目な話だが」
「何をふざけたことを……!」
先よりさらに激しい剣幕で、今にもディルクに掴みかからんとするニーナの肩に手を置いて抑えたのはランドルだった。
けれど彼自身も困惑気味に、どういうこととディルクに目を向ける。
「話がさっぱり見えないんだけど」
「悪いな。俺も何かヘマをしたわけではないが、学院内に桁外れの能力者がいて、そいつに目を付けられ、スパイであることを見破られた。黙っていて悪かったが、ここ数日、俺はそいつから脅されてたんだ。そのせいでラシェルにも全部バレたし、今し方ラシェルが言ったことも本当だ。俺たちの企みはほぼ全て把握されている上に、その証拠も掴まれている」
「脅されて、お前はそれに屈したと?」
「まぁ……そういうことだ」
次第に口調が厳しいものになっていくランドルに、ディルクが深い溜息を零す。
「本当に、そうなのか……?」
ランドルが懐疑的な目でディルクを見た。
「どういう意味だ?」
「お前が自らリークしたんじゃないのかと言ってるんだ」
「なっ……?!」
「それは絶対にないわ」ラシェルが身を乗り出して二人の話に割り込む。「リサと言って、つい半月ほど前に学院へ編入して来た辺境伯令嬢が今回の仕掛人よ。彼女はこれまで長い年月をかけ、先読みの力で得た未来の事件に関する情報から逆算し、ディルクやカラードスピネルの素性をコネと自力で探り出して突きつけて来たの」
「王族でもない、一貴族の令嬢が? 何の目的で?」
「それは、えと……」
私のカラダ目当てで、とは言えず、ラシェルはディルクを見る。
「レオノキアとの開戦を、ヤツは望んでないそうだ」
冷静に、ディルクがラシェルの代わりに返した。それを受け、ランドルが吹き出す。
「とんだ平和主義者だね。未来は見えても、世界情勢は見えてないときた。実に、平和ボケしたアウローテの民らしいな」
今までの彼からは想像もできない、とても嫌味な言い方だった。
少しショックを受けるも、それは隠してラシェルは続ける。
「リサが言うには、レオノキアとアウローテの戦争を皮切りに、戦いは世界大戦まで広がりを見せるらしいの。よく分からないけど、さらにその先には魔物との戦いが勃発し、人類は滅亡するとか……」
「魔物の存在を知っていて、さらにそれをこの国で口にするなんて、その心意気は買うけど人類滅亡……? SF小説の見過ぎじゃない?」
不思議ちゃんも過ぎると、ちょっと引くなぁと苦笑する。
アウローテにSF小説なんてないよと一瞬ツッコミたい気持ちが芽生えるも、空気を読んでそこは呑み込んだ。
「とにかく、公爵令嬢には密告した彼女だけど、ディルクがアウローテに寝返るなら当局への通報はしないと約束してくれたの」
「ねぇ」
話し込む三人に水を差すようなタイミングで、ニーナが不意に口を開いた。
「一つ聞きたいんだけどラシェル、貴女は私たちの事情を知った今、どう思ってるの?」
その質問は、この腹の探り合いのような重苦しい空気を打開するかの如く、部屋中に響いた。
「どうって……そりゃ、最初は驚いたしショックだったけど……でもディルクを好きな気持ちは変わらないし、ニーナとランドルが私にとって大切な友人であることも変わらないって思ったわ」
ラシェルが言い終わるか否かのタイミングで突然、ランドルが立ち上がった。そしてディルクの胸倉へ手を伸ばすと、掴み掛かって怒鳴り付ける。
「オレたちを逃すと言ったが、そんなことをすればラシェル嬢の立場が危うくなると決まってるのに、どうしてお前は彼女を止めないんだ?!」
こんな風に、ランドルが声を荒げて人に手を出す姿なんて初めて見たラシェルは思わず目を見張る。
「戦争回避のため、ディルクが二重スパイをするならオレたちも見逃してくれるなんて、そんな甘い話があるか」
「リサはお前たち二人の罪も不問にしたいなら必ず味方に引き入れろと要求してきた。それを、望まないなら逃してやろうというのはラシェルの独断だ。俺も今、初めて聞いた」
ディルク自身も、当惑を滲ませた声音で返す。
「あのね、ランドル。先も言った通り、二人と離れるのは嫌だけど、最終的に決めるのは二人自身だと私は思ってるの。嫌がる相手を無理に仲間へ引き入れたって意味がないことくらい、リサも分かってるだろうし……そうなればもちろん私自身、出来る限りの知り合いを通じて二人の身の安全を確保しようと思っているわ」
困った時の虎の子、デュランの顔を思い浮かべながらラシェルは訴える。
リサと交わした約束を違えることになるけれど、彼女がよし兄だったということで、多少の融通は利かせてくれるだろうという皮算用もラシェルの中で働いていた。
「ラシェルちゃん……君って子は……」
額に手を当て、ランドルがソファへ腰を下ろしながら溜息を吐く。
「だからこそ、ますます怪しく思えて仕方ないんだよ……ディルクのことが」
「何が言いたい?」
「ディルク、君はずっと、こちらから寝返る機会を窺っていたんじゃないか?」
「寝返るなんて、そんな」
「ニーナから聞いてる。というより、オレが探らせてたんだ。ラシェル嬢に心奪われた君が、いつ祖国を裏切って変な動きを見せるとも限らないからね」
そう言ってランドルは懐から一通の封筒を取り出し、ディルクに見せ付けた。
「これは先日、君が祖国の高官へ宛てた私信だ」
ぎょっとした表情で、ディルクが息を飲む。
「この他にも、ニーナが君の屋敷に仕えてからずっと、君が宛てた書簡の送り先と日付のメモを自宅に控えてある。今年に入ってから矢鱈と方々に手紙を出しているね。そのどれもが以前、君が任務で直接関わったり面識のある重役や有力者ばかりだ。一体、何を打診したのやら……」
再び胸ポケットに封書を仕舞うと、落胆を隠せない様子でランドルは続けた。
「正直、目の付け所は良いと思う。けど、駒の一つでしかない君が説得するには少々荷が重かったんじゃないか? それを証拠に、どの相手からも一度たりとて返信はなかったようだし……君自身も諦め、この一月くらいは手紙の頻度も落ちていたようだが」
「俺の中で、組織を裏切っているつもりはなかった。ただ、戦争を回避する手立てはないものかと手を講じていただけだ……俺も戦争には反対だったから。争いを起こしたって、双方疲弊するだけで得にならないのは目に見えている」
「何より、フィリドールが蹂躙されるのを見たくなかった? 否、ラシェル嬢の悲しむ姿を見たくなかったと言った方が正しいか……」
俯けていた首をさらに深くしてディルクが頷く。
「その発想、その行い自体が組織を裏切っていることに他ならないと、賢いお前がなぜ理解できない。いや、理解したくないと言った方が正しいか。オレたち下っ端は、上が黒といえば黒、白といえば白だ。意見を言えるような立場じゃないことは、身に染みて分かっているはずだろ。多分、お前を知る誰もが感じていることだろうけど、この際、友人として敢えてハッキリ言わせてもらうよ。君はラシェル嬢が絡むと、途端に思考停止に陥る。君の最大の弱点は、彼女だ」
急に矛先が自分へと向けられ、ラシェルは身を竦ませた。
自分の存在が彼の足枷になっていると突きつけられ、申し訳ない気持ちで胸が苦しくなる。
どう返せばいいか分からず、困惑した。
「てゆーか、ラシェル。そのリサとかいう女、一体何者なの? 胡散臭すぎて全く信用できないんだけど」
逸れてきた話を、絶妙にニーナが戻す。
「ううん、そんなことないわ。私とディルクも最初は何処まで信用していいものか半信半疑だったけど、話していく内に彼女が私の……遠い親戚のような人だということも分かって……」
「ちょ、冗談でしょう?! 親戚のくせに、何の相談もなくいきなりラシェルの婚約者であるディルクを脅してきたってこと? それのどこが信頼できるのよ?!」
「彼女も今日、私と話をするまで、そんな近しい間柄とは知らなかったの」
「ほんの今し方に判明した親戚って、一体どういう繋がりなワケ!? それで本当に親戚だなんて言えるの? 訳が分からないわ。そんなの、信用しろって言う方が無理よ……!」
焦りを滲ませた表情で、ニーナが拒否反応を示す。
「そんな薄い根拠でラシェル、貴方は私たちに危ない橋を渡らせようとしているの? 分かってる? 貴女が今、私たちに突きつけているのは、そういうことよ?」
「それは……そうだけど…………」
「信じられない……っ」
吐き捨てるように言って、ニーナは爪を噛む仕草で目線を逸らした。その忌々し気な表情に、少なからずラシェルの心は傷つく。
けれどニーナが言っていることの方が尤もだと、ラシェルは自分がした発言の無責任さを反省した。
転生したことの説明を、ややこしくなるだろうと安易に省いたのも良くなかったかもしれない。
「ねぇ、聞いて……ニーナ」
一つ深呼吸した後、ラシェルは出来るだけ穏やかに、それでいて真摯な眼差しをニーナに向ける。
「厳しい環境を、身を以って知っている貴方たちからしたら私の考えなんて甘いと笑われるだろうけど、私が何よりリサを支持するのは、彼女の目的が戦争回避にあるからなの」
「…………」
「小さい頃、寝物語に前大戦の凄惨な様子を祖父から聞いて育ったわ。ペリドール村のジゼルさんからも、深い話は聞いてないけど辛い体験をしたことが伝わってきた。次期当主として、どういった形にせよ私はこれから、両国間の戦争回避に向けて力を尽くさなければならないと思ってる。そこにもし、ニーナとランドル……貴方たち二人の力を借りることが出来たらどんなに心強いか……友人として、そう思ったの」
「友人として、……ね。その友人に、貴女は実の父親を裏切れと、そう言うの?」
「違うわ。方法は分からないけれど、戦争は絶対にすべきでないと説得して欲しいだけ。友人の父親だからこそ、開戦の片棒を担ぐようなことはしてほしくないの」
「詭弁ね。お貴族様に相応しい、キレイごとだわ」
鼻で嘲笑い、プイとそっぽ向く。
今までにない辛辣な、マフィアの娘らしいニーナの言い様にラシェルは心が折れそうになった。
と同時に、自分が如何に酷い言葉を彼女に吐き散らしているかの自覚を深める。
詭弁、まさにその通りだ。
ニーナが口にしたように、ラシェルは彼女の父親が戦争請負屋まがいのことをしているから稼業を辞めさせろと、それが無理ならそんな親、捨ててしまえと、そう突き付けているも同然のことをしているのだから。
どこで何をしていようと、父親は父親だ。
彼女にとってはかけがえのない、実の肉親であることに違いはない。
ラシェルの方が、よっぽど無神経で非道いことを言っている。
それでも、彼女とは対立してでも、自分の思いをハッキリ伝えたかった。
ニーナはこの世界で、初めて出来た大切な友人だから。
彼女と腹を割って話せるのは、これで最後かもしれないから。
きちんとお互い納得した上で、訣別するならそれでいいと思った。
彼女を本当の意味で裏切らないためにも、今日この場を設けることが出来たことにラシェルは感謝こそすれ、絶対に後悔はしないだろう。
「ニーナ、すまない……」
しかし計らずも対峙する二人の沈黙を破ったのは、ランドルだった。




