103.それぞれの思惑と覚悟①
リサとは今度の日曜に、彼女のタウンハウスでこれからのことを改めて話し合おうと約束して別れた。
その直ぐ後に、ディルクも入院の支度を整えて来ると言って病室を出る。こんなにピンピンしているのに申し訳ないと思うものの、当のディルクが許してくれないので甘えるしかない。
レイラとアンリの見舞にも行きたかったけれど、やはりそれぞれ立場と身分があるからか、レイラは城の侍医の元へ、入院が必要なはずのアンリも既に侯爵家が引き取り、かかりつけ医による自宅療養をするため病院にはいないとのこと。
時間を持て余したラシェルは、今の内に清拭だけでも済ませておこうと看護師に手伝ってもらい、身綺麗になったところでディルクが戻る。
病院の個室は自由に使って良いと言われたので、部屋に二人分の食事を運んでもらい、ディルクと共に夕食をとることにした。備え付けの小さなテーブルセットに座り、食べながらラシェルはニーナとランドルの説得をどう行うか、ディルクと話し合う。
「ニーナたちには、リサから脅されていたことも含めて何も話してないのよね」
「ああ。リサの件とは関係なく、前に一度だけ故国を裏切るなよみたいな釘を刺されたことはあったが、その時は俺もまだ道を決めかねていたからな。適当にはぐらかしたけど……」
「ねぇ、私から彼女たちに話すのはダメかしら」
「話したいのか?」
俯くように目線を下げて頷く。
「私が言い出したことだし、傍観者でいたくないの。きちんと二人にも向き合いたいなって……」
「ラシェルがそうしたいなら、俺は構わない。任せるよ」
ディルクの優しく包み込むような声に顔を上げたら、彼の笑顔とぶつかった。
愛する人の信頼を受け、勇気をもらう。
同時に嬉しさも混み上がり、ラシェルもまた頷き返して微笑んだ。
「ところで、今さらだが……」
食事を終え、ディルクに促されるままベッドに戻ったところで徐に彼が尋ねた。
「?」
「俺がスパイと知って、なのにお前は俺のことを責めないんだな」
力なく、けれどラシェルの目を見つめながら、ディルクがおずおずと伺う。
それに対し、「まあ、……」と言ってラシェルは視線を泳がせ、ヘッドボードを背凭れに上半身を起こした状態で布団に入ってから答えた。
「まあ、ショックだったのは本当だけど……最初から虫のいい話だとは思ってたから、逆に納得したと言うか。いくらお金のためとはいえ、没落貴族のデブスなバカ女と結婚なんて普通に嫌でしょう」
軽く笑ってディルクに同情を示す。
「いや、お前は出会った当初から可愛かった」
「そんな、それこそ今さら無理しなくていいよ。初対面で貴方のこと潰しちゃったし」
「確かに体調は大きく崩していたが、そんなに柔じゃない」
「いやいや。だって、言ってたでしょう。私の体型とか、好みじゃないって」
「それに関しては……本当に、失礼なことを言ってすまなかった。けど言い訳をさせてもらえば、あれは俺自身に言い聞かせていた言葉なんだ。任務上、君に惚れるのは御法度だったし、ミイラ取りがミイラになるなんて絶対にあってはならないことだったから。さらに君は箱入りの世間知らずと思いきや、妙なところで教養の高さと寛容さがあって、何と言うか、口下手な俺を上手く転がしてくれる。バカなんて言って、悪かった。会話をしていて、こんなにも楽しいと思える相手は初めてで、気付いたら引き返せないほど惹かれていて……他人に対してこんな気持ちを抱いたのも初めてだったから、感情の処理に窮して心にもないことを言ってしまった」
ディルクの口から紡がれる怒涛の告白に、ラシェルは目を白黒させて赤面した。
要するに、嫌よ嫌よも好きのうちか、と解釈する。
いつもは精神年齢高めなのに、恋愛との向き合い方だけ小学生男児並みとか、ギャップ萌えなんですけど。
ただでさえ普段、不遜なくらい態度のデカいディルクが、今日はこうしてずっと小さくしている姿にも母性本能擽られっぱなしだというのに。
こんな風に自分のことをずっと想っていてくれてたなんてと、心臓は早鐘を打ちまくった。
「いや、言い訳にしても酷いな。君を傷つけて悪かった。反省してる」
真っ直ぐな謝罪に加え、深々と頭を下げるディルクに、ラシェルは慌てて咄嗟に胸の前で両手を振る。
「うっ、ううん。それより、てっきり私が痩せたから、好意を向ける対象になれたのかと……」
「いや。先も言ったが、初対面の時からずっと可愛いと思っていた。触れると砂糖菓子のように柔らかくて、繊細で」
砂糖菓子……文脈的に鼈甲飴とかのキャンディ系ではなく、わたあめ的なモノの方よね。
頭の中で思い描いて、言い得て妙だなと納得する。
「出会って間もない頃、強引に君の唇を奪ったのを覚えてるだろうか」
お詫びに乾燥大豆を買わせた、アレのことだなとラシェルは若干の気まずさを覚えつつ頷き返す。
「それも結局、自分の中の本音と使命とが二律背反した挙げ句に本能が勝ってしまったと言うか……沸き起こる劣情をどうしていいか、本当に分からなかったんだ」
劣情というストレートな表現に、ラシェルは密かに生唾を飲み込んだ。
瞬間、ゾクリと背筋を電気のようなものが迸る。
「もちろん、今の君も綺麗だ。何より、これまで抱いていた、ある種の罪悪感が薄らいだのも事実だしな」
ずい、とベッドに身を乗り出してディルクは続けた。
「けど、代わりに余計な虫が君の周りに纏わりつくようになって、正直、腹立たしかった。ラシェルのことを何も知らないくせに、見た目だけで釣られ、身分を盾に好き勝手言ってくる輩どもなんて反吐が出る。俺の気持ちは以前も今も、全く変わらないのに……」
言いながらディルクは切な気に顔を歪め、手を伸ばしてラシェルの髪にそっと触れてくる。
まるで硝子細工でも扱うように優しく、愛おしげに、何度も何度も指で梳く。
「君がどんな容姿であれ、関係ない。俺の気持ちは、たった一つ」
細く長い彼の指が、髪から頬に流れてラシェルの顎先を持ち上げた。
自然、目と目が合う。
夜の海みたいに、黒く潤んだ彼の瞳の奥を見つめて…………ああ、そうかとラシェルは気付いた。
こうしてディルクを間近にした時、いつも揺らめいて見えていた紅い焔。
それは彼の目に写る、自分の姿だったのだと。
彼に焦がれ、炎のように真っ赤に火照る、自分自身の投影だった。
瞬間、クラリと酩酊にも似た感覚に包まれる。
目の前の彼のことしか、考えられなくなる。
「ラシェル、君は俺の……俺だけのものだ。君なしの人生なんてあり得ない。誰にも渡さない。誰にも邪魔はさせない」
俺だけのラシェル、そう呟いた彼の唇がどんどん大きくなって、目の前に迫る。
その距離に、ラシェルも目を瞑って彼の吐息を僅かに吸い込み、吸い込まれるように吸い付く、直前。
ドンドンドンドンッという、けたたましいノックの音で二人、咄嗟に距離を取った。
「開けなさいディルク! 私を除け者にするなんて、よくもやってくれたわね!?」
病院のフロア一帯に轟くような、容赦ないニーナの怒号が響き渡る。
いつぞやの朝の再来と言わんばかりな展開に、ラシェルもディルクも顔を真っ赤にして、その場で踞った。
「ねえ、居るんでしょ?! 何とか言いなさいよ!!」
「ちょっと、ニーナ。病院で大声出したら、他の患者さんに迷惑だって……」
「分かってるわよ! けど許せないじゃない」
どうやらニーナは、ランドルまで引き連れて来たようだ。分かってると言いながらも声のトーンを変えずに小競り合いを続ける内容から、一体彼女に何と言って屋敷を出て来たのかとディルクを伺う。いや、きっと他の従者に託けだけ言い渡し、彼女とは会わずにここへ戻って来たのだろうなと彼の様子から察した。
「ちょっと、返事くらいしなさいよね! 開けないなら勝手に入るわよ!」
はあぁと盛大な溜め息を一つ吐いてから、「今、開ける」とディルクが重い腰を上げた。
ゆっくりと開かれるドアが待ちきれないといった様子で、ニーナが転がり込むように入って来る。
「ラシェル!!」
ベッドに居るラシェルを見た途端、表情を歪ませてニーナが抱きつく。
「無事で良かった……!!」
ラシェルが軽傷で済んだことは屋敷の侍従から聞いたと言う。それでも心配したんだからねと、ニーナは腕に力を込めた。
「オレもニーナから聞いた時には、ビックリしたよ」
「二人とも、心配掛けてごめんね。けど、ホラ。全然大丈夫だから」
両手をヒラヒラとさせ、平気なポーズをとる。
そんなラシェルを見て、二人は安堵の表情を浮かべた。
「それにしてもディルク、ラシェルの専属侍女である私を通さず、他の従者に入院支度をさせるなんて、どういう了見よ。しかも明日、話があるからランドルも屋敷に呼んでおけなんて……」
不満タラタラにディルクを睨み付ける。
それを見たラシェルはハッとして、ディルクに目配せをした。
明日、二人と話し合いの場を設けるつもりだったディルクだが、予定を繰り上げようとするラシェルの意図を読み取り、「やっぱり、こうなるか」と小さく溜め息を付く。
不本意ながらも頷いて承諾を示すディルクにラシェルも頷き返し、改めてニーナとランドルに目を向けた。
「ごめんね、ニーナ。実は、ランドルを呼ぶようにお願いしたのは私なの」
「えっ……」
「オレにも、何か話があるってこと?」
不思議そうに尋ねるランドルに、うん、とラシェルは応える。
「突然で申し訳ないんだけど……友人として、二人に直接会って話をしたかったから」
俯きがちにラシェルが切り出すと、「なぁに、改まって」とニーナが腰に手を当て、被せ気味に言う。
「四人で会って話をするなんて、そんなのいつものことじゃない」
「そうなんだけど。折り入って聞いて欲しいことがあるの」
「聞いて欲しいこと……」
真剣な眼差しのラシェルに、ランドルが独り言のように呟いてからニーナへ目配せした。
けれど当然、彼女に思い当たる節はなく、首を横に振って返す。
が、そこで思い付いたかのようにランドルが「ああ、そうか」と膝を打った。「ひょっとして、ディルクとの婚約を解消するから、その相談とか?」
ケンカでもした? と言い、彼としては、いつもの軽口の一つで場を和ませようとしたのだろう。
けれど状況が状況なだけに、ラシェルは一瞬、返す言葉に詰まった。
その反応を見たニーナは、キッとディルクを睨み付ける。
「どういうこと? ディルク、あんたまたラシェルに酷いこと言ったんじゃないでしょうね?!」
胸倉掴む勢いで詰め寄るニーナに、濡れ衣だとディルクが返す。
「こらこら」
「待って、そうじゃないの……!」
ラシェルもランドルと一緒になってニーナを止め、用意した椅子へ座るよう促した。




