暗中模索
★第59話目
「……黒兵衛殿」
戻って来たチェイム達に、パーソンズは声を掛けた。
「そ、その……どうでした?」
「ん?ん~……分からん」
黒兵衛は静かに首を振った。
「分からへんが、多分生きとると思うで」
「そ、そうですか」
パーソンズの顔がパッと輝く、
「そ、それで現在、守護天使殿の所在は……」
「行方不明中や。恐らく、怪我ぐらいしとると思うし……アイツはアイツで、何か考えて行動しとるかも知れん。その辺はちと分からへんなぁ」
「そうですか……」
今度は沈痛な面持ちで、パーソンズはガックリと頭を垂れた。
「……ところで、ホリーホックの姉ちゃんはどないな調子や?」
「それが……陛下は……そのぅ……」
「なんや?まだ塞ぎ込んでるんか?」
「……はい。今は……少し安静になられましたが……かなり心に傷を負ったようで……大将軍殿が付き添って看病していますが……」
「あ?何や?えらい歯切れが悪いやないけ?」
「は、はぁ……実は少々、困った事に……」
「困ったこと?」
黒兵衛は首を傾げ、背後にいるチェイムと顔を見合す。
「困った事ってなんやねん?ワテとしては直ぐにでも奇襲攻撃に移りたいんやが……」
「や、それが、その……」
とパーソンズが重々しく口を開きかけると同時に、
「あ~♪」
何やら嬉しそうな声を上げて、ヒョコヒョコと此方へ駆け寄って来るホリーホックの姿があった。
そしてその姿を見止めるや、チェイムの体が素早く反応。
腰に下げた魔法剣に指を掛けるが、魔法剣は洸一にしか扱えないので抜けない。
そこで彼女はパーソンズの腰に下げている剣を素早く奪うや、疾風の如く彼女に駆け寄り、
「ア、アカンてーーーッ!?」
黒兵衛がそう叫んだ時には、チェイムの手にした剣の切っ先はホリーホックの首筋に向けられていたのだった。
★
――こ、殺す気やッ!?
黒兵衛は一瞬、本気でそう思った。
それほどチェイムの斬激は凄まじく、殺気すら篭っていたからだ。
だが、彼女の剣はホリーホックの首筋一寸で止まっていた。
「ね、姉ちゃんや。いくら怒ってるからって、そらあんまりやで」
黒兵衛はフゥ~と大きな溜息を吐き、彼女達の元へ駆け寄ると、
「さ、さぁ、そない物騒なモンは早よ仕舞って……」
そう声を掛けるが、そこから先は言葉にならなかった。
「あ~♪」
切っ先を向けられているホリーホックは、直面している事態が分かっていないのか、歌うような声を上げながら、ニコニコとチェイムを見つめていた。
その瞳からは、完全に知性の色が消滅している。
「お、おい……パーソンズ。こら一体、どーゆーこっちゃ?」
震える声で黒兵衛が言った。
「わ、分かりません。ただ……思うに、陛下は……後悔のあまり、何の不安も悲しみも無い世界に旅出われてしまったと……」
搾り出すような声で、パーソンズ。
「も、もう私達のことは何も憶えていないようで……」
マ、マジか?
ホリーホックの姉ちゃん、ガチで狂った……いや、自我が崩壊したんか?
「お、おいおい、そないな事って……」
――ガシャン…
不意にチェイムの剣が地に落ちた。
「ね、姉ちゃん」
「わ、私は……」
チェイムはそう呟きながら震える手を伸ばし、キョトンとした顔をしているホリーホックをギュッと抱き締めた。
「どうしたら……私はどうしたら良いんだ。もう……どうしたら……」
「あ~♪」
ホリーホックはニコニコと笑顔で、優しくチェイムの髪を撫でた。
「……優貴……誰か優貴を……洸一……助けてよぅ」
チェイムの頬を伝わる大粒の涙が、ホリーホックを濡らす。
「あ~♪」
だけど彼女は、ただそれを不思議そうに眺めているだけであった。
★
「うぅ~む、困った事に、道に迷ってしまったのぅ」
取り敢えず俺は、途方に暮れてみた。
ハッキリ言って無謀だった。
もちろん、ハッキリ言わなくても無謀だった。
あまつさえ馬鹿だった。
土地勘も無いのに深夜の森、いや樹海の中を歩くなんてのは、わざわざ遭難しに来たのと同じだった。
あまつさえ腹は減るわ変な獣の鳴き声は聞こえるわ……並みの男だったら、「うぉーいおいおい」と泣き叫んじゃう所だ。
もちろん、強い男の子の俺様はそんな無様な真似はしない。
クスンクスンと鼻を啜りながら親指を咥えて耐えるだけだ。
「しっかし、方角すら分からんとは……」
月明かりを頼りに進むべき道を探そうと思ったが、幾重にも重なった高い枝が夜空を全て遮っていて不可能だった。
うぅ~む、こんな事なら、誰かが探しに来るまで大人しく待っていれば良かった……
俺は嘆息しながら、その場に腰掛けた。
湿った落ち葉の感触が尻に伝わり、何となくクリスタルな気分になる。
「ハァ~……どうして俺の冒険は、いっつも簡単且つストレートに進まないのかねぇ」
何だか分からんが、ビーンボール投げまくりな冒険ばかりだ。
もっとこう、往年の和製RPGらしく、ご都合主義的に一本道で話が進めば楽なのに。
「……早く元の世界に戻りたいなぁ」
あの美味いけどサイケでマッドな穂波の手作り弁当が、今はとても懐かしく思えた。
いつもは恥ずかしさ10%、恐怖90%で嫌だったのだが、それすらも無性に食べたい気分だ。
……
少し心が弱っているのかな?
そんな事を考え、独り闇に閉ざされた森の中で苦笑している時だった。
「――ッ!?」
俺は不意に、何やら不穏な気配を感じた。
風に揺れる木々の音に消されがちだが、確かに足音らしき物音が響いてくる。
野生動物?いや、これは……人の足音?しかも複数だ。そう言えば、ここは敵の夜営地に近かったな。
と言うことは、斥候兵か何かか?
俺は目を凝らし、上手い具合に窪んでいる木の根元を見つけ、そこに身を伏せた。
むぅ……思ったより足音が多いな。しかも……索敵中って感じじゃないぞ?
やけに規則正しいし……これは行軍している感じだ。ぬぅ……
足音は段々と大きくなって来ていた。
少なくとも、100人は下らない人数の足音だ。
どう言う事だ?時刻から考えれば、普通はお寝んねの時間だと思うんじゃが……
俺は息を殺し、その場で敵が過ぎ去るのを待っていることにした。
★
「……ミトナットウ。ホリーホックの姉ちゃんの具合は、どうや?」
黒兵衛は、疲れ切った顔で戻って来たゴブリンに、そう声を掛けた。
「今、お休みになられたところだっぺ」
「これから……どうしますか?」
親衛隊長のパーソンズが、重々しく口を開く。
「別働隊を率いているウィンウッド次席将軍からも、作戦開始はまだか、との催促が来ていますが……」
「姉ちゃんがあの調子だし、洸一もいないし……ここは撤退するしかないんとちゃうんか?」
「で、でもそれだと、兵の士気ががた落ちだっぺ。最悪、脱走者が出始める恐れがあるっぺよ」
「大将軍の意見に賛同しますね。ここまで来て何もせずに撤退と言う事になれば、敵は勢いづき、その分我々を取巻く状況は不利になる一方ですからね」
パーソンズは重々しく頷きながらそう言った。
「……そか。姉ちゃんはどない思う?」
黒兵衛は、夜空を眺めていたチェイムに視線を移した。
「……別に」
チェイムは素っ気無く言った。
「奇襲を仕掛けるしろ、撤退するにせよ、今の私は加わる気はない」
「そ、そらどーゆー意味だっぺ?」
ミトナットウが気色ばむ。
「……ふ、今の私は、洸一の生死を確認する事が優先事項だ。それ以外の事には興味はない」
「そ、そうだっぺか……」
「……ただ、作戦的に言えば、ここは撤退の一手だな」
「撤退……ですか?」
とパーソンズ。
「差し支えなければ、理由をお聞かせ願いたい」
「……勘、だな」
チェイムはニヤリと笑った。
「勘、ですか」
「そうだ。私は帝国の戦姫として、幾多の戦場で指揮を執った。そしていつも最後に頼りになるのは、参謀の意見ではなく自分の勘だった。ま、それだから軍の中でも嫌われていたがな」
「うぅ~ん……」
ミトナットウが腕を組んで唸った。
「勇者と黒兵衛殿は撤退と言う意見だっぺか。うぅ~ん……」
「わ、私も……戦経験の豊富なチェイム殿の意見に賛成します」
パーソンズが前言を撤回して、ガハハハと笑った。
「い、いやぁ~……ここだけの話、チェイム殿の武勇伝は街でも噂に聞いていますからね」
「うぅ~ん……仕方ないっぺ。ここは撤退と言う事にするっぺか……」
とミトナットウが決断した時だった。
血相を変えた一匹のコボルドが小走りに近付き、周りの兵たちに聞こえぬ様小さな声で、
「へ、陛下の姿が……見当たりません」
と告げたのだった。
★
体を伏せ、小枝や落ち葉でカモフラージュしながら息を潜めていると、目の前を無数の兵士達が通り過ぎて行く所だった。
誰しもが無言で、規則正しい足並みで行進している。
草木を踏みしめる音と、軋む鎧の音以外は何も聞こえない。
お、おいおい……単に移動って感じじゃないぞ?これは軍事行動じゃねぇーか?
俺は静かに唸った。
敵兵の数は推定200人前後。
しかもこの慎重な行軍は、明らかに夜襲攻撃を仕掛ける為だと推測できる。
夜襲……どこに?
決まっている、パインフィールドの軍だ。
だが、どうして俺達の軍がここにいる事が分かる?
まさか情報が漏れてた?
はたまた、黒兵衛達の作戦が読まれていた、って事か?
俺の背中を、言い知れぬ戦慄が走った。
マズイ……これはめっちゃマズイで黒兵衛ちゃんよ。
このままでは、逆に奇襲を掛けられて殲滅させられてしまうのは必定だ。
数で劣り、兵の質で劣り、尚且つ作戦を読まれている上に無敵の俺様がいない。
勝つ可能性は限りなく0%だ。
早くみんなにこの事態を知らせて撤退させないと……
万が一、作戦通りに奇襲攻撃なんぞを仕掛けたら、猛烈な逆撃を被るだけだ。
ここは速やかに撤収の一手しかない。
俺はグッと奥歯を噛み締めた。
ってかそもそも、何が何でも作戦を遂行するようにと最後にホリーホックに言ったのは俺だ。
迂闊ッ!!
迂闊ナリよ洸一ッ!!
チェイムにホリーホック……
ここは出来るだけ早く合流し、何としても彼女達を守らなければッ!!
★
「……」
一瞬、目の前が真っ白になった。
喜連川先輩の愛猫である黒猫の、ハッと息を飲む音が聞こえる。
信じたくない現実が、そこにはあった。
突如消えてしまったホリーホックを探しに森の中を走り回り、偶然にも崖下へ続く坂道を発見した私達は、もしや?と思い駆け足で来てみたが……
彼女の姿がそこにはあった。
大きな木の根元に腰を下ろし、知性の消失した瞳で空を見上げている。
そしてその膝の上には、変わり果てた洸一の姿があった。
「あ~♪」
彼女の手が、優しくその頭を撫でている。
「……」
私は……狂ってしまったのだろうか?
洸一の姿を見ても、悲しみが湧いてこない。
まるで夢を見ているような感覚だった。
全ての感情が、一瞬の内に消滅してしまった様だ。
「……洸一」
黒猫がボソリと呟き、横たわる彼の元へ近付くが、
「う゛~」
ホリーホックはまるで、大切な宝物を守るかの様に彼を抱き抱え、そして唸りながら睨みつけた。
「あ、いや……落ち着けや、姉ちゃん。何もせぇへんて」
「う゛~」
「し、しかしこれは……リアル死体やないけ。せやけど気配が……」
「う゛~…」
「……参ったな、これは。さぁ、姉ちゃん、こないな所に居てもしょうがあらへん。皆の所に戻ろうや。それに……」
そこで一旦黒猫は言葉を切り、チラリと屍と化した洸一を見やり、
「洸一も、こない寂し気な所に居たくは無い筈やから……」
「あ~♪」
「ミトナットウ。洸一を……頼むわ」
「……分かったっぺ」
ゴブリンは頷き、横たわる洸一の元へ近付き、
「守護天使様。さ、行くっぺよ」
そのまま彼を背中におぶった。
「……ハハ……守護天使様は意外に軽いっぺよ。……働き過ぎだっぺ」
「……せやな。せやけど、これからはゆっくりと眠れるやろ」
黒猫が、どこか遠い目をしてそう言った時だった。
不意に、然程離れていない所から響く人間の悲鳴。
そして続く怒声。
「――敵兵ッ!?」
パーソンズ親衛隊長がそう叫び、慌ててホリーホックの腕を掴んだ。
それと同時に、木陰から無数の人影が飛び出してくる。
「て、敵襲やッ!?急いで皆に連絡を!!さ、策が読まれていたんやッ!!」
黒猫が叫んだ。
私は洸一の遺品である大振りな剣を構え、向って来る敵兵に立ち向かう。
もちろん、特殊なこの剣を抜くことは出来ない。
だから鞘に入ったまま構える。
切ることは出来ないが、殴ることは出来る。
「ね、姉ちゃんッ!?さっさと逃げーや!!」
「私は……ここで敵を食い止める」
「は?なにアホな事を……」
「洸一いなくなった今、もう私に出来る事は……」
「ア、アホかい!!洸一がおらんようになったからこそ、姉ちゃんにはやるべき事があるやろーが!!」
黒猫は私の前に躍り出て、フ~と大きく唸った。
「……やるべき事……」
私には、まだ生きていく価値があるのだろうか。
独りでも、生きていかなければならないのだろうか……




