第9話 美しい人間
町で、ゆみえの名前が少しずつ知られるようになっていた。
「銀髪のエルフを見た?」
「ああ、あの子だろ?」
「すごく綺麗らしいよ」
「森の向こうから来たって?」
「魔力もかなり強いらしい」
本人が知らないところで、噂だけが広がっていく。
ゆみえは、それを知らなかった。
ただ、以前よりも人から声をかけられることが増えた。
「こんにちは」
「ゆみえさんですよね?」
「この前、町に来ていたでしょう?」
「よかったら一緒に食事でも――」
「今度、祭りがあるんだけど……」
次々に声をかけられる。
最初は戸惑った。
けれど。
次第に――。
嬉しくなっていった。
「……これが、普通なのかな」
昔の自分なら、こんなことは絶対になかった。
男性から誘われることも。
知らない人から興味を持たれることも。
誰かに「綺麗」と言われることも。
ほとんどなかった。
だから。
ゆみえは、少しずつその感覚に酔っていった。
◇
「ゆみえ!」
リリアが駆け寄ってきた。
「また誘われたんだって?」
「うん……」
「何人目?」
「知らないよ」
「すごいね」
リリアが笑う。
「この前まで、この村で一番人気だったのは私だったのに」
「え?」
「冗談」
リリアは笑っていた。
けれど。
その笑顔の奥に、ほんの少しだけ寂しさがあるように見えた。
「リリア」
「なに?」
「嫌じゃないの?」
「何が?」
「私ばっかり注目されて」
「別に」
リリアは肩をすくめる。
「綺麗な人なんて、いくらでもいるから」
「でも……」
「それに」
リリアはゆみえの顔を見る。
「人気者って、意外と大変だよ」
「そう?」
「うん」
「私は……嬉しいけど」
「最初はね」
リリアはそう言って笑った。
◇
その日の夕方。
ゆみえは一人で町を歩いていた。
すると。
「ゆみえさん!」
後ろから声がした。
振り返る。
知らない青年だった。
「この前、広場にいたよね?」
「はい……」
「僕、君のことが気になってたんだ」
「……」
まただ。
胸が高鳴る。
「よかったら、今度――」
そのとき。
青年の後ろに、もう一人男性が現れた。
「おい」
「何?」
「その子、僕が先に声をかけたんだけど」
「知らないよ」
「俺が先だ」
「いや、僕のほうが――」
二人が言い争い始めた。
ゆみえは困惑した。
「……あの」
二人が同時に振り返る。
「ゆみえさん、僕と――」
「いや、僕と――」
ゆみえは一歩下がった。
「ごめんなさい」
その場から逃げる。
走って。
走って。
人通りの少ない路地まで来た。
「……なんなの」
息を切らしながら呟く。
嬉しいはずなのに。
怖かった。
どうして自分が、こんなにも求められるのか。
考えれば分かる。
顔だ。
この顔。
この身体。
それだけ。
「……前の私なら」
誰も争わなかった。
誰も取り合わなかった。
誰も欲しがらなかった。
「今は……」
逆だ。
人が自分を欲しがっている。
その事実は、確かに気持ちよかった。
けれど。
胸の奥に、別の疑問が浮かんだ。
「私自身を見てる人って……いるのかな」
◇
数日後。
ゆみえは町の大きな食堂にいた。
向かいには、最近知り合った青年が座っている。
「ゆみえさんって、何が好きなの?」
「え?」
「食べ物」
「そうだな……」
ゆみえは少し考える。
「甘いものかな」
「へえ」
「昔から好き」
「昔?」
「うん」
「この世界に来る前から?」
ゆみえの手が止まった。
「……うん」
「変なの」
青年は笑った。
「君って、普通のエルフじゃないんだね」
「……そうかも」
「魔法は?」
「まだよく分からない」
「家族は?」
「……」
答えられない。
この世界の家族については、ほとんど何も知らない。
「ごめん」
青年が言う。
「変なこと聞いた」
「ううん」
食事が運ばれてくる。
しばらく会話が続いた。
けれど。
青年が話しているのは、ほとんどゆみえの容姿についてだった。
「本当に綺麗だね」
「髪がすごく長いね」
「瞳の色も珍しい」
「その耳、触ってみてもいい?」
「……」
ゆみえは少しずつ笑えなくなっていった。
そして。
「ねえ」
「ん?」
「あなたは……私の何を知ってる?」
「え?」
「私の好きなものとか」
「さっき甘いものって言ってたじゃん」
「それ以外」
「……」
「どんなことが嫌いかとか」
「……」
「何を考えているかとか」
青年は困った顔をした。
「まだ会ったばかりだから……」
「そうだよね」
ゆみえは笑った。
「ごめん」
その笑顔は、自分でも分かるほど寂しかった。
◇
食堂を出る。
夕暮れの町を歩く。
人々が自分を見る。
「綺麗」
「エルフだ」
「あの子、誰?」
視線。
声。
笑顔。
全部、自分に向けられている。
なのに。
なぜだろう。
前より寂しかった。
「……私、何が欲しいんだろう」
答えが出ない。
そのとき。
「ゆみえ」
聞き慣れた声。
振り返る。
「レオン」
「こんなところにいたんだ」
「うん」
「探したよ」
「どうして?」
「この前、一緒に町へ来たときに、君が少し寂しそうだったから」
ゆみえは目を見開いた。
「……分かったの?」
「うん」
「どうして?」
「なんとなく」
レオンは笑った。
「君、笑ってるけど、本当に嬉しいときと少し違うから」
胸が止まりそうになった。
「……私の顔じゃなくて?」
「え?」
「私が……綺麗だからじゃなくて?」
レオンは首を傾げた。
「もちろん綺麗だと思うよ」
「……」
「でも、それだけじゃないと思う」
「何が?」
「君が、君だから」
その言葉を聞いた瞬間。
ゆみえの目から、涙がこぼれた。
「え……?」
レオンが慌てる。
「どうしたの?」
「ごめん……」
涙が止まらない。
「ごめんなさい……」
「何か嫌なこと言った?」
「違う」
ゆみえは首を振る。
「嬉しいの」
「……」
「そんなこと……言われたことなかったから」
レオンは何も言わなかった。
ただ、隣に立っていた。
無理に慰めることもしない。
触れることもしない。
ただ、そこにいた。
その距離が。
今のゆみえには、とても心地よかった。
◇
その夜。
ゆみえは鏡を見た。
今日も美しい。
以前なら、この顔を見れば満足できた。
でも今は違う。
「綺麗だから、愛される」
その言葉が、少しずつ疑わしくなっていた。
そして。
「綺麗じゃなくなったら……どうなるんだろう」
鏡の中の自分を見る。
銀色の髪。
緑色の瞳。
美しい顔。
その顔の奥に、四十九年間生きてきた自分がいる。
「私を見てくれる人は……誰?」
答えは出ない。
ただ。
今日、レオンが言った言葉だけが残っていた。
『君が、君だから』
ゆみえは鏡に映る自分を見ながら、ほんの少しだけ笑った。
そして――。
その翌日。
町に、一人の男がやって来た。
人々が道を空ける。
誰もがその男を見ている。
金色の髪。
青い瞳。
整った顔。
誰が見ても分かる。
この世界で最も価値があるとされる、美しい人間。
男の名は――。
ルシアン。
人間王国の第一王子だった。




