第6話 美しい者の世界
「町まで、一緒に行かない?」
レオンにそう誘われてから、ゆみえはしばらく返事ができなかった。
「……私でいいの?」
「うん?」
「だって、町まで行くなら……もっと仲のいい人とか」
レオンは少し笑った。
「ゆみえと話したいから誘ったんだよ」
その言葉だけで、胸が熱くなった。
「……うん」
ゆみえは小さく頷いた。
「行きたい」
「よかった」
レオンは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、ゆみえの胸が妙に落ち着かなかった。
――好きなのかな。
まだ分からない。
けれど、嫌ではない。
むしろ、もっと話していたいと思った。
◇
二人は村から少し離れた町へ向かった。
森を抜けると、大きな石造りの門が見えてくる。
門の前には多くの人が並んでいた。
「ここが町?」
「うん。エルディアっていう町」
「すごい……」
人間とエルフ。
商人。
冒険者。
魔法使い。
様々な種族が行き交っている。
ゆみえは辺りを見回した。
そして、すぐに違和感に気づいた。
「あの人……」
通りの向こうから、一人の女性が歩いてくる。
真っ白なドレス。
金色の髪。
整った顔。
明らかに美しい女性だった。
すると。
「どうぞ!」
「こちらをお使いください」
「お先にどうぞ」
周囲の人間が、次々と道を譲っていく。
女性は慣れた様子で歩いていった。
「……すごい」
ゆみえが呟く。
「何が?」
「みんな、あの人に道を譲ってる」
「そりゃそうだよ」
「どうして?」
レオンは不思議そうな顔をした。
「綺麗な人だから」
「……それだけ?」
「それだけっていうか……」
レオンは少し考えた。
「綺麗な人には、いいものを譲るのが普通なんだ」
「普通……」
その言葉が引っかかった。
ゆみえは前の人生を思い出した。
学校でも。
職場でも。
飲食店でも。
誰も「美人だから優先します」とは言わない。
けれど、なぜか可愛い女性には男性が集まった。
店員の態度が柔らかくなることもあった。
仕事で多少ミスをしても、なぜか許される人もいた。
逆に、自分が同じことをすると――。
厳しく見られた。
ゆみえはずっと、それが気のせいだと思っていた。
けれど。
この世界では、それが「普通」なのだ。
「……怖いね」
「え?」
「なんでもない」
◇
二人は市場へ入った。
「何か食べたいものある?」
「え?」
「町まで来たんだから、何か食べようよ」
レオンが店を指差す。
焼き菓子の店だった。
「これ、美味しいよ」
「じゃあ……」
二人で店に入る。
「いらっしゃいませ」
店員が顔を上げた。
そして、ゆみえを見た瞬間。
「まあ……」
表情が変わった。
「エルフのお嬢さん、初めて見る顔ですね」
「あ、はい」
「よかったら、こちらをどうぞ」
店員が一番高そうな焼き菓子を差し出した。
「え?」
「試食です」
「でも……」
「遠慮なさらず」
ゆみえが受け取る。
その横で、レオンが普通の焼き菓子を買った。
「レオン」
「ん?」
「私……試食もらったよ」
「うん」
「どうして私だけ?」
「綺麗だからじゃない?」
あまりにも自然に言うので、ゆみえは苦笑した。
「また、それ」
「だって、本当にそうだと思うよ」
「……そうなんだ」
焼き菓子を口に入れる。
「美味しい……」
甘い。
そして――。
少しだけ苦い。
◇
その後も、似たようなことが続いた。
宿屋では一番眺めのいい部屋を勧められた。
武器屋では、店主が普段見せないという魔法具を見せてくれた。
服屋では、値段を下げてもらえた。
レオンと一緒にいるだけなのに、店員たちの態度が明らかに違う。
ゆみえは最初、それを嬉しいと思った。
いや。
正直に言えば――。
嬉しかった。
今まで一度も受けたことのない扱いだったから。
「これが……」
ゆみえは街の中央広場で呟いた。
「美人になるってことなんだ」
「うん」
レオンが隣に立つ。
「どう?」
「……嬉しい」
ゆみえは正直に答えた。
「すごく嬉しい」
その言葉を口にした瞬間、自分でも驚いた。
もっと複雑な感情を抱いていると思っていた。
でも違った。
優しくされるのは嬉しい。
大切にされるのは嬉しい。
誰かに求められるのは――もっと嬉しい。
「前の私が、今の私を見たら……」
ゆみえは想像する。
四十九歳の自分が、この姿を見たら。
きっと泣くだろう。
羨ましいと思うだろう。
そして――。
少しだけ憎むかもしれない。
「……ゆみえ?」
「なんでもない」
そのときだった。
広場の反対側から、何人かの少年少女が歩いてきた。
その中に、一人だけ離れて歩いている少年がいた。
小柄だった。
髪はぼさぼさ。
頬には古い傷。
服も他の子より汚れている。
少年が店の前に立つ。
「これ……ください」
店主が少年を見る。
「お金は?」
「……ないです」
「じゃあ駄目だよ」
「……」
「物を買うならお金を持ってきな」
少年は俯いた。
その瞬間。
後ろから少年たちの笑い声が聞こえた。
「またノアだ」
「金もないの?」
「醜いくせに、よく店に来られるな」
ゆみえの体が固まった。
「……醜い」
その言葉。
知っている。
何度も聞いた。
何度も自分に向けられた。
ゆみえは無意識に少年を見た。
目が合った。
少年は怯えたように顔を逸らした。
「……ごめんなさい」
小さな声。
そして、逃げるように走っていった。
「待って」
ゆみえが一歩踏み出す。
しかし。
レオンが腕を掴んだ。
「やめたほうがいい」
「どうして?」
「あの子、ノアっていうんだけど……」
レオンは少し困った顔をした。
「関わらないほうがいいよ」
「どうして?」
「いろいろあるんだ」
「でも……」
「ゆみえ」
レオンが静かに言う。
「この町では、ああいう人は……あまり相手にされない」
ゆみえは黙った。
胸の奥が、ざわざわする。
さっきまで自分が受けていた優しさ。
そして今、目の前で起きたこと。
同じ世界なのに。
人によって、こんなにも違う。
「ねえ、レオン」
「ん?」
「私が……あの子みたいな顔だったら」
「……」
「あなたは、私に話しかけてくれた?」
レオンは答えなかった。
その沈黙が、答えのように感じられた。
「……そっか」
ゆみえは笑った。
「分かった」
それ以上は何も言わなかった。
◇
帰り道。
ゆみえは一人で歩いていた。
レオンが少し前を歩いている。
夕日が森を赤く染めていた。
綺麗だった。
どこまでも綺麗だった。
なのに。
ゆみえの心は晴れなかった。
「綺麗だから、大切にされる」
それなら。
「醜いから、大切にされない」
そんな世界なのだろうか。
前の世界と同じ。
ただ、この世界ではそれがもっと露骨なだけ。
「……私、嬉しかった」
誰かに優しくされた。
特別扱いされた。
欲しかったものを、たくさんもらった。
だから――。
簡単には否定できない。
「私は……この世界が嫌いになれない」
その言葉が出た瞬間。
ゆみえは自分自身に驚いた。
前の自分なら、こんな世界を許せなかっただろう。
でも今の自分は――。
美しい側にいる。
優遇される側にいる。
だから、嬉しい。
「……私も、同じなんだ」
その瞬間。
胸の奥で何かが崩れた。
ゆみえは立ち止まる。
「私も……」
ノアの顔が頭から離れない。
逃げるように走った、小さな背中。
昔の自分と重なる。
けれど。
「……私は、今……あの子より幸せ」
その事実を認めた瞬間。
なぜか、涙が一粒だけ頬を伝った。
美しい世界。
優しい世界。
欲しかった世界。
――そして。
誰かの犠牲の上に成り立っている世界。
ゆみえは初めて、そのことに気づいた。
それでも彼女は、まだ知らなかった。
この世界で「美しい側」にいることが、やがて自分自身を苦しめることになるなんて。




