第5話 初めての告白
「これが……美しい人の世界」
そう呟いてから、ゆみえはしばらく動けなかった。
鏡に映っている自分は、やはり自分ではない。
長い銀色の髪。
透き通るような肌。
緑色の瞳。
細く長い手足。
そして、エルフ特有の尖った耳。
どこから見ても、二十歳くらいの美しい女性だった。
前の人生で、何度鏡を見ても好きになれなかった自分とは正反対。
けれど――。
「……私の中身は、ゆみえなのに」
胸の奥には、四十九歳まで生きた記憶がある。
醜いと言われた記憶。
笑われた記憶。
誰にも選ばれなかった記憶。
そして、最後に好きになった蓮から聞いた言葉。
『僕は、できれば自分と近い年齢の人と付き合いたいです』
『それに……やっぱり、外見も大事だと思います』
蓮は悪くなかった。
だからこそ、余計につらかった。
彼は嘘をつかなかっただけなのだ。
自分が選ばれない理由を、正直に教えてくれただけ。
「……もし、前の私がこんな顔だったら」
そこで、ゆみえは口を閉じた。
考えたくなかった。
もし、二十歳で。
もし、美人で。
もし、この顔で生まれていたら。
人生は変わっていたのだろうか。
「ゆみえ?」
扉の向こうから声がした。
「入っていい?」
「う、うん」
入ってきたのはリリアだった。
彼女はゆみえを見るなり、にっこり笑った。
「やっぱり綺麗ね」
「……そんなに?」
「そんなに」
即答だった。
「村を歩いているだけで、みんな振り返ると思うよ」
「それって……いいことなのかな」
「もちろん」
リリアは不思議そうな顔をした。
「綺麗な人は得するもの」
「……」
その言葉に、ゆみえは少しだけ胸が痛んだ。
前の世界でも、同じだった。
ただ、誰もそれをはっきり口にしなかっただけ。
美人は優しくされる。
若い人は期待される。
整った人には、人が集まる。
そして、自分はその反対側にいた。
「でもね」
リリアが突然、少し寂しそうに言った。
「綺麗だからって、いいことばかりじゃないよ」
「え?」
「……まあ、そのうち分かるよ」
リリアは笑って話を終わらせた。
その日の午後。
ゆみえはリリアと一緒に村を歩いた。
すれ違う人々が、こちらを見る。
男性はもちろん、女性も。
子どもまで振り返る。
前の人生では、人の視線が怖かった。
見られるたびに、
『また笑われている』
『変だと思われている』
そう考えていた。
なのに今は違う。
視線を向けられるたびに、
『綺麗だと思われているのかもしれない』
そう思ってしまう。
それが、少し嬉しかった。
そして――。
「ゆみえ」
「うん?」
「ちょっと寄っていい?」
リリアが一軒の店を指差した。
「ここ、私の知り合いがやってるお店」
二人が店に入る。
「いらっしゃ――」
店主の女性が顔を上げた瞬間、言葉を止めた。
「あら……」
そして、ゆみえを見る。
「まあ……」
店主は嬉しそうに笑った。
「あなた、ものすごく綺麗ね」
「あ、ありがとうございます……」
「初めて見る顔だけど、どこの家の子?」
「えっと……」
ゆみえが答えに困っていると、リリアが代わりに説明した。
「この子、最近この村に来たの」
「そうなの」
店主はゆみえの顔を眺めながら言った。
「じゃあ、これ持っていきなさい」
差し出されたのは、小さな銀色の髪飾りだった。
「え?」
「サービスよ」
「でも……」
「いいのいいの」
店主は笑った。
「こんな綺麗な子に使ってもらえるなら、髪飾りも喜ぶわ」
ゆみえは髪飾りを受け取った。
「……ありがとうございます」
店を出てから、リリアが笑った。
「ほらね」
「……うん」
「得するでしょ?」
ゆみえは髪飾りを見つめた。
「……うん」
否定できなかった。
前の自分なら、絶対にもらえなかっただろう。
そう思うと、胸の奥が少しだけ軽くなった。
その日の夕方。
村の広場にあるベンチで、ゆみえは一人座っていた。
そこへ、一人の青年が近づいてきた。
「……あの」
「はい?」
青年は二十四歳くらいに見えた。
茶色の髪。
普通の顔立ち。
特別に美形というわけではない。
けれど、優しそうな目をしていた。
「君、ゆみえさん……だよね?」
「そうですけど」
「僕、レオン」
「レオンさん……」
「突然ごめん」
彼は少し緊張しているようだった。
「実は、話してみたいと思ってたんだ」
「私と?」
「うん」
ゆみえの心臓が跳ねた。
前の人生で、こんな経験は一度もなかった。
男性から声をかけられたことはあっても、それは仕事上だったり、道を聞かれたりしただけ。
自分自身に興味を持って近づいてくる男性なんて――。
いなかった。
「どうして……?」
思わず聞いてしまった。
「どうしてって?」
「私に……」
言葉が続かなかった。
するとレオンは、少し困ったように笑った。
「君が綺麗だから……かな」
その瞬間。
胸の奥に、鋭い痛みが走った。
「……綺麗だから」
その言葉を、ゆみえは何度も頭の中で繰り返した。
嬉しい。
嬉しいはずだった。
なのに。
なぜか、怖かった。
「……そう」
「嫌だった?」
「ううん」
ゆみえは笑った。
「嬉しいよ」
レオンも笑った。
「よかった」
二人はしばらく話をした。
村のこと。
魔法のこと。
森のこと。
好きな食べ物。
くだらない話。
でも、ゆみえはどこか上の空だった。
頭の中から、あの言葉が消えない。
『君が綺麗だから』
前の人生で欲しかった言葉。
誰かに一度でいいから言ってほしかった言葉。
それを今、簡単に言われた。
だからこそ――。
「……レオン」
「ん?」
「もし、私が綺麗じゃなかったら……」
「え?」
「それでも、私と話してくれた?」
レオンは黙った。
ほんの数秒。
その沈黙が、ゆみえには永遠のように感じられた。
「……分からない」
「……そう」
意外にも、レオンは誤魔化さなかった。
「ごめん。でも、まだ君のことを何も知らないから」
「ううん」
ゆみえは首を横に振った。
「正直に言ってくれて、ありがとう」
レオンが帰ったあと。
ゆみえは一人でベンチに座り続けた。
空には、この世界で初めて見る夕焼けが広がっている。
赤。
橙。
紫。
前の世界でも見ていたはずなのに、今までとは何もかも違って見えた。
「私……」
ゆみえは、自分の顔に触れた。
「綺麗になったんだ」
初めて実感した。
そして同時に、怖くなった。
もし、この顔がなくなったら?
もし、年を取ったら?
もし、傷がついたら?
もし、誰にも綺麗だと言われなくなったら?
「……また、捨てられるのかな」
自分でも驚くほど、小さな声だった。
その夜。
ゆみえは鏡の前に立った。
鏡の中には、美しいエルフがいる。
どれだけ見ても、美しい。
けれど、その瞳の奥にいるのは――。
四十九歳まで生きた、あのゆみえだった。
「私は……」
鏡に手を当てる。
「この顔があれば、幸せになれるの?」
鏡は答えない。
ただ、美しい少女を映している。
その翌朝。
村の入口で、ゆみえはレオンと再会した。
「あ」
レオンが笑う。
「おはよう、ゆみえ」
「おはよう」
そして彼は、少し照れながら言った。
「今日、一緒に町まで行かない?」
「……私と?」
「うん」
ゆみえの胸が高鳴った。
四十九年間、一度も経験したことのない感情。
男性から誘われる。
自分が女性として見られている。
嬉しい。
嬉しいはずなのに――。
ゆみえはふと考えた。
「この人が好きなのは……私?」
それとも。
「私の顔?」
答えは、まだ分からなかった。




