第19話 それでも私は、私でいたい
「この世界が……私を必要とした?」
ゆみえは、ヴァルガスを見つめていた。
頭の中が混乱している。
死ぬ直前に願った。
生まれ変わりたい。
その願いが、この世界に届いた。
それだけだと思っていた。
けれど。
もし本当に。
この世界が自分を呼んだのだとしたら。
「じゃあ……私は何のために?」
ヴァルガスは答えなかった。
「それを知るためには、君自身が選ばなければならない」
「選ぶ?」
「美しい者として、この世界を導くか」
「……」
「それとも――」
ヴァルガスがゆっくりと近づいてくる。
「醜い者たちと同じ場所に立つか」
その言葉に。
ゆみえの胸が痛んだ。
醜い者。
その言葉は。
前の人生の自分を思い出させた。
誰にも選ばれなかった。
恋人もできなかった。
鏡を見ることが嫌だった。
人の視線が怖かった。
もし。
あの頃の自分が。
今の自分を見たら。
どう思うだろう。
「……私は」
ゆみえは拳を握った。
「どちらも選ばない」
ヴァルガスの眉が動く。
「何?」
「美しい者の代表にもならない」
そして。
「醜い者の代表にもならない」
ゆみえはまっすぐ彼を見る。
「私は、私として生きたい」
ヴァルガスはしばらく黙っていた。
やがて。
小さく笑った。
「愚かな答えだ」
「そうかもしれない」
「君一人が何を選んでも、世界は変わらない」
「それでも」
ゆみえは言った。
「私は変わりたい」
その瞬間。
建物の奥から、大きな音がした。
地面が揺れる。
「……何?」
ヴァルガスは窓の外を見る。
青白い光が森の中から立ち上っていた。
「始まったか」
「何が?」
ヴァルガスは答えない。
その表情には、初めて焦りが浮かんでいた。
「君はもう帰れ」
「え?」
「今の君には、まだ早い」
「待って!」
ゆみえが追いかける。
しかし。
ヴァルガスの姿は闇の中へ消えていった。
「ヴァルガス!」
返事はなかった。
ゆみえは一人、取り残された。
そのとき。
森の向こうから声がした。
「ゆみえ!」
レオンだった。
「……レオン?」
レオンが走ってくる。
その後ろには。
アルベルト。
セレナ。
そしてノア。
「どうして……」
「どうしてじゃない」
レオンが息を切らしながら言った。
「一人で行くなんて、危険すぎる」
「……ごめん」
「謝ってほしいんじゃない」
レオンは苦しそうに笑った。
「無事でよかった」
その言葉に。
ゆみえは胸がいっぱいになった。
以前の自分なら。
「心配してくれる人がいる」
それだけで泣いていたかもしれない。
今も。
少し泣きそうだった。
けれど。
もう一つ。
伝えたいことがあった。
「レオン」
「うん」
「私……あなたのことが好きかもしれない」
レオンが固まった。
「……え?」
「まだ、はっきりとは分からない」
ゆみえは正直に言った。
「私はずっと、誰かに愛されることばかり考えてた」
「……」
「だから、自分が誰を好きなのかも分からなかった」
ゆみえは笑った。
「でも、あなたといると……」
言葉を探す。
「綺麗だと思われたいんじゃなくて」
「……」
「ただ、一緒にいたいと思う」
レオンは何も言わなかった。
しばらくして。
「それだけで十分だよ」
小さく笑った。
「僕も、急がせるつもりはないから」
ゆみえの目から涙が落ちる。
「……ありがとう」
ノアが横で照れくさそうに笑った。
「なんか……いいね」
「ノア」
「二人とも泣いてる」
「泣いてない」
「泣いてるよ」
「……ノアも泣いてるじゃん」
「これは違う」
「何が?」
「……嬉しいだけ」
二人で笑った。
その瞬間。
アルベルトが静かに口を開いた。
「ゆみえ」
「はい」
「君がヴァルガスのところへ行ったことは、正しいとは思わない」
「……うん」
「だが」
アルベルトは続けた。
「君が自分で選んだことなら、僕は否定しない」
「アルベルト……」
「君はもう、誰かに人生を決めてもらう必要はない」
その言葉に。
ゆみえは微笑んだ。
「ありがとう」
帰り道。
ゆみえは何度も森を振り返った。
あの場所には。
まだ秘密がある。
自分がこの世界に来た理由。
あの魔法陣。
青白い光。
そして。
「器」という言葉。
それはまだ、何も分からない。
けれど。
一つだけ分かった。
たとえ。
この世界に来た理由が何であっても。
誰かに必要とされたから生きるわけではない。
誰かに愛されたから生きるわけでもない。
美しいからでも。
醜いからでもない。
ただ。
自分が生きたいから、生きる。
それでいい。
その夜。
ゆみえは鏡の前に立った。
銀色の髪。
緑色の瞳。
美しい顔。
昔なら。
この顔を見て、喜んでいた。
今は違った。
「……綺麗だね」
少しだけ笑う。
「でも」
頬に触れる。
「これだけじゃない」
鏡の中の自分が笑った。
その瞬間。
鏡の奥に。
一瞬だけ。
別の顔が映った。
四十九歳の自分。
「……」
ゆみえは息を止める。
昔の自分は。
何も言わなかった。
ただ。
少しだけ笑っていた。
「……私」
ゆみえは鏡に手を当てた。
「あなたを、嫌いじゃなくなったよ」
四十九歳の自分が。
静かに消えていく。
涙が一筋。
頬を伝った。
悲しいのか。
嬉しいのか。
分からない。
ただ。
初めて。
昔の自分を抱きしめてあげられた気がした。
その夜。
眠りにつく直前。
ゆみえは思った。
私は幸せなのだろうか。
レオンがいる。
ノアがいる。
セレナがいる。
アルベルトがいる。
ルシアンもいる。
この世界には。
自分を見てくれる人がいる。
それでも。
胸の奥に。
小さな空白が残っている。
それは。
前の人生で失ったものなのか。
それとも。
まだ自分が知らない何かなのか。
分からない。
だから。
ゆみえは目を閉じた。
「明日も、生きてみよう」
それだけを決めた。
そして翌朝。
世界は変わっていた。
王都の中心。
巨大な鐘が鳴る。
一度。
二度。
三度。
街中の人々が空を見上げた。
王城から。
正式な声明が発表された。
――異世界から来た魂。
――銀髪と緑の瞳を持つ者。
――世界を変える可能性を持つ者。
その情報が。
一夜にして国中へ広がった。
ゆみえの名前も。
姿も。
すべて。
「……私のこと?」
ゆみえは震える声で呟いた。
アルベルトが険しい顔をする。
「誰かが情報を流した」
セレナが呟く。
「ヴァルガス……」
レオンがゆみえの前に立つ。
ノアも隣に立った。
街の向こうから。
人々の声が聞こえる。
期待。
恐怖。
興奮。
憎悪。
様々な感情が。
一つの名前へ集まっていく。
――ゆみえ。
ゆみえは空を見上げた。
自分は。
この世界に来た。
幸せになるために。
そう思っていた。
けれど。
もしかしたら。
この世界は。
自分に問いかけているのかもしれない。
「お前は、何者なのか」と。
ゆみえは静かに目を閉じた。
そして。
小さく笑った。
「……私が決める」
誰かに決めてもらうのではない。
世界に決めてもらうのでもない。
自分で。
自分の人生を。
決める。
その直後。
王都の空に。
青白い巨大な魔法陣が浮かび上がった。
そして。
空から。
誰かの声が響いた。
『――器よ』
ゆみえの身体が震える。
『帰る時が来た』
その声を聞いた瞬間。
ゆみえは思った。
――帰る?
どこへ?
前の世界へ?
それとも。
もっと別の場所へ?
答えを知るためには。
もう一度。
自分自身と向き合わなければならない。
そして。
ゆみえの最後の旅が始まった。




