第20話 醜い私が、美しい世界に転生した
『――器よ』
空から声が響いていた。
王都の人々が空を見上げている。
巨大な青白い魔法陣。
その中心に立つゆみえ。
「帰る時が来た」
また声がした。
ゆみえは空を見上げた。
帰る。
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、奇妙にざわついた。
帰る場所。
前の世界。
四十九年間、生きた場所。
決して幸せだったとは言えない人生。
けれど。
そこには確かに。
自分の人生があった。
「……帰ったら」
ゆみえは呟く。
「私は、どうなるの?」
答えはない。
すると。
隣にレオンが立った。
「ゆみえ」
「うん」
「行くの?」
「分からない」
正直な答えだった。
レオンはしばらく黙っていた。
そして。
「そっか」
それだけだった。
「引き止めないの?」
ゆみえが聞く。
レオンは少し困ったように笑った。
「引き止めたいよ」
「……」
「でも、君の人生だから」
その言葉を聞いた瞬間。
ゆみえの胸が熱くなった。
以前の自分なら。
誰かに必要とされるためなら。
どんな場所にも残ったかもしれない。
でも。
今は違う。
自分で決めたい。
ノアが隣に来る。
「ゆみえ」
「ノア」
「戻りたいなら、戻ればいいよ」
「……」
「戻りたくないなら、戻らなくていい」
「うん」
「どっちでも、ゆみえはゆみえだから」
ゆみえは笑った。
「本当に……あなたはそればっかりだね」
「だって、それが一番大事だから」
セレナも微笑んでいた。
「私も、そう思う」
アルベルトも静かに頷いた。
「君はもう、自分の価値を他人に証明する必要はない」
ルシアンも遠くから見ていた。
彼は何も言わなかった。
ただ。
優しく笑った。
その笑顔を見て。
ゆみえは思った。
やっぱり。
蓮とは違う。
似ていると思っていた。
でも。
ルシアンはルシアンだ。
そして。
蓮は蓮だった。
あの人に愛されなかったことも。
この世界で誰かに好かれたことも。
全部。
別々の出来事だった。
過去は消えない。
けれど。
過去に、今の自分を決めさせる必要もない。
ゆみえは空を見上げた。
「……私は」
声が震える。
「この世界に来て、幸せだったのかな」
誰も答えなかった。
その問いに。
自分で答えなければならない。
ゆみえは目を閉じた。
前の人生を思い出す。
学校。
いじめ。
職場。
誰にも選ばれなかった恋。
宗教団体で出会った人たち。
優しくしてくれた人。
傷つけた人。
蓮。
そして。
最後に願った自分。
――生まれ変わりたい。
――綺麗になりたい。
――愛されたい。
――幸せになりたい。
それから。
この世界。
初めて鏡を見た日。
自分の美しさに泣いた。
初めて人から優しくされた日。
初めて告白された日。
ノアと出会った日。
レオンと出会った日。
セレナと出会った日。
アルベルトと話した日。
ルシアンを蓮と重ねてしまった日。
ヴァルガスと向き合った日。
そして。
自分自身を、少しだけ好きになれた日。
ゆみえは目を開けた。
「……帰らない」
レオンが息を呑む。
「いいの?」
「うん」
ゆみえは笑った。
「私は、この世界に来た理由がまだ分からない」
「……」
「私が選ばれた器なのかもしれない」
「うん」
「世界を救うためなのかもしれない」
「……うん」
「でも」
ゆみえは自分の胸に手を当てた。
「そんなことより」
一歩前へ進む。
「私は、もう少しここで生きてみたい」
魔法陣が揺れる。
「幸せなのかどうかも、まだ分からない」
それでも。
「分からないから、知りたい」
青白い光が弱くなっていく。
「明日、嫌なことがあるかもしれない」
「うん」
「また誰かに傷つけられるかもしれない」
「うん」
「レオンと喧嘩するかもしれない」
「……それは困るな」
レオンが苦笑した。
ゆみえも笑った。
「でも」
ゆみえは空を見上げる。
「それでも、明日が来るなら」
小さく息を吸う。
「私は、明日も生きてみたい」
魔法陣が消えた。
静寂が訪れる。
誰も何も言わなかった。
やがて。
朝日が昇った。
王都を照らす光。
銀色の髪が輝く。
ゆみえは目を細めた。
その隣にレオンが立つ。
「朝だね」
「うん」
「何か食べる?」
「食べたい」
「じゃあ行こう」
二人が歩き出す。
ノアたちも続く。
その背中を見ながら。
ゆみえはふと思った。
――私は。
本当に幸せなのだろうか。
答えは。
まだ出なかった。
でも。
もう。
その答えを急いで探す必要はないと思えた。
***
数年後。
小さな村。
ゆみえは一人の少女の髪を結っていた。
「お姉ちゃん、私って可愛い?」
少女が聞く。
ゆみえは少し考えた。
「うん」
少女が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、可愛くない子は?」
「え?」
「可愛くない子は、幸せになれないの?」
ゆみえは手を止めた。
昔の自分を思い出した。
四十九歳。
鏡の中の自分を嫌っていた。
醜いから。
太っているから。
年を取っているから。
誰にも愛されないと思っていた。
でも。
今なら分かる。
「そんなことないよ」
ゆみえは少女の頭を撫でた。
「可愛いから幸せになるんじゃない」
「じゃあ、どうして?」
ゆみえは笑った。
「自分がどう生きたいかを、自分で決めるからだよ」
少女はよく分からないという顔をした。
「難しいね」
「うん」
ゆみえも笑う。
「私も、まだ分からない」
その日の夕方。
ゆみえは家に戻った。
部屋には鏡がある。
以前は。
鏡を見ることが嫌だった。
今は違う。
ゆみえは鏡の前に立った。
そこには。
美しいエルフの女性がいる。
銀色の髪。
緑色の瞳。
長い耳。
二十歳の身体。
美しい。
間違いなく。
美しい。
けれど。
その顔の奥には。
四十九年間を生きた自分もいる。
泣いた自分。
笑った自分。
傷ついた自分。
誰かを好きになった自分。
誰かに拒絶された自分。
そして。
生まれ変わることを願った自分。
「……久しぶり」
ゆみえは鏡に向かって言った。
昔の自分が。
そこにいるような気がした。
「私、元気だよ」
涙が落ちた。
「まだ、幸せかどうかは分からないけど」
少し笑う。
「悪くない人生だと思ってる」
鏡の中の自分が。
笑ったように見えた。
そのとき。
背後から声がした。
「ゆみえ」
レオンだった。
「夕飯できたよ」
「今行く」
ゆみえは振り返る。
そして。
もう一度だけ鏡を見る。
美しい顔。
だけど。
もう、それだけではない。
「……じゃあね」
鏡から離れる。
部屋の扉を開ける。
その先には。
大切な人たちがいる。
まだ見ぬ明日がある。
そして。
自分で選べる未来がある。
ゆみえは歩き出した。
――私は、幸せだったのかな。
その問いに。
最後まで答えは出なかった。
けれど。
もしかすると。
幸せとは。
「幸せだった」と言い切れることではなく。
明日も生きてみようと思えることなのかもしれない。
醜い私が。
美しい世界に転生した。
それでも。
最後に私が欲しかったものは。
美しい顔でも。
誰かからの愛でも。
特別な力でもなかった。
ただ。
「私は私でいい」
そう思えることだった。
ゆみえは振り返らなかった。
ただ。
明日の光の中へ歩いていった。




