第16話 美しい世界の醜さ
王都に戻った翌日。
町の空気は、明らかに変わっていた。
人々はいつもより静かだった。
店先では小声で話す者が増え、兵士の姿も多い。
そして。
街角の壁には、一枚の紙が貼られていた。
ゆみえは足を止めた。
「……何、これ」
紙には大きな文字が書かれていた。
――美しい者を守れ。
――美しい者に従え。
――美しい者こそ、世界を導く。
その下には、昨日見たものと同じ紋章。
美しい顔と、醜い顔。
上下に分けられた二つの人間。
「気味が悪いね」
リリアが呟いた。
ゆみえは返事ができなかった。
なぜなら。
そこに描かれている「美しい顔」が。
どこか自分に似ていたからだ。
◇
「この思想は、ここ数年で広がり始めた」
王宮の会議室。
アルベルトが説明していた。
集まっているのは、アルベルト、ルシアン、レオン、セレナ、そしてゆみえ。
「最初は単なる貴族の流行だった」
アルベルトは地図を広げた。
「美しい人間を高い地位に置く。醜い者を下働きにする。そんな程度だった」
「それが?」
ゆみえが尋ねる。
「徐々に思想になった」
アルベルトは答えた。
「美しさは神から与えられた才能である」
「……」
「だから、美しい者には人を支配する資格がある」
ゆみえの指が震えた。
それは。
以前、自分が心の中で望んでいたものと似ていた。
美人になれば。
誰かに優しくしてもらえる。
特別扱いしてもらえる。
誰かに愛してもらえる。
もっと言えば。
醜い人より、自分のほうが価値がある。
そんな感情を。
ほんの少しでも持ったことがあった。
「……馬鹿みたい」
ゆみえが呟く。
「何が?」
レオンが見る。
「私も……似たようなことを考えてた」
「ゆみえ」
「綺麗になったばかりの頃」
ゆみえは自分の手を見る。
「私は、醜い人を見て……自分のほうが幸せだと思った」
「……」
「自分が特別になったと思った」
誰も口を挟まなかった。
「でも」
ゆみえは顔を上げる。
「それって、この思想と何が違うんだろう」
静かな部屋。
アルベルトが答えた。
「程度の差はある」
「……」
「だが、根っこは似ているかもしれないな」
その言葉は厳しかった。
けれど。
ゆみえには必要だった。
◇
その日の午後。
セレナが街へ出ることになった。
人々を安心させるためだった。
ゆみえも同行する。
広場に着くと、たくさんの人が集まっていた。
「聖女様!」
「セレナ様!」
「美しい……」
歓声が上がる。
セレナは微笑んだ。
いつもの聖女の顔。
けれど。
ゆみえには分かった。
彼女は緊張している。
そのとき。
一人の男が叫んだ。
「美しい者は、我々を導いてくださる!」
別の男が続ける。
「醜い者は、美しい者に仕えるべきだ!」
群衆の一部から歓声が起こった。
しかし。
「やめろ!」
別の場所から声が上がった。
「人の価値を顔で決めるな!」
言い争いが始まる。
「醜い奴は黙ってろ!」
「お前たちこそ狂ってる!」
広場が騒然となる。
そのとき。
ゆみえの目の前に、一人の少年がいた。
ノアだった。
彼は人混みの中で、怯えた顔をしている。
「ノア!」
ゆみえが駆け寄る。
「どうしてここに?」
「買い物に来ただけだった」
ノアは周囲を見回した。
「でも……」
誰かがノアを見る。
そして。
「醜い奴だ」
小さな声。
ノアの肩が震えた。
ゆみえの胸が痛んだ。
以前の自分なら。
見て見ぬふりをしていたかもしれない。
関わらないほうがいい。
面倒に巻き込まれたくない。
そう思っていた。
でも。
今は違う。
「ノア」
ゆみえは彼の前に立った。
「私の後ろにいて」
「でも……」
「いいから」
ノアは黙って頷いた。
ゆみえは群衆を見る。
怖い。
でも。
もう逃げたくなかった。
「顔が綺麗だから偉いなんて」
声が震えた。
それでも言葉を続ける。
「そんなこと、誰が決めたんですか?」
広場が静かになった。
「美しいから人を支配していいんですか?」
誰も答えない。
「じゃあ――」
ゆみえはノアを見る。
「この人の顔が美しくないから、傷つけてもいいんですか?」
沈黙。
ノアの目が大きくなる。
「そんなの、おかしい」
ゆみえは言った。
「私は、美しいと言われるようになってから、たくさんのものをもらいました」
人々がゆみえを見る。
「道を譲ってもらった」
「店で優しくされた」
「知らない人から好意を向けられた」
「それは嬉しかった」
正直に言う。
「本当に嬉しかった」
ゆみえは自分の胸に手を当てる。
「だからこそ分かります」
声が大きくなる。
「美しいことが、人を幸せにすることはある」
「……」
「でも」
一拍。
「美しいことと、人間として価値があることは違います」
広場が静まり返った。
その瞬間。
群衆の奥から声がした。
「偽善者め」
ゆみえが振り返る。
一人の男が立っていた。
黒い服。
胸元には、あの紋章。
「お前は美しいから、そんなことを言えるんだ」
男が笑う。
「醜い者の苦しみなど、本当には分からない」
ゆみえは言葉を失った。
その言葉は。
どこか正しい。
自分は今、美しい。
だから。
ノアと同じではない。
「……そうですね」
ゆみえは認めた。
「私は、あなたの苦しみを全部は分かりません」
男が少し驚く。
「でも」
ゆみえは続ける。
「分からないからって、傷つけていい理由にはならない」
男の顔から笑みが消えた。
「そして――」
ゆみえは自分の胸に手を当てる。
「私は、自分が美しいから偉いなんて思いたくない」
◇
男は逃げた。
兵士が追いかける。
広場には、静けさが戻った。
ノアがゆみえの服を掴む。
「ゆみえ……」
「なに?」
「ありがとう」
ゆみえは笑った。
「友達だから」
ノアは俯いた。
目に涙が浮かんでいた。
◇
その夜。
ゆみえは一人で部屋にいた。
鏡を見る。
いつもの美しい顔。
けれど。
今日は、その顔が少し違って見えた。
この顔は。
自分を救ってくれた。
同時に。
自分を危険にも晒している。
そして。
人を幸せにすることもあれば。
人を傷つける理由にもなっている。
「美しさって……」
ゆみえは鏡に触れた。
「本当に、怖いね」
そのとき。
背後から声がした。
「そうだな」
「……殿下?」
アルベルトだった。
いつの間にか扉の近くに立っていた。
「今日はよく言った」
「怖かったです」
「だろうな」
「足が震えてました」
「見ていた」
「恥ずかしい……」
アルベルトは少し笑った。
「それでも立っていた」
ゆみえは黙った。
「君は変わったな」
「そうですか?」
「ああ」
アルベルトは続ける。
「最初に会った頃の君は、自分が美しいことを恐れていた」
「……」
「今は違う」
「何が違うんですか?」
「自分の美しさを、自分のためだけに使おうとはしなくなった」
ゆみえは鏡を見る。
少しだけ。
自分の顔を好きになれた気がした。
美しいからではない。
この顔で。
誰かを守ることができたから。
◇
翌朝。
王都には新しい知らせが届いた。
昨夜逃げた男が所属していた組織。
その名前が判明した。
――「美しき世界」。
アルベルトは報告書を読んだ。
そして、顔を曇らせた。
「……組織の中心にいる人物が分かった」
「誰ですか?」
ゆみえが尋ねる。
アルベルトは答えた。
「ヴァルガス」
その名前を聞いた瞬間。
セレナの顔色が変わった。
「……ヴァルガス?」
「知っているの?」
ゆみえが尋ねる。
セレナは震える声で答えた。
「私が聖女に選ばれる前から……」
一度、言葉を止める。
「私を『神に選ばれた美しい器』と呼んでいた人です」
ゆみえの背筋に寒気が走った。
アルベルトが報告書を閉じる。
「そして奴は」
低い声で言った。
「この国で最も美しい女性を、自分たちの象徴にしようとしている」
全員の視線が。
ゆみえへ向いた。
ゆみえは、動けなかった。
そして初めて。
自分の「美しさ」が。
自分だけのものではなくなっていることを知った。




