エピソード7 推し推しカップル爆誕と、隠密の煩悩
(……な、なんだって……!?)
カノープスは完全に絶句した。
脳内のあらゆる思考回路がショートし、この状況に対してどう応じるべきか、どんな言葉を発し、どんな行動を取るべきか、最適解がまったく思いつかない。
自分の正体が、完璧に秘匿されていたはずの国家最高機密が、目の前にいる帝国のくノ一に完全にバレている。
隠密のセオリー通りに動くなら、今すぐこの場で彼女を急襲して無力化(拘束または抹殺)し、すぐさま父ゼダルと合流、作戦を即座に全面中止して王国へ退却すべきだ。
だが、激しい動揺を完璧に隠すことはできないまでも、カノープスは辛うじて外交官の仮面を張り付け、冷ややかな声を絞り出した。
「……6年前にそんな噂が流れたこともあったね。だけど、残念ながら君の推測は見当違いだよ、ミラさん。僕はただの、しがない外交官の息子だ」
「ふーん。」
ミラはつまらなそうに唇を尖らせると、ベッドの上でゴロンと寝返りを打った。
「まあ、細かい言い訳はいいから話を聞いてよ、カノープス君。私はね、どうしても、何が何でも【賢者の書】が見たいの。何があっても、絶対に」
ミラはそこまで言うと、不敵な笑みを浮かべて人差し指を立てた。
「カノープス君は知っている? 実はね、賢者の書を閲覧するには、ただ鍵を開けるだけじゃなくて『特殊な暗号』が必要なのよ。――そして、私はその暗号を知っている」
「ッ……!?」
「だけど、私じゃあレベル5の厳重なプロテクトロックは絶対に開けられない。……そこで君の出番だ、天才少年! 君が華麗にレベル5のロックを外し、私が暗号を入力すれば、賢者の書の秘密は一発で明らかになる!」
ミラは両手を叩いて、これ以上ないほどキラキラとした笑顔で、とんでもない提案をぶち上げてきた。
「これにて、華麗な推し推し『カノミラカップル』爆誕で、ミッション大成功! めでたしめでたしって感じ。……ねえ、どう?」
「ど、どうって……えええぇぇぇーっ!?」
カノープスは心の中で悲鳴をあげた。
(賢者の書の閲覧に暗号が必要!? そんな話、本国の諜報部からも、父上からも一切聞いてないぞ……!! もしそれが本当なら、俺が単独で侵入して盗み出すという『プランB(強行策)』は、その時点で完全に破綻しているじゃないか!!)
(父上――!! 脇が甘すぎますよ!! 最高職のくせに何やってるんですか!!)
心の中で父親の胸ぐらを激しく揺さぶりつつも、カノープスは冷や汗を拭った。あまりにも疑問点と不確定要素が多すぎる。目の前の少女の軽薄なペースに乗せられそうになりながらも、彼は隠密としての本質的な問いを切り出した。
「……そもそも、何故そこまでして賢者の書を見たいんですか? 貴方は帝国の忍びですよね。」
すると、ミラからこれまでの軽いノリがフッと消えた。
「私はね、いろんなことが知りたいの。この世界の過去から未来、すべての出来事。そして、この世界がどんな風に成り立っているのか、その『仕組み』のすべてを知りたい。だから私は、知的好奇心のために忍者になった。その目的のためなら、私は自分の命を投げ出したって構わないわ。……どう? カノープス君」
あまりにも抽象的で、そしてあまりにも危うい、狂気的なまでの知識への執着。
カノープス自身の堅実な倫理観からは到底同調できる考えではなかったが――しかし、彼女と手を組む「メリット」は十分に存在した。
まず、目の前にいる最大にして最悪の監視役の目を欺く必要がなくなること。そして、賢者の書に本当に暗号が必要なのだとすれば、彼女を仲間に引き入れることで、それを労せずして手に入れられることだ。
しかし、同時にリスクも計り知れない。不確定要素が多すぎて、この話そのものが自分たちをハメるための帝国の「罠」である可能性も、十二分にありすぎる。
(クソッ……! ここへ来て、自分と父上の命、使節団の全員の首、果ては我が国の存亡の危機を――あのルスカ・ルマンデイが授けてくれた、あの『ラックアップ(幸運度上昇)』の加護に頼らなければならないとは……!!)
あの時、親友がくれた幸運のバフ。それがこの絶体絶命の状況を、奇跡的に「カノープスにとって有利な同盟」へと導いてくれているのだと信じるしかない。
ここは一旦、彼女の提案を受け入れ、最大級の警戒を怠らずにすべての諸事態に対処する。それしか道はなさそうだ。
(やはり、一筋縄ではいかないミッションだ。綱渡りすぎる。……だが、やるしかない)
カノープスは腹をくくった。だが、その前に最低限の裏取りは必要だ。
「その前に、いくつか確認をさせてほしい。……何故、君がその最高機密の暗号を知っているんだ?」
「皇后様はね、毎朝一番と、夜の就寝前に必ず賢者の書をご覧になるの。私は彼女の身の回りの世話をしながら、その時に暗号を入力する手元をこの目でバッチリ見たわ。ちなみに皇后様は美容にものすごく厳しくてね、毎朝6時に起きて、夜20時にはきっちりお休みになられるわよ」
(なるほど……。生活周期のデータも含めて、この情報の信憑性はかなり高い)
裏を取りたいところだが、時間の猶予はない。ここは一旦、彼女の計画に乗ることにしよう。
カノープスは短く、覚悟を込めて答えた。
「――分かりました、ミラさん。今回の件、よろしくお願いします」
「嬉しい! 貴方が引き受けてくれれば、まさに百人力よ!」
ミラはパッと顔を輝かせると、すぐにベッドの上に地図を広げた。
「じゃあ早速、計画を説明するわね」
そこからミラが口にした潜入計画は、まさに「白眉」と呼ぶにふさわしい、完璧なものだった。
潜入ルートの選定、警備の死角に関する事前調査、そして計画の裏付けとなる根拠――どれをとっても、忍びとして超一流の手腕によるものだった。
(……これほどの有能なくノ一が、何故、俺のような王国の若造の護衛(監視)なんかに当てられたんだ? 有能だからこそ、俺の正体を見抜くために配置されたのか……? やはり、俺の正体が帝国の上層部全体に割れているという前提は、まだ否定できないな)
カノープスが再び思考の迷宮に陥りかけた時、ミラがポンと地図を叩いて計画を締めくくった。
「よし、計画の決行は、明日の午前3時よ!」
そして、ミラは一瞬にして妖艶な「お姉さん」の表情に戻ると、ふにゃりと笑って話題を変えてきた。
「ところで、カノープス君……この後、どうする? ……もし貴方さえ良ければ、お姉さんが朝まで添い寝してあげてもいいわよ?」
「ッッ!?!?!?」
カノープスは弾かれたように立ち上がると、無言で柔らかなガウンを脱ぎ捨て、一瞬にして自前の黒い隠密装束へと着替えた。そして、部屋の窓を静かに開け放つ。
「き、貴方の計画の、しん、侵入経路を……今から実際に、確認させていただきまふっっ!!」
完全に噛みまくったセリフを夜空に叫び、カノープスは真っ赤な顔のまま窓枠に足をかけた。
ミラはそれを見て、可笑しそうにクスクスと肩を揺らす。
「ふふ、真面目なのね。貴方はとっても魅力的よ、カノープス君。――気をつけて行ってらっしゃい」
「では、失礼します!」
カノープスは逃げるように3階の窓から飛び出し、バルコニーのフチを蹴って、音もなく夜の地上へと降り立った。そして、冷たい夜風を浴びながら、賢者の書が保管されている特権寺院の方向へと全力で駆け出した。
夜空の下、屋根伝いに跳躍しながら――カノープスの脳内で、抑えきれない男子高校生としての煩悩が、凄まじい勢いで大暴走を始めていた。
(……待てよ? ひょっとして俺、今、人生最大級のすげーチャンスを不意に逃したんじゃないか……!?)
(いやいやいや! 違うだろ! 目を覚ませカノープス!! 相手は帝国のくノ一だぞ! )
(でも、あのミラさんの様子、本気っぽかったというか……すごく可愛かっ……いや駄目だ駄目だ!! 落ち着け俺の煩悩!!)
命がけの潜入ミッションの目的地を目指しながらも、王国の天才忍者の脳内は、甘酸っぱくて不純な邪念で満ち満ちていくのだった。
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