エピソード6 防音結界の罠と、暴かれた過去
湯気とともに、風呂上がりの少女のみずみずしい肌と、濡れた髪が露わになる。タオル一枚では隠しきれない、健康的な肢体がカノープスの視界に暴力的なまでの情報量で飛び込んできた。
「あのー……ミラさん。これは一体どういう事でしょうか?」
カノープスは、目の前のあまりにも想定外すぎる状況に動揺しつつも、「これは敵の罠だ、目を離したら殺される」と自分に猛烈な言い訳を言い聞かせた。警戒を装いながら、彼女から必死に視線を離さずに問いかける。
対するミラは、濡れた髪を軽く振りながら、実にあっけらかんとした様子で答えた。
「ん? 『上のお偉い人』から言われているの。今晩もカノープス君と一緒に過ごして、しっかりお世話しなさいって」
なんということだ。
帝国のくノ一と、この狭い客室で一晩を共に過ごすことになるなど、隠密として寸分の油断も許されない極限状態である。敵の陣地の真ん中で、完全に無防備な状態になってシャワーを浴びるなど、もってのほか。そんな隙を晒せるわけがない――。
「ねえ、カノープス君。シャワーは……浴びて欲しいな。」
ミラの少し困ったような上目遣いに、カノープスの鋼の意志はあっさりと揺らいだ。
気がつけば彼は服を脱ぎ、バスルームで緊張の面持ちのまま、シャワーの蛇口を捻っていた。
(あー! バカバカバカ! カノープスの大バカ野郎!!)
激しく降り注ぐ温水を頭から浴びながら、カノープスは心の中で自らの不甲斐なさを激しく殴りつけた。
(国家の一大事、王国の命運を賭けた極秘任務の真っ最中だぞ!? 何を血迷って、敵のくノ一の言葉に流されてなんか期待なんかしているんだ俺は!!)
そんな邪念を必死に振り払いつつも、なんかの為に念入りに身体を洗い、真っ白な石鹸の泡を水で綺麗に洗い流していた、その時だった。
――微かに、空気が歪んだ。
それは、魔導具や呪文を使用した際に生じる、魔力独特のピリピリとした緊迫の気配。
(……しました! 今、確実に術が発動した! はかられた!!)
「ミラさん!!」
カノープスは泡を流し終えただけの完全な裸のまま、一切の躊躇なくバスルームからリビングへと勢いよく踊り出た。咄嗟の戦闘態勢。
「今、何をしましたか!?」
対するミラは、ベッドの端に腰掛け、手元で光を失った一本の巻物をひらひらと振ってみせた。
「驚かせてごめんね。『防音結界』のスクロール(魔導書)を使ったの。貴方と、誰にも邪魔されずにゆっくりお話しをしたくてね。だって、これから大事な話をするのに、読唇術じゃあ、ロマンチックじゃないでしょ?」
スクロール化できる魔法には法則がある。
基本的には、魔力消費量の少ない簡易的な呪文が適しているのだ。傷を癒す『スモールヒール』、眠りを誘う『スリープ』、初級攻撃の『ファイヤーボール』、そして精神操作の『チャーム』などが定番だ。逆に、空間を吹き飛ばすような魔力消費量の膨大な高位呪文は、スクロールに定着させることができない。
ミラが使った『防音結界』や、軽度な『小回復結界』もまた、術者が簡単なキーワードを発声するだけで即座に発動する、利便性の高い定番のスクロールだった。
これで、この部屋の中の音は完全に外部へ漏れなくなった。つまり、何を話しても誰にも聞こえない、完全な密室の完成である。
ミラは、仁王立ちするカノープスの下半身へ、一瞬だけ視線をチラリと向けると、頬をわずかに染めてクスリと笑った。
「それはそうと……とりあえず、何か着たら?」
「あ……」
己が完全な無平服(全裸)であることに今更気づいたカノープスは、顔から火が出るほどの羞恥に襲われ、すごすごと脱衣所へと退却した。急いで備え付けの、肌触りのやわらかな絹のガウンを深く羽織る。
気を取り直し、再びリビングへ戻ったカノープスは、ソファーに腰掛けるミラと正面から向き合った。
カノープスの表情からは、先ほどまでの少年らしい動揺は完全に消え去っていた。ガウンの太い袖口の奥には、いつでも指先で引き抜けるよう、愛用のクナイが音もなく忍ばされている。
現在の状況を冷静に整理する。
帝国の魅力的なくノ一が、部屋着のガウンを羽織っただけのひどく無防備な姿で、防音結界を展開して自分の目の前に座っている。
あまりに情報量が多く、五感の整理が追いつかない。
そんな緊迫した沈黙の中、ミラがふっと声音を落とし、静かに切り出した。
「これね……実は、私しか知らない特別な情報なんだけど」
ミラの瞳の奥に、隠密特有の冷徹な光が灯る。
「今から6年くらい前、貴方の国、ミルキーウェールズ王国にね……『アンロックスキル・レベル5』を、僅か10歳にして取得しちゃった、とんでもない天才少年が現れたの」
カノープスの指先が、ガウンの奥でクナイの柄にピタリと触れた。
「でもね、その子。可哀想に、その直後にどこか別の国の組織に誘拐されちゃったのよね。大好きなお母さんと、無理やり離れ離れにさせられて……可哀想に。――ねえ?」
ミラはソファーから少しだけ身を乗り出し、カノープスの目を真っ直ぐに見つめて、妖しく微笑んだ。
「その、可哀想な天才少年。……本当は生き通していて、今私の目の前にいる。」
「貴方のことでしょ? ――カノープス・チュワートス君」
部屋に展開された防音結界が、カノープスの静かな息を飲む音さえも、冷酷に閉じ込めていた。
だーれーかー。
ポイントください。




