エピソード26 国境の隼(はやぶさ)と、不肖の父親
ガタゴトと規則正しく揺れるミルキーウェールズ王国使節団の馬車の中。
カノープスは、対面に座る王国の諜報部最高司令官――すなわち実の父親であるゼダルに向けて、周囲の随行員にも悟られないよう、極小の唇の動きで『読唇術』による秘密報告を開始した。
報告の内容は、特権寺院の最奥で目撃したオーパーツの魔道具に記されていた『ep.115』の記述。そして、それをロメーダ帝国が世界から隠蔽し、秘密裏にミルキーウェールズ国内を調査しようとしている真の目的――カノープスが導き出した冷徹な推測の全てだった。
カノープスの報告を読み取り終えたゼダルの顔から、先ほどまでの締まりのない笑みが完全に消え失せた。
「…………っ」
ゼダルは驚愕に目を見開き、一瞬だけ言葉を失った。だが、すぐに諜報部のトップとしての険しい表情を取り戻し、細かく唇を動かして返した。
『――詳細な裏取りや、多角的な分析はこれから必要となるが……。カノープス、お前のその推測は、恐らく的を射ているだろう。……未来の聖女、か。この事実が本物であれば、今後は我が国の中枢機関や王宮の重鎮たちをも交えて、緊急の最高機密協議を行うことになる。我が国としても、国を挙げた重大な対応を迫られることになるだろうな』
ゼダルは一度言葉を切ると、どこか誇らしげに、そして一人の父親としての温かい眼差しをカノープスへと向けた。
『それにしても、カノープス。……お前が今回持ち帰った任務の成果は、我が国の未来において多大なる貢献、いや、国家を救うほどの価値がある。それだけの偉業だ。最高司令官として、お前の働きを最大級に評価したい。本当に、よくやってくれた。……感謝する。我が息子よ』
国を背負う司令官からの、そして厳格な父からの最上級の賛辞。カノープスが少しばかり胸を熱くした、その直後だった。
ゼダルは急に照れ臭そうに視線を泳がせると、両腕を不自然に広げて唇を動かした。
『……その、なんだ。……ハグ、いるか?』
『いりません』
カノープスは一ミリの躊躇もなく、冷徹な読唇術で即答した。感動的な親子の空気が、一瞬でいつもの冷ややかな温度へと急降下する。
続いて、二人はロメーダ帝国からの具体的な退却計画についての擦り合わせに入った。
すでに国境付近に潜伏している我が国の『諜報部退路斥候班』からの事前報告によると、本隊が進む予定の正規ルートA、そして有事の際の別働ルートB共に、現状では大きな問題は発生していないようだ。
ただし、一点だけ不穏な情報があった。
現在、ミルキーウェールズとの国境付近では、ロメーダ帝国軍による『鳩狩り』――すなわち、帝国が飼い慣らす凶暴な「はやぶさの使い魔」を使った、執拗な情報防衛策(検閲)の動きが活発化しているという。この状況下でこちらから連絡の伝書鳩を放てば、瞬時に撃ち落とされて情報が漏洩する危険性があった。
そのため、情報の暗号通信は見送られ、予定通り本隊のルートAと、カノープスのルートBを同時に決行して直接持ち帰る方針となった。カノープスは、次の宿泊予定地で事前に手配してある「影武者」と密かに入れ替わり、危険な裏道であるルートBを通って国境を目指すこととなる。
一通りの軍事的な擦り合わせが終わり、車内に短い静寂が訪れた時、カノープスはふと思い出したように、一応の確認として切り出してみた。
「ところで、司令官殿。――私が命懸けで『プランB』を遂行している最中、司令官殿は一体どちらの場所に待機されておりましたか?」
「ん?」
ゼダルが短く喉を鳴らし、わずかに身構えた。カノープスはジロリと父親を睨みつけ、容赦なく追及を続けた。
『もちろん、プロの隠密として。私が万が一にも任務続行不能の狼煙を上げた際、即座にサポート、あるいは救出に飛び込めるような、至近のバックアップポイントにおられたのですよね……?』
その問いに対し、ゼダルはみるみるうちに苦渋に満ちた顔になり、もごもごと苦しそうに口を動かし始めた。
『いやあ……その、何だ……帝国の、くの一のハニートラップの手際が、思いのほか、その、超一流でな……?』
「――もう結構です」
カノープスは冷たく父親の言い訳を遮った。車内に、先ほどとは全く違う性質の、きまずい沈黙と冷ややかな空気が充満していく。自分の父親が、息子が命を懸けて潜入している裏で、敵の女案内人と国際交流(?)を深めていたという事実に、カノープスは心の底から頭が痛くなった。
二人の間に気まずい沈黙が流れる中、今度はゼダルが、どこか居心地悪そうに身をよじりながら口を開いた。
『……時に、カノープス。あの、プランAダッシュ(皇后私室への突入)の件なんだが……。そのー、あの、なんだ……。あの後、その……』
ゼダルはチラチラと息子の様子を伺いながら、最低のデリカシーで最悪の質問を投げかけてきた。
『……男に。……なったか?』
アンドロメダ皇后に下着姿で馬乗りになられ、貞操の危機に瀕したあの悪夢のような記憶。
それを、よりにもよって実の父親から、そんな下衆なニュアンスでほじくり返された瞬間――カノープスの脳内で、何かが派手にブチ切れる音がした。
隠密としてのポーカーフェイスも、読唇術のルールも、全てが怒りの業火で吹き飛ぶ。
「――馬車から降りろ!!! このポンコツ親父ぃぃぃーーーーーーっっっ!!!」
静かな街道を走る馬車の中から、カノープスの限界突破の怒号が響き渡り、並走する馬たちがいっせいに驚いて嘶いた。
任務は大成功したというのに、世界で一番身近な上司に対する殺意が抑えきれないカノープスだった。




