スピンオフ27話 スピンオフ最終回:星々の予言、そして少女の目覚め
峻険な山々に囲まれたその国境の境界線を、夜風に紛れて静かに飛び越える影があった。
ロメーダ帝国側から夜陰に乗じて、危険な別働ルートBによる密入国を果たしたその影の正体は、一見すると、どこにでもいるような、さほど特徴もないごく普通の青年だった。
少しあどけなさの残る顔立ちをした彼は、人混みに混ざれば一瞬で見失ってしまうほどに、その佇まいの影が薄い。
だが、地味な衣服に身を包んだこの少年の瞳は、今、夜闇の中で怪しいほどにギラギラと熱い輝きを放っていた。
彼は、自らの手で帝国から掴み取った『極秘情報』のあまりの重さに、胸の鼓動を激しく高鳴らせ、内側から湧き上がる興奮をどうしても抑えきれずにいたのだ。
手に入れた世界の真実をそっと胸の奥に抱き締め、カノープスは眼下に広がる、我が祖国ミルキーウェールズ王国の不夜城のごとき美しい王都の夜景を見つめる。
(――ミルキーウェールズ王国に、近々『聖女』が出現する)
歴史の天秤を大きく傾けるその予言の残響を抱き、青年は静かに闇へと消えた。
◇◇◇
ロメーダ帝国の首都アルメキオンを出発してから、ちょうど七日目の夕刻。
カノープスはメレンヘア学園の生徒会室へと、音もなく姿を現した。
室内の上座、革張りの椅子に深く腰掛けていたこの国の第一王子であり、生徒会長を務めるシリウスは、突然現れたカノープスの姿を見るなり、その気品ある端正な顔を劇的に変化させた。
「――っ、カノープス……! 無事で、本当に無事で良かった……!」
普段の冷静沈着な姿からは想像もつかないほど、シリウスはその美しい瞳にみるみるうちに涙を溜め、安堵の言葉を漏らした。カノープスは膝を突き、懐かしい友であり主君である男に向けて、静かに頭を垂れた。
「殿下。ただ今、任務より戻りました」
短く帰還を告げると、カノープスはすぐさま鋭い隠密の目つきに戻って、シリウスを真っ直ぐに見据えた。
「――殿下。至急、最高強度の『防音結界』をお願いします」
スクロールに込められた既製品の魔術などではなく、第一王子であるシリウス自身が持つ、最高位の固有魔術による絶対的な遮断空間。カノープスの尋常ならざる雰囲気を察したシリウスは、即座に頷き、低く厳かな声で呪文を唱えた。
キィィン……と、生徒会室の空間そのものが捻じれるような重厚な魔力が走り、部屋全体に完璧な結界が張り巡らされる。
結界の完成を確認したカノープスは、ロメーダ帝国で起きた『プランA』の顛末、そして特権寺院の最奥で目撃した『魔道具の賢者の書(ep.115)』の全容を、一言一句漏らさずに全て報告した。
シリウスは、あまりにも規格外な世界の秘密を前にしても、さすがは王国の第一王子というべき冷静さで一つ一つの事象を深く咀嚼し、静かに言葉を発した。
「――報告の趣旨は完全に理解した。大国ロメーダの企み、そして世界のシナリオ……。事態は一刻を争うな。早速、王宮の主なる重鎮たちを秘密裏に呼び寄せ、カウンターの策を練るとしよう」
シリウスは椅子から立ち上がると、カノープスの肩に優しく手を置いた。
「カノープス。……大義であった。王国の未来を救うこれ以上ない成果だ。本当に、よくやってくれた」
「はっ。勿体なきお言葉、痛み入ります」
カノープスが恭しく一礼を返すと、シリウスはフッとその完璧な皇太子の表情を緩め、カノープスがよく知る「一人の友人」としての顔に戻ってクスクスと笑った。
「さて、堅苦しい国家の話はここまでだ。……ここからはね、一人の思春期の男子生徒としての純粋な意見を述べさせてくれ、カノープス君」
「はい?」
カノープスが眉をひそめると、シリウスはどこか夢見がちな、胸躍らせる少年の瞳で身を乗り出してきた。
「この国に、未来、本物の『聖女』が現れる……なんてロマンチックで、胸が躍る知らせなんだ! 過去の歴史に名を残す聖女たちは、誰もが美しく気高かったという。一体、どんな素敵なレディーだろう。僕は、出会う前から彼女に恋をしてしまいそうだよ」
恋に恋するような表情を浮かべ、楽しげに語る親友の姿に、カノープスはロメーダでの過酷な任務の疲れがスッと抜けていくような妙な安心感を覚えていた。
カノープスはふっと優しい微笑みを浮かべると、目の前の夢見がちな第一王子に向けて、穏やかに言葉を返した。
「――案外、僕たちのすぐ近くにいるような、ごく普通の女の子かも知れませんよ、殿下」
◇◇◇
同じ頃――ミルキーウェールズ王国東海岸部、静かな潮風が吹き抜けるマセット領。
「――クシュンッ!」
夕暮れ時の帰り道を歩いていたスピカが、小さく可愛らしいくしゃみをした。
すると、彼女と左右でぎゅっと手を繋いでいた双子の義弟の一人、ポルックが心配そうに顔を見上げて声をかけた。
「おねーちゃん、風邪ひいたの?」
もう一人の双子の義弟、ルックスもスピカの顔を覗き込み、おずおずと手を握り直す。
「大丈夫……?」
「ふふ、大丈夫よ。ちょっと鼻がムズムズしただけ」
スピカは二人の愛らしい弟たちに向けて、夕日のように温かく優しい聖母のような笑みを浮かべて返答した。
「今日は、たくさんお外で遊んだね」
「うん! ねぇ、おねーちゃん。お家に帰ったらさ、今日も一緒にお風呂に入ろーよ!」
ポルックが無邪気に、何一つ疑うことのない純粋な瞳でそう提案する。すると、反対側にいたルックスは、急に恥ずかしくなったのか、ストッと下を向いて耳の根元まで真っ赤に染まってしまった。
五歳の少年からの、なんとも微笑ましくもセンシティブな申し出。
シリウス王子が夢見る「世界の危機を救う高潔な聖女」の姿からは程遠い、ただの優しいお姉ちゃんであるスピカは、二人の手を引きながら、悪戯っぽく楽しげに目を細めた。
「ええー? どうしようかなぁー。ルックスがそんなに真っ赤になっちゃうなら、お姉ちゃん考えちゃうなー?」
「おねーちゃん、いじわるー!」
赤くなる弟たちと、それを見てクスくす笑う姉。
三人の小さな影は、温かいスープと優しい伯爵夫妻の待つ我が家へと向かって、茜色の家路をゆっくりと、幸せそうに歩んでいくのだった。
彼らはまだ知らない。
この何気ない日常の先に、世界を揺るがす壮大な運命の歯車が、すでに回り始めていることを。
(スピンオフ・完結)
応援ありがとうございました。この話は第一部
ご先祖様が聖女様かどうかも疑わしい私が王子様達の獲物にされてます。
第一部
につながります。
近々
ご先祖様が聖女様かどうかも疑わしい私が王子様達の獲物にされてます。
第ニ部も投稿予定です。
様々なキャラクターがさらなるパワーアップを遂げて皆様に何かをお届けします。
こちらの方も是非ともよろしくお願いします。




